お母さんとの晩酌

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 ご馳走様、と箸を置いて立ち上がろうとすると、 「あら、達也どうしたの?」  とお母さんが言った。 「どうしたのって、何が?」  僕は何気ない風を装ったが、やっぱりお母さんにはわかっちゃうんだなとげんなりした。 「だっていつもと違うもの明らかに」 「そんなことないよ。いつも通りだよ」  僕は食べ終わったお皿を重ねて台所に持っていこうとする。 「だって、いつもだったら達也の大好きなうずらの卵、最後に食べるじゃない。でも今日は、中盤で口に放り込んでた」  確かに僕は大事なものは最後まで取っておくタイプだ。でも今日は事情が違ったので途中で頂くことにした。お母さんはそれを目ざとくチェックしてたようだ。 「たぶんあれじゃない?本当は最後まで取っておきたかったけど、今日はあんまり食欲がなくて最後の方はお腹具合的にかなり無理して食べることになりそうだから、美味しく食べられるうちに食べておこうと思ったんでしょ?」  僕はズバリ腹のうちを読まれてしまってぐうの音もでない。なぜこんなにも僕を見透かすことができるのだろう。 「そりゃね、私は達也の専門家ですから」 「なんだよそれ」  僕は自分がものすごく単純な人間なんだと思わされたような気分だった。 「だからほら、言ってみなさい」 「なにを?」  僕はここに到ってもまだ、すっとぼけたようと試みた。 「あるんでしょ、悩み」 「……ないわけではないけど。別にお母さんに言ったところで」 「うん。解決できるわけじゃないかもしれないけど、悩みは打ち明けるだけでも十分気持ちがすっきりしたりするものなの。とりあえずすっきりしちゃいなさい。そのモヤモヤした気持ちを」  僕は観念するようにお母さんと向き合って腰を下ろした。 「あのさぁ、すごいどうでもいいっちゃどうでもいいんだけど」 「私にとっては達也が悩んでるのはどうでもよくないから」  お母さんは本日2本目のビールをぷしゅっと開けた。 「……僕にしかできないことって、あるのかな?」 「達也にしかできないこと?そりゃあるんじゃない?」 「例えば?」 「そうねぇ。お母さんへのマッサージとか?」 「そんなの誰でもできるじゃん。ふざけないでよ」 「ふざけてなんてないって。達也のマッサージは極上よ。私のツボを的確に突いてくるもん。あれは達也にしかできないよ。プロより上」 「それはでも、僕にしかできないっていうか、単に経験の問題でしょ。僕は何回もやってるうちにお母さんのツボがわかってきただけだもん。マッサージ屋さんに行って毎回同じ人にやってもらえば、そのうち僕より上手にお母さんのマッサージができるでしょ?」  そもそもことの始まりは、お母さんがマッサージ代をケチりたくて僕にマッサージを頼んできたのだ。プロだと30分で何千円も払わなきゃいけないけど、僕だったら200円で済む。 「うーん、まぁそう言われちゃうと」 「僕が言いたいのはそういうことじゃなくて……ちょっと前にさ、授業で作文を書かされたんだけど」 「どんな作文?」 「将来の夢っていうテーマ」 「ああ、いかにもなやつだ」  お母さんはビールグラスをぐいっと傾けた。 「でね、先生が何人かを選んで最後に自分の書いた作文を読むんだけど」 「読んだの?」 「ううん。僕は選ばれなかったから。たぶん先生がチェックして出来の良かった人が選ばれたんだと思う」 「まあそりゃ出来の悪い作文をわざわざ読ませないよね。それじゃいじめだもんね。つまり達也は選ばれなかったことを気にしてるの?」  僕は首を振った。そういうことではない。 「そうじゃなくて、選ばれた人たちに圧倒されたっていうか、皆すごかったんだよ」  ほうほう、とお母さんは興味深そうな顔をした。 「どうすごかったの?」 「例えばね、高杉くんは将来世界的な食糧不足が来ることは間違いないから、そのための研究をしたいんだって。昆虫食の研究とか、お肉の細胞を培養して新たなお肉を生み出す培養肉の研究とか、他にもマグロの養殖とかマツタケの人工栽培とか、そういうやつ」 「なんか志高いねぇ。