想い出が褪せる頃

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「きゃーぁ!」 「…!」 瞬間、心臓が猛スピードでバクバクしてる…。 とにかくビックリした。 甲高い雄叫びと共に顔にぬるりとした感触で目覚めた朝。 「あー!真咲!何してんだ?郁弥ゴメン」 「あぁ…うん…だ、大丈夫…?」 恐る恐る顔に当たっているものに触れると、それは小さな手。 うわっ! ぬるぬるしてる…ってコレ涎か…! 「真咲、お部屋から出たらダメだろ?パパビックリしたよ」 子供を抱えあげて同じ目線で語る涼真は俺から見て立派に父親している。 うん。 大丈夫。 のそりと起き上がってソファーを元に戻す。 その間に涼真は子供の手や顔を拭いて着替えさせ始めた。 その見慣れない様子を眺めながら涼真に話しかける。 「朝飯作るから食べて行けよ」 「いいのか?…悪いな」 「子供…真咲の具合は?」 涼真から逃れ初めて見る部屋の中を走り回る真咲をチラリと視界に入れるがそんだけ走れりゃ問題ないだろう。 「大丈夫みたいだけど心配だから朝イチで病院連れてってから出勤するよ」 「そっか。ところで涼真、子供って何食べんの?」 一瞬涼真がキョトンとした顔をした。 「大人と同じもの食べてただろ?小さくすれば食べられるよ」 そう言って笑った顔は子供の頃と同じ、懐かしい顔だった。 「本当にいいのか?」 「ああ。優羽さんに悪いし」 「…そっか」 朝食を終え、診療が始まる前に優羽に診てもらえばいいと言ったのだが…涼真は俺の申し出を断った。 ま、そういう奴だよ、涼真は。 「俺、会社行くけど何かあったら連絡して」 「分かった。ありがとう、郁弥」 「真咲、またな」 「あー」 人懐こい笑顔。 ちゃんと見れば涼真によく似ている。 面長な輪郭と少し垂れた目元。 「仕事終わったら行くから」 俺はそう言って涼真と別れ会社に向かった。 小学校高学年の頃、涼真の家の隣に子供のいる家族が越して来ると大人達が話していた。 俺は新しい友達が来るという好奇心と同時に、涼真を取られるんじゃないかという恐怖を感じた。 そして、ある日やってきたその子供は…女の子だった。 咲百合(さゆり)と名乗ったその子は大きな目が印象的で顔の造形が整った可愛らしい子供だった。 少し気の強い所は苦手だったが頭が良く本の虫と言えるほどの読書家で小学校を卒業するまでに図書室の本を全部読んだと言っていた。 咲百合は俺よりも涼真の方がウマが合うらしく、よく二人で図書室にいる姿を見かけた。 中学校に進学すると、俺と涼真はウチで晩飯を食べる以外一緒にいる時間がどんどん減っていった。 その代わりに涼真は下校時間になるまで学校で咲百合と過ごし、誰が言い出したのか二人は付き合っているという噂まで流れだした。 あ〜…あの時は辛かったなぁ…。 昨日、ちょっと涼真と一緒に居ただけで心の底に封印していた過去の記憶が甦った。 「はぁ…」 パソコンのモニターの向こう側から、いるはずの無い過去の自分が俺を見てる。 その表情は俺をせせら笑っているようだ。 『あの時逃げたツケが回ってきたんだ』 そう言ってあいつは姿を消した。 「そんな事…!」 思わず声が出た。 「どうかしたか?まだ顔色が良くないな」 佐藤さんは俺の体調が良くないと思っていて、ちょっとした俺の仕草も見逃さない。 「はあ…どうにもしんどくて…」 咄嗟に出た言葉は曖昧で…けれど意外と今の俺の核心を捉えた言い方だったのかとしれない。
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