想い出が褪せる頃

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幼さの残る澄んだ瞳が俺に問いかける。 「あのね…僕の母さん…、どんな人だった?」 真っ直ぐな視線。 まだ欠片も濁っていない清い色。 「咲百合?美人で頭が良くて…気が強かったかな」 「…ふうん…」 「俺と涼真は咲百合とは幼馴染みだったんだ」 「……うん」 「涼真には聞かなかったの?」 「…」 黙って頷く真咲。 「だって…悲しそうな顔をするから。聞けなかった」 「…そうだよな。ゴメン」 俺は真咲の隣に腰を掛け、肩をそっと抱いた。 記憶がほとんど無い故の不安や寂しさもあったろう。 母親がいない事実を、真咲は小さい時からただ受け入れてきたのだ。 「咲百合と涼真はね、よく図書室でデートしてた。ずっと二人で…日が暮れるまで」 あの頃…俺は二人並んだ姿を見るのが辛かった。 でも、今はもう思い出。 「そうなんだ…」 そう言うと真咲はふっと俺から視線を外し、躊躇いがちに話し出した。 「あの…教えて…欲しい事があって……」 「俺で分かる事なら」 そう言って内心、しまった、と思った。 この雰囲気でタイミング、…あの事だ…。 抱き寄せていた肩に力が入り、そしてゆっくりとだが真咲の目が再び俺を捉えた。 「…僕の…本当の…父親の事」 強い意志を持って、俺を射抜く瞳。 「…それは…」 いつかこの日が来ると思っていた。 …でも… 「…俺の口からは言えない」 「やっぱり…?」 「俺ではなく涼真が言うべき事だから」 「……うん」 小さな肩が か細く震えた。 「俺が言えるのは…涼真はお前を愛してるって事だけ」 「……」 「後は…涼真…父さんから直接聞いた方がいい」 「…分かった…」 ため息と共に真咲の身体からは力が抜けていった。 「足の痛みはどう?」 「ととが冷やしてくれたから、もういいよ」 「なら着替えて来いよ。俺は洗濯物干しちゃうからさ。そしたら昼飯にしよう」 「うん」 やや足を庇うように真咲は歩き出しリビングを出ていった。 後ろ姿を見送ってもソファーから立ち上がる気になれない。 やるせない気持ちでいっぱいになったしまったのだ。 「本当の父親…そんなの涼真に決まってんじゃん…」 どんな思いで涼真が真咲を育ててきたのか…どれだけ愛しているのか……俺はそれを一番近くで見てきた。 「…それなのに…」 遺伝子上の父親の存在が涼真と真咲を傷つける。 「あー!やってらんねぇ!」 誰も聞いていないのをいい事に一言だけ声を荒らげて俺は勢いよく立ち上がった。 「玉ねぎはみじん切りにして」 今日の昼飯はチャーハンで、洗濯物を干してから真咲と一緒に作っている。 足を痛めてるんだから座っていればいいのに、自分が作ると言って引かないんだ。 「う…目が…」 小気味よく鳴っていた包丁の音が止み、真咲の顔が天井を見ている。 「目、痛いだろ?俺がやるから休んでろよ」 ギュッと目を閉じた隙間から涙が滲んでいる。 実はすぐ横にいる俺も、目が痛い…。 でも大人だからそんな素振りは微塵も見せない。 「大丈夫、僕がやる。この位しか役に立たないんだから」 「…え?」 それは…どういう意味? 「そんな言い方しないでよ。家事は生きていくのに必要なスキルなんだ」 「…うん」 もしかして…真咲はそんな風に思ってた? 例えば育ててもらった代わりに家事をする、とか? …だとしたら…俺は悲しい。
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