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「や〜あん…うぇぇん…」
涼真の部屋でホッとする間もなく子供を下ろそうとするが、涼真の胸から剥がされまいとワイシャツもネクタイもその小さな手で掴んで離さない。
小さな体でえぐえぐとワイシャツに顔を埋めたまま不機嫌が止まらない。
「真咲、顔見せて。ほら着替えられないよ」
どんだけ虫の居所が悪いんだか、顔を見せず一向に言うことを聞く気配もない。
小さな子供と関わった事がない俺だが、毎日これでは涼真に同情するしかない。
「なあ、何かあった?それともいつもこうなのか?」
「普段はこんなにグズらないけど…真咲、泣いてたら分からないよ」
…ま、俺にとっては泣いてなくても分からんがな。
「もうこのまま寝かせるか。泣き疲れてるだろうし」
眉間に大量の縦じわを発生させて涼真は苦悶の表情を見せた。
「涼真、こーゆーのあげてみるとか?」
俺は棚の上に置かれた籠からビニールに入ったせんべいを渡した。
「ソフトせんべいか…これなら食べるかな。真咲、お口あ〜ん」
さっきよりは幾分大人しくふえふえと泣いている。
涼真がせんべいを見せると眠いのか目をゴシゴシと擦りながらパカッと口が開いた。
「ほら、モグモグ…ん、よし食べられたな。郁弥、その黄色いコップに水汲んで」
涼真が指さす先に子供のコップがあった。
流行りの電気ネズミか。
軽くすすいで三分の一程水を汲んだ。
「ほら」
「そこに蓋があるから、そう」
透明な蓋には小さな飲み口が付いていて、零しても大惨事にならない工夫がしてある。
言われた通りにパチンと蓋を嵌めて渡すと、涼真は子供に話しかけながら口元に持っていった。
「真咲、ちゅーして」
…ちゅー…いい大人がそんな可愛い言葉使うんだ…
子供は言われた通りに口に水を含み、飲み下した様子だ。
「ねんねしような」
さっきより穏やかな顔で、涼真は子供を抱えたまま部屋を出ていった。
「悪いな…手伝ってもらって…」
「そんなのは…いいんだ」
ローテーブルを挟んでスーツのままで向かい合って座る俺と涼真。
二人きり、話したいことは山ほどあるのにきっかけが掴めなくてお互い黙(だんま)りとしてしまう。
「あの…さ、頼れよ。俺達幼馴染みだろ?迷惑掛けてくれよ」
「…でも…」
正座して座っている涼真はテーブルの上で両手を握り締めていた。
「俺は…涼真の力になりたいんだ」
「郁弥…でも俺…一人で育てるって…」
「涼真…お前、未だに家事苦手なんだな」
「……うん…」
「でも、頑張ってるって分かる。だから…」
涼真の手を両手で包み込む。
緊張しているせいか、その手は冷たい。
「…だから、俺にも手伝わせてくれ。頼むよ」
「…郁弥、…でも…でも俺…」
涼真の瞳が揺れる。
何を迷う事があるのだろう。
俺を頼ればいい。
俺だけを。
「涼…」
その時、俺の声を遮る泣き声が聞こえた。
「あ…真咲が泣いてる!悪い…」
素早く立ち上がり、泣き声のほうに涼真は向かう。
…たった一人で…よくやってる…
名刺を取り出して裏に“ 真夜中でも連絡OK ”と一言書き机に置いた。
もちろんプライベートの連絡先も忘れていない。
涼真と子供の生活を邪魔したくはないんだ。
ただ涼真に笑っていて欲しい。
…今日は帰ろう…
声もかけずに部屋を出た。
この気持ちは押し付けの親切心なんかじゃない。
俺は…涼真の事を…
玄関扉を、そっと閉めた。
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