想い出が褪せる頃

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何とも居心地の悪い空気の中、消え入るような声で夏羽が口を開いた。 「…すみません…でした…」 一言呟き項垂れる真咲。 俺には涼真の言葉が夏羽の必要としていたそれなのかは分からない。 夏羽は何度か息を飲んでから言葉を続けた。 「…酷い事、言いました。そんな言葉を言わせたかった訳じゃなかったのに…」 「いいんだよ、分からない事があれば何だって僕に聞いて」 しばらく俯いて唇を噛んでいた夏羽が視線を上げて俺を見た。 「とと…僕ね…好きになった子…男の子なんだ…。でも…」 言葉が途切れ、また俯く。 「…でも…でもね…」 時々目は何かを訴えるように俺を見つめ、唇は言葉のかたちを作ろうとするのに…肝心な言葉が出てこない。 「いいよ、焦らなくて。今はまだ言わなくてもいいんじゃないのか?」 そう言うとふるふると頭を振った。 「本当は…ぼ…くは…僕は…りょう…まさんに…あんな事…言う資格な…んて…無い…」 目を見開き瞳いっぱいに涙を溜めて、顔を歪ませる。 「何がお前をそんな風に苦しめるんだ?」 「だっ…て…あぁ…」 涙が一筋零れて頬を伝い夏羽の胸を濡らす。 「夏羽…」 「ふっ…う…ぅあああぁぁ……」 その涙が次の涙の呼び水になったように…夏羽は初めて俺の前で大泣きした。 泣いて泣いて、泣いて…。 小さな子供のように泣き疲れて…夏羽は眠ってしまった。 いつからその小さな胸を痛めていたのだろう。 ただ見守る事しか出来ない俺は夏羽の為に何が出来るだろう。 俺の腕の中で眠る夏羽。 その幼い顔に残る涙の跡を指で拭き取った。 優羽に電話すると、明日は登校日では無いからと言われて夏羽を家に泊める事にした。 近所だから送って行っても問題無かったのだが…あの子の激しい一面を見て何か力になりたいと思ってしまった。 「俺が郁弥の部屋で寝るからさ、郁弥は夏羽くんと一緒にいた方がいいんじゃない?」 「ありがとう。そうする」 涼真の部屋はちょっと前まで涼真が真咲と眠っていた部屋。 並べて敷かれた布団を見て懐かしさが蘇る。 そうそう、俺と涼真と真咲、三人で眠っていたっけ。 そう遠くはない昔『いくー、だっこー』そう言って手を伸ばしてきた夏羽。 小さな子供だったから今とは比べ物にならない程軽かったが、今だって楽に持ち運べる。 「細っせーな」 布団を肩まで掛け直して甥の寝顔をまじまじと見た。 夏羽の目元はまだ赤く、こんな顔のまま…返せなかった。 「さて、俺も寝るとするか。夏羽、いい夢を」 夏羽の頬を一撫でして、布団にゴロンと横になった。 「ん…ふぁ〜〜…あ?起きてた?」 「とと、おはよ…」 目が合った夏羽は掛け布団の縁を掴んで目だけ覗かせていた。 「昔は いく、って読んでたろ?いつからととになったんだ?」 「真咲が混乱するからととに揃えたんだよ」 「そっか、そうだったか」 「今更言う?」 俺が起き上がれば笑って布団から出てきた。 夏羽はもう大丈夫そうだ。 「さて、朝飯作るからな」 「ととのご飯、美味しくて好き」 「そうか?まかせろ!」 顔を綻ばせいつもの夏羽に戻ったように見えた。
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