高杉くんってただの昆虫少年なのかと思ってた」  高杉くんは昆虫博士として名を馳せてはいるが、それでも僕は単なる昆虫好きの域をでないと思っていた。それだけに高杉くんの将来設計には舌を巻いてしまった。 「高杉くんは食いしん坊でもあるから食糧不足がすごく心配なんだって。だからこの問題は食いしん坊で昆虫大好きな自分にしかできない、自分がやるべきことなんだって胸を張ってたんだ」 「確かにあの子がうちに来た時、すごいおやつ食べてたもんなぁ」  お母さんは柿ピーの袋を開けて、3~4粒をまとめて口の中に放り込んだ。 「ピーナッツいる?」 「いらない。たまには自分で食べなよ」  お母さんは柿の種が大好きだけど、ピーナッツはあまり好きじゃない。だから大概僕にピーナッツを押し付けてくる。 「私のピーナッツを食べてくれるのも、達也だけなんだけどな。まあ大好きなうずらの卵を途中で食べちゃうくらいだから、しょうがないか」  お母さんのいう通り、今の僕はお母さんの食べ残したピーナッツを片づける気分ではないのだ。 「それで、高杉くん以外の人はどんな作文読んだの?」 「近藤さんはね、原発をなくすために太陽光や風力を利用した再生可能エネルギーの普及に努めたいんだって。すでに近藤さん家にはソーラーパネルが設置してあるって言ってた」 「ほぇー、これまたなんだか意識高い感じだね」 「近藤さんさ、親戚を原発事故で失くしてるんだ。だからこれは自分がやるべき事なんだって、ちょっと涙ながらに語ってた」 「達也は女の涙に弱いからなぁ」  確かに僕は近藤さんの読み上げる姿にじーんとしてしまった。けど別にそれは近藤さんがクラスでも有数の美人だからというわけではないはずだ。断じて違う、と自分では思いたい。 「で、他の皆もそんな感じですごくしっかりと自分にしかできない将来の夢を語ってた」 「ふむふむ、なんか今時の小学生ってそんな感じなのかもね。で、一方の達也くんは?」  お母さんが僕をくん付けで呼ぶときは、大体からかってやろうという魂胆がある時だ。 「平凡だよ。どこかの会社に勤めて、安定したお給料をもらって、家族をつくって犬を飼って、みたいな。すごく普通な感じ」 「いいじゃんいいじゃん。なんか達也ぁーーーって感じで」  まあ将来の夢ってテーマからすると、ちょっと地味かもね、とお母さんは付け足した。 「僕も書き上げたときはこれでいいって思ってたんだけど」  ケチのつけはじめは先生に見せた時だ。そこで先生は書き直しを命ずるようなことはなかったけど、読んでる間中は終始苦笑するような反応だった。 「苦笑かぁ。私だったら爆笑してたのになぁ」 「爆笑されてたらきっと今日、うずらの卵食べれなかったよ」 「そりゃよかった。うずらの卵残されたら私も八宝菜の作り甲斐がないもんね」 「それで、さらに皆の作文を聞かされて、自分はなんて皆に比べて普通なんだろうって。皆は自分にしかできないことをちゃんと見据えてるのに、僕には自分にしかできないことなんてあるのかなって」 「だからマッサージ」「マッサージ以外!!」 「じゃあピーナッ」「ピーナッツも除外」  我がままだなぁ、とお母さんはグラスのビールを飲み干した。 「結局僕には、自分にしかできないことってないんだよ。そのことに気づかされてちょっと落ち込んでたってわけ」 「うーん。達也が勝手にそう決めつけてるだけじゃない?達也にしかできないことって、もちろんそんな簡単には見えてこないかもしれないけど、ちゃんと探せば見つかるんじゃないかな」 「僕もそう思ったよ。僕だってなにもしなかったわけじゃないんだ」 「どういうこと?」 「とにかくなんでもいいから僕にしかできないことをやってみたんだ。近所にさ、猫がいるでしょ?」 「ああ、あの野良ちゃんね」  うちの近所の空き地には野良猫が住みついていて、片足がなく片目も潰れている。おまけに毛並みも泥だらけで汚い。そんなナリだから子供たちからは呪いの黒猫と呼ばれ避けられている。 「あいつさ、いっつもゴミを漁ってるんだ。誰からも餌もらえないから。だからあいつに餌をやれるのって僕くらいなんじゃないかと思って」 「ふむふむ」 「こいつの役に立てるとしたら僕くらいかもしれないって。