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「風邪かしらねぇ。あらぁ〜真咲くん、偉いね〜泣かなかったねぇ」
優羽(ゆう)は診察を終え、慣れた手つきで子供にパジャマを着せる。
「夜中にすみません。家にまで押しかけてしまって」
「いいのよ涼真」
「姉ちゃん、ありがと。今度奢るから!」
「郁弥には後でメールするからね」
うわ…高くつくな…。
俺の姉、優羽は医者。
このマンションの一階で開業している。
しかもそのマンションの最上階に住み、偶然なのか故意なのか…俺は優羽の夫に同じマンションを紹介された。
「本当にありがとうございました」
「薬はこれしかないから、朝になったら小児科を受診すること。ウチで診てもいいわよ」
おお、医者みたいな事言ってる。
ま、その通りだが。
「ぱぁぱ…」
「真咲、優羽先生にありがとうだよ」
熱で潤んだ大きな眼で優羽をみる。
「あーと」
小さな体を折り曲げてペコりとお辞儀をすると優羽は真咲に蕩けるような微笑みを見せた。
「真咲くんお利口さんね。お大事に」
真咲は少し体がラクになったのか、泣きもせず機嫌は幾分いいようだ。
診察を終え、玄関で靴を履く涼真の体がガクンと揺れた。
だが抱いていた子供をしっかりと抱えている所はさすが父親。
「大丈夫か?」
「うん…安心したら…今頃震えてきて…」
子供の発熱に随分と緊張したんだな。
「俺の部屋すぐだから休んでいけよ。このままじゃ危なくて帰せない」
ひどく最もな事を言うと涼真もそう思ってくれたのか少し考えてから顔を上げた。
「悪いな…郁弥。ちょっとだけお邪魔する」
…よしっ!
「散らかってるけどゆっくりしていけよ」
ニヤつく顔を気合でどうにかし、優羽の部屋を後にした。
「ダン箱が積んであんのに、なんでこんなに部屋が片付いてんだよ…!」
「え?そうか?」
寝室に入るなり涼真は驚きと怒りの入り交じった言葉を吐いた。
各部屋にダンボール箱が数個づつ置いてあるが…それ以外物が散乱している事は無い。
だが俺は涼真は放っておいてシーツの上にバスタオルを敷き、子供を休ませる準備をした。
「ほら、ここに寝かせて」
「うん。真咲、ごろんするよ」
「ぅうん……」
ベッドに寝かされるとくるりと向きを変え、小さく丸まった小さな体。
すぐに規則正しく肩が揺れる。
「…なんか…いろいろ…ありがと」
「いいんだ。…嬉しいから」
「俺…真咲の父親なのに…全然役に立たない…」
手を握り顔をくしゃっと歪ませて、唇を噛む涼真。
「…りょう…」
涼真に向かって伸ばした指は途中で目標を失った。
くるりと後ろを向いた涼真の背中が小刻みに震えている。
「…いいんだよ、涼真。この子がお前を父親に育ててくれるんだから…」
「…ん、…そ…かな…」
今はそっとしておいた方がいいんだろうか…。
「俺は居間にいるから少し休めよ。子供と二人ならベッドで眠れるだろ?」
そう言って俺は涼真に背を向けた。
…ありがと…
扉を閉める直前、消え入りそうな声が耳に届いた。
「…はぁ…」
居間のソファーの背もたれと肘掛けを倒し、二枚重ねた毛布を被った。
「ソファーベッドが役に立つとは…」
急に日本に帰国する事になった俺は、住む部屋と家財道具選びを姉の優羽に丸投げした。
優羽は医者だがその夫の貴志(たかし)さんは不動産会社の跡取りでその道のプロ。
多少融通を効かせてくれたのだろう、予算内で部屋を選びしかも家具の見立てのセンスもいい。
依頼して十日程で全てを整えてくれたおかげで、俺は帰国早々ホテル住まいをせずに済んだのだ。
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