1話

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『今日家行っていい?』  玲奈からメッセージが来たのは3限後の休み時間だった。せめて前日に言ってくれと思いながら、親がいないから構わないと返事をする。  西宮玲奈に告白されたのは、たしか7月頃だった。好きだったわけじゃないけれど、かわいいし玲奈がモテるのは知っていたから付き合うことにした。  うちの親の帰りが遅いのをいいことによく家に遊びに来る。遊びにといってもセックスだけして親が帰ってくる前に帰るのだが。うちはいいけれど、玲奈の親は何も言わないのだろうか。言わないか。もう心配されるような年齢じゃないもんな。  玲奈はいつも俺の部活が終わるまでどこかで時間をつぶしている。部活が終わったら連絡し、駅で待ち合わせだ。 「界人にもらった手袋、毎日使ってるんだよ。これあったかい」 「そう。よかった」  クリスマスに初めてプレゼントをした。  玲奈はいつもきれいに化粧をして髪を整えている。休日に会うときも流行りの格好をしているから、プレゼントには本当に困った。  俺はファッションには疎いし、だからといってキーホルダーなんて付けないし、財布や手帳は自分で好みのものを買った方がいい。文具コーナーに行って小学生か、と自分で自分にツッコミを入れ、無難に手袋にした。機能性があればデザインはある程度見逃してもらえるし、何より値段が手頃だった。  玲奈の誕生日は3月。またプレゼントを用意しなければいけないのに、クリスマスにあまり金はかけられない。 「でも手袋してると手つなげないから、今は外すね」  手袋を外してコートのポケットにしまい、指を絡める。玲奈は自分をかわいく見せる術を心得ているし、それでかわいく見えることを知っている。  家に着くとそのまま俺の部屋に向かう。最近はお茶も出さなくなった。6畳の部屋はベッドとローデスクと本棚でほとんどスペースが埋めつくされている。  ドア脇のちょっとの隙間にカバンを置くと、玲奈は背伸びをして首に手を回し唇を重ねてくる。 「待って。上着脱がせて」  制服のジャケットが苦手だ。早く窮屈さから解放されたかった。どうせすぐに全部脱ぐんだけど。  玲奈とは付き合い始めたその日にキスをした。向こうも処女じゃなかったから、半月もしないうちにセックスをした。  こんなものかと思った。太一のお姉さんの友達の方がずっとドキドキした。何もかも初めてだったからだろう。お互いに慣れていると、こんなにもあっけないものかと虚しさを感じたのを覚えている。  半年も経てばセックスだってマンネリ化する。決まった作業をしているみたいだ。玲奈はどう思っているんだろう。かと言って、他に玲奈としたいことがあるかと聞かれれば何も思い浮かばない。今の関係がちょうどいい。 「界人、何考えてるの?」 「何が?」  仰向けになって天井を見つめているところに話しかけられ、上の空になっていたことに気づく。それがバレてしまったことにドキリとする。 「何か考えごとしてる顔だった」  抱きついて顔を覗きこんでくる。お得意の上目遣いだ。 「ああ、明日英語当たるなって」 「もう。私といるときは私のこと考えてくれなきゃヤダ」 「考えてるよ」  キスでごまかす。玲奈はキスが好きだ。それで満足してくれるから楽だと思ってしまう。うるさく言ってくるような子だったらとっくに別れているだろう。  ゆっくりする間もなく玲奈は帰る準備を始めた。下着とシャツを着る。制服を着て髪を整えて、鏡を取り出し化粧をチェックする。どの仕草を切り取っても抜け目なくかわいい玲奈の後ろ姿を見つめる。それでも、そこまでの気持ちなんだよな、と思いながら。  結局、英語の予習はできなかった。当てられた問題はたまたま分かったからなんとか乗り切った。 「界人。英語当たるからとか言って、デートなら正直にそう言えよな」  玲奈が教科書を貸してほしいと言うから教室に届けに行こうとしたところを太一につかまった。面倒くさいことになりそうだ。 「ごまかそうったってムダだぞ。昨日玲奈ちゃんと一緒に帰っただろ。そんな嘘つかなくても、デートの邪魔してまでカラオケ来いとは言わねーよ」 「別にごまかす気もないけど。急に玲奈から連絡が来たんだよ。授業の予習は本当にするつもりだったんだ」 「はいはい。そういうことにしといてやるよ」  やっぱり面倒くさい。何を言ってもおもしろがるだけだ。これ以上の反論は意味がない。 「ごめん。通っていい?」  教室の出入口をふさいでしまっていたようで、廊下に出ようとする女子に声をかけられた。背中を向けているから顔は見えないけれど、その声には聞き覚えがあった。 「ああ、ごめん」  太一が道をあけると、その女子は一瞥もくれず黙って出ていった。昨日話した、吉野千紗だった。 「怖ぇ。吉野に初めて話しかけられた。怒ってたよな」 「道塞いでた俺らが悪いんだろ」 「そりゃそうだけどさ。そういえば界人もどっか行くところだっただろ。呼び止めてごめんな」  今さら謝られてもムダにした時間は戻ってこない。  それよりも。なぜだかきまりが悪い気持ちになる。太一とのやりとりを千紗には聞かれていただろう。玲奈の話をしているところを彼女に聞かれるのが、なんだかいけないことのような気がした。なぜそんなことを思ったのか、気になりつつも休み時間が残りわずかなことに気づき、慌てて玲奈のところへ行った。  次の授業、千紗の様子をうかがう。どう思ったかなと考えてバカらしくなる。どうも思っちゃいない。彼女にとってただのクラスメイトでしかない。お互いそれだけの存在のはずだ。  でも、昨日話してからどうにも気になってしまう。彼女のことで頭がいっぱいだとかそんなことはない。ただ、たとえば千紗が目の前を通る。無意識に目で追ってしまう。その程度のことだ。気にしたらよけいに気になる。これ以上は考えない方がいい。なんとなくそう思った。  今日は部活が終わったらみんなまっすぐ家に帰るらしい。昨日のカラオケが響いているようだ。いくら使ったのか知らないけど、さすがに週1回のバイトでそんなに遊び回ってはいられない。  俺も本当はバイトをしたいんだけど、1日ベッドの中で過ごして日曜日が終わってしまう現状では難しい。なぜこんなに疲れるんだろう。心が休まらない。誰といても、何をしていても。俺は何をしているんだろう。  こんなにがっつり部活に励む気はなかった。モテるからと誘われて入ったけれど、関係ないところであっさり彼女ができた。  このまま続けてもスタメンには入れそうにない。そりゃあそうだ。中学の頃からサッカー部だった太一や他のみんなに、成り行きで始めた俺が敵うわけがない。  今の俺は、周りに流されているだけなんじゃないか。急に虚しさに襲われてすべてがどうでもよくなる。  明日は土曜日で朝から部活。とても行く気になれない。サボってしまおうかと思ったけれど、それで何が解決するわけでもなかった。  結局、ただ流れに乗っていくことしかできない。逆らうことも、断ち切ることすらできず。
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