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欲しいものを容易く手に入れられる人間と、どう足掻いても手に入れられない人間がいる。その「欲しいもの」は財力に依存するものだけでなく、能力的なもの、心理的なものと様々だが、間違いなく言えることは一つ。俺はまさしく「手に入れられない」側の人間であるということだ。
容姿も才能も知識もなく、富士山麓で鸚鵡が鳴こうが、たとえ悲しいことが起きても俺は涙すら流せない。ない、ということが「ある」と言えるのか、ないものは「ない」のか。そんな哲学めいた考えを巡らせながら、あっという間に一年が経った。
去年の春、大学に入学した。志望校に落ち続けて、ようやく引っかかったのは、入学試験で眠すぎて答案用紙にヨダレでいびつな絵を描いていた、いわゆるFランクの大学。やる気が出ずになんとなく過ごしていたら、ほとんど友達ができなかった。もちろん恋人なんて存在は、空想上の産物としか思えない状態だ。
最初の年は、まさに砂を噛むような一年間だった。今にして思えば、周りは知らない人間ばかりなわけだし、そこが自身に変革をもたらすチャンスだったはずなのに、みすみすバットも振れずに呆けていたらゲームセットを迎えていた。
最近になって、なんだかんだ言いながらも俺は人並みに弱くて、辛いときには誰かに縋りたくなってしまうということがわかってきた。全部自分が不甲斐なかったということは、とっくに理解している。
だから、今更そんなことをほじくり返して塩の海に突き落とすような人間には頼りたくない。むしろこれまで自分とは何の関わりもない他人の方が、心の内に秘めた弱音をすんなりと話すことができそうに思えた。
他にも方法はあるだろ……と言われたところで、今の俺には他の選択肢が思いつかなかった。
ベッドに寝ころびつつ、スマートフォンの画面に表示された「レンタル彼女 Venus」というホームページを眺める。
金を払ってまで他人と喋りたがる意味が分からない……と、昔は毎週末になると女性のいる飲み屋でベロベロになって帰ってきていた、実家の親父を思い出す。まあうちの両親は完全に熟年夫婦だったし、もしかしたら親父も本当は寂しかったのかもしれないよな。性格から言って、自分からは絶対言わないだろうが。
あの親にしてこの子あり、というのならきっと、その通りなのだろう。
どこをタップすれば申し込みページに行くのかは既に理解していた。何度も行っては戻ってを繰り返していたそのページを、俺は振り返らずに突き進む決心を固めて、いつもより力を入れて人差し指を画面に触れさせた。
***
俺が見つけたサービスの流れは、レンタル彼女との事前のやり取りはメールで当日の内容や待ち合わせ場所を決める程度の、きわめて事務的なものだけ。本来は当日に料金を直接手渡すそうだが、それが気まずく感じる場合は事前の振込でもよい……という徹底ぶりだった。確かに、福沢諭吉を手渡したあとのデートというのは、ある意味すごく人間臭くて頭が痛くなりそうだ。払っただの払ってないだのというトラブルになるのも嫌だったから、記録の残る銀行振込で先に済ませた。
それでも、今も(何してんだろ)という気持ちがどこかにこびりついている。
人であふれるターミナル駅の改札前に立ち尽くしている俺は今から、会ったことも話したこともない異性と、デートをする。彼女が欲しけりゃ大学で見つけろよ、という声も聞こえてきそうだけど、それが容易くできるのならば、こんなことはしていない。
せっかく身だしなみに気を遣ってきたのに、イヤな汗が背中を伝う感覚がある。金を払ってしまった手前、もう帰れない。でも、なんだか帰りたくなってきた。
そういえばこれから来るレンタル彼女は、どんな服装で来るんだった? メールを――――。
「こんにちは。佑介さんですか?」
スマートフォンをポケットから取り出そうとしていたとき、あらゆる雑味を全部フィルターで濾したみたいな、澄んだ女の声が聞こえた。その声は明らかに俺に向かって飛んできていると気づいて、顔を上げる。
「千代田りりかです。はじめまし……えっ?」
最初の0.2秒くらいは向日葵みたいな笑顔を咲かせていた彼女は、花が萎れるのを早回しで見せているかのように表情を変える。ただの「驚き」なだけまだマシだった。これが「落胆」とか「憤慨」だったら彼女を置いたまま、ICカードの残額も見ずに改札へダッシュするところだ。
それができなかったのは彼女の表情だけが原因ではない。
俺も、かなり驚いているからだった。
「……佐久間、亜希……さん?」
喧騒に消えていきそうなほどに小さな声しか出なかったが、彼女は俺の問いに、黙ってゆっくりと頷いた。
佐久間亜希。
高校の時にふたつ上の学年にいた先輩が、これからレンタル彼女として、俺の相手をしてくれるのだそうだ。
そんなことあるのか?
あるんだよな。
その情報ソースはこれから、他ならぬ俺自身になることが決定したのだから。
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