想い出が褪せる頃

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「ふぁ〜…ん……」 うー…寝みーな…。 くしゃくしゃにした顔を片方の手で覆うが、これは絶対に隠しきれないやつだ。 欠伸を噛み殺しながらいつもより早い時間帯の電車に乗っている。 涼真の事を考えてたら…眠れなくなってしまったのだ。 「ガキ…だな」 時間が早いせいでいつもより気持ち穏やかなラッシュアワー。 降車駅に停車すると人の波に緩く押されながら電車を降り改札を抜けた。 「あ、コーヒー買ってくか」 ふと目に付いたコーヒーチェーン店でホットコーヒーを買い、そのまま会社のドアをくぐった。 俺の所属する営業戦略チームは自社ビルの三階にある。 所属する人間は少なくないのだが普段はそれぞれの拠点に散らばって仕事をし、必要な時だけオンラインで会議をする。 だからここでの人員は三人のみ、だ。 まだ始業まで小一時間。 誰もいない廊下を歩き多目的ルームのドアを開けた。 人気の無い空間。 入ってきた扉がギリ視界に入る席に座り、カップの蓋を開けてコーヒーの匂いを胸いっぱい吸い込んだ。 「そう言えば……涼真はまだコーヒー飲めないのかな…」 涼真との記憶が随分と昔の事のように感じた。 俺が生まれた頃は近所に小さな子供がいなくて親はその状況を心配していたようだが、三歳ぐらいの時に涼真の家族が隣に引っ越してきた。 涼真に興味津々の俺と、俺の興味に引き気味の涼真。 だが同い年の男だ、すぐに仲良くなって一日中二人で過ごすようになった。 涼真の家は共働きで一人っ子の彼は親が帰ってくるまで、よく家で一緒に遊んだ。 母はよく、二人も三人も同じよ、と言い、涼真と俺と姉の三人を兄弟として扱った。 子供の頃は一緒に学校に行き、終われば帰り道の途中にある公園で日が暮れるまで遊んだ。 服を汚して家に帰れば二人で風呂に放り込まれ、全身泡だらけにして笑いあった。 あの頃の俺は涼真の全てを知っていたし、この先も決して離れる事は無いのだと何の根拠もなくそう信じていた。 同じ釜の飯を食い、遊び疲れて同じ布団で眠る。 いつも一緒。 ずっと一緒。 そんな幸せが続く訳無いのに、その時の俺はそう信じて疑わなかった。 「あ〜思い出すよ……小柄で可愛いくて……おっとりしてるんだけど言い出したら聞かない……」 「何?彼女?」 「うおっ!…と〜、コーヒー零れたらどうすんだよ」 いきなり肩を叩かれ湯気が不規則に揺れた。 入り口の見える席にいたはずなのに、全く気づくことなく思い出に浸っていたらしい。 俺を見下ろすコイツは癖のある短髪にややつり上がった黒目、まるで俺をからかうような口調。 「中黒…」 「朝からノロケてるからさ」 「違うって。思い出に浸ってんの」 「ははっ、笑わせんなよ」 優雅なコーヒータイムが同期の中黒によって邪魔された。 「で、どうなの?コレ?」 そう言って中黒は左手の小指を見せた。 「違うって」 「じゃ、こっちか!」 今度は親指を見せる。 なんて事ない中黒の仕草に一瞬肩があがってしまった。 だが中黒は気付いた風はない。 「そんなの、どうだっていいだろ」 「良くは無い」 中黒はそう言って俺の肩を組み顔を耳元に寄せた。 「合コンすんだよ。で、メンツ集め」 「ゲッ、ヤダ、行かない」 「香束(かづか)、な。一緒行こ♡」 ハート飛ばしてんじゃねぇ、気持ち悪いんだよ。 「俺、そーいうのちょっと…苦手なんだって…」 「お前イケメンだから女寄せにいいんだよ」 「パンダかよ!」 態度でも言葉でもグイグイと近寄っててくる中黒を押し返し、何の気なしに見た扉の向こうに人影があった。 あれ、涼真? ガラス越しに目が合った途端、涼真は扉の前から離れていった。
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