それでお小遣いはたいて猫フードを買ってあげたんだ」 「奮発したねぇ」 「でも、いたんだ僕以外に」 「餌あげてる人が?」 「っていうより、餌をあげてるんじゃなくて餌場を教えてあげてた」 「餌場?」 「そう。食べられるものが捨てられやすいゴミ箱の在処とかを、猫に仕込んでたんだ」 「誰が……ああ、もしかして」 「うん。ここらへんでよく車中泊してる人」  どういう経緯なのかはわからないけど、この近所には家がなくなってしまったので空いてる場所に車を止めて、その中で生活している40代のおじさんがいる。特に害はないので今のところは問題にはなってない。 「うーん、それはちょっと問題だなぁ。確かパン屋さんが捨てるパンとかあったら貰えませんか、って頼まれたって言ってたけど。ちゃんと頼んでもらってるうちはいいけど、ゴミとか漁るようになったらさすがにちょっと……おまけにそれを猫に教えちゃうってのはまずいよね」  お母さんは困ったなあという顔をして、ビールに口をつける。 「でもさ、それはそうかもしれないけど、猫にしてみたらすごく助かると思うんだ」 「猫目線だとそうかもね」 「しかも食べられるものが捨てられやすいゴミ箱の場所なんて、普通の人はなかなか知らないから、あのおじさんにしかできないことだと思うんだ。それに比べて僕は」  しょせんお母さんから恵んでもらったマッサージ代で餌を買ってやっていい気になっていた自分が恥ずかしかった。 「いやでも、猫目線的には猫フードもらって嬉しかったと思うよ」 「でも結局それは、僕以外にも誰にだってできることだったんだよ。お母さんにだってできるでしょ?」 「できるっちゃできるけど。でもそう思って今までしてこなかったわけだから、一生できないような気もする」  お母さんはわかるようでわからないことを言った。 「そんな曖昧な言葉じゃ騙されないよ。他にもね、なにか僕にしかできないことを、って思って絶対に誰もやらないことを探したんだ」 「おお諦めなかったんだ。諦めの悪い男だね」  茶化すようにお母さんは言った。 「で、なにをやったの?」 「クソゲー」  僕は即答した。 「は?」 「だからクソゲー」 「クソゲーって、クソみたいなゲームってことだよね」 「そう。誰もがやらないような、つまらなかったり難易度設定がおかしかったり、そういうゲームをプレイして完全にクリアしてやろうと思ったわけ。普通の人なら途中で匙を投げちゃうから、僕は最後までプレイしてやろうって」 「なかなか斬新な方向に舵を切ったねぇ」  感心と呆れが混ざったような顔になるお母さん。 「できればそのなかで、少しでも面白い要素とか楽しい部分とかも見つけ出せればいいかなって。いくらクソゲーとはいえ作った人がいるわけだし、その人たちは少なからず自分の作ったものへの愛情とかあるだろうから、ほんのわずかでも僕がそれをくみ取ることができたのなら、それは僕にしかできないことなのかもしれないって」 「作った本人たちも納期に間に合わせただけのどうしようもないクソゲーって思ってる可能性もなきにしもあらずだけどね」  お母さんは身も蓋もないことを言った。 「そういうこと言い出したらキリないじゃん」 「ごめんごめん。で、クリアしたの、クソゲー?」  本日3本目のビールを取りに行くお母さん。 「したよ」 「おお、頑張ったじゃん」 「でも、いたんだよ他にも」  僕はそのクソゲーのプレイ日記をつけていたので、インターネットで公開してみるのもいいかもしれないと思っていた。そんなことをする物好きは僕くらいなのではないかと。 「そしたらさ、いたんだよ他にも」 「プレイ日記公開してる人が?」 「ううん。そうじゃなくてスタートからエンディングまでの実況プレイをしてる人がいたんだ。しかもその動画がめちゃめちゃ人気で再生回数でゲーム動画の上位にランキングされてたんだ」  実際にその動画を見てみたら、ものすごく面白かったのでひどく驚いた。その人の実況自体がまず面白いし、そのクソゲーへの愛みたいなものも感じられるので、このゲームは本当はクソゲーじゃないんじゃないかっていう一般的な評価への見直しも促されるようなものになっていた。