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今日は出生前診断の結果が出る日。
この子を授かって半年。昔とは違い、今は産まれるその瞬間まで胎児に人権など存在していない。母体の保護に関しては、医療技術が進んだからというタテマエがまかり通っている。まあ、この不都合な現実について強く指摘しようとするような人間はこの世界には存在しないだろう。
「今回の診断結果なのですが、エラー確定です」
目の前にあるディスプレイに女性が映るや否や、彼女は何の前置きも無く、なんの感情も乗せられていない言葉を口にした。
「エラー確定……でしたか……」
私は重い気持ちになりながら、彼女の言葉を反芻する。そして、今私が見ているのと同じ映像をどこかで見ている男女がそっと画面をオフにする