そんなこと、僕にはとてもできない。 「へぇえ、色んな人がいるんだねぇ。ネットは広大だわ」 「と、いうわけで、色々試したり探したりしたんだけど、結局僕にしかできないことなんてなかったってわけ」 「なるほどねぇ」  お母さんの目が少しとろんとしてきた。酔いがまわってくるとお母さんはこういう顔になる。 「でもさ、本当に達也がいま挙げた人たち、高杉くんとかクソゲー動画実況者とか、それってその人たちにしかできないことなのかな?」 「どういうこと?」 「だって食糧不足のための研究をしてる人とかやろうとしてる人って、なんだかんだ一杯いるはずだよ。世界中探せばそれこそ超優秀な人が。そういう意味じゃ高杉くんだって普通じゃない」 「そりゃ上を見ればキリがないだろうけど」 「でもそういうもんだよ。クソゲー実況者だって広大なネットのなかにはきっとたくさんいるんじゃない?」 「そりゃいるかもしんないけど」 「だから本当は、きっと皆、自分にしかできないことなんてほとんどないんだよ。もちろんごく一部の例外はあるのかもしれないけど、そんなのほんのごく一部だよ。大多数の人は皆、自分にしかできないこと、じゃなくて、誰にでもできるけど誰でもできることを自分なりのやり方でやってるだけなんじゃないのかなぁ」  酔っ払いの戯言、と聞き流すことも出来たけど、僕はなんとなくできなかった。 「自分なりのやり方……」 「そう。例えば今日、達也は途中で大好きなうずらの卵を食べちゃうくらいに、あんまり食欲はなかったわけだよね」 「うん、まぁ」 「けど、最後までちゃんと八宝菜を残さず食べてくれた。それってきっと作った私への感謝とか、食事残して余計な心配かけたくないって思ったからでしょ」  ズバリそうなのだが、素直には頷きがたい。 「……」 「そういう感謝の気持ちとか心配かけたくないって思い、誰にだってできることかもしれないけど、それを達也なりのやり方でやってくれたってことなんじゃないかな。自分にしかできないことって、そういうことだと思うよ」  ビールをぐびぐび飲み干して五本目に突入する絶好調なお母さん。 「なんかわかるような気もするけど、なんか煙に巻かれてるような気もする」  心の靄が張れたと思ったら、また別の靄におおわれてるだけというような妙な気分だった。 「しょうがないなぁ、じゃあとっておきを教えてあげよう」 「とっておき?」 「そう、絶対に達也にしかできないこと」 「そんなのあるの?」  結局僕にしかできないことなんてないけれど、僕なりのやり方でやっていけば自分なりにできることがあるっていう結論に落ち着いたのだと思っていた僕は、お母さんの自信ありげな発言にびっくりした。 「あるよ。それはね」 「それは?」  僕は勿体ぶるお母さんに待ちきれなくて身を乗り出して詰め寄った。 「酔っぱらったお母さんをこんなにも楽しませてくれること。達也の感じたこととか経験したことの話が私は一番好きだからね。なにせ私がいちばん興味のあることだから、その話を聞くのが一番楽しい。特にお酒飲みながら聞くのは最高。だからこれは達也にしかできないよ。それに私をこんなにも心配させてくれるのも、達也くらいだね。達也の様子がおかしいと、私は超心配だから。私をこんなに心配させてくれるのは達也くらいのもんだから、これも達也にしかできない」 「それって……いいことなの?」 「よくもわるくも、かな」  確かにそれは僕にしかできないことなのかもしれないけど、結局お母さんに言いくるめられただけのような気がしないでもない。でもこんな風にビールを何本も開けてしまいながら、僕のくだらない悩み話につきあってくれて、それなりに解決っぽいやつを導き出すことができるのは、お母さんくらいなのかもしれない。それはきっと僕にとってかけがえのないものだ。  僕もいつか、お母さんのように誰かにとってかけがえのない人になれるだろうか。そんな風に思いながら、僕はお母さんが残したピーナッツを口の中にまとめて放り込んだ。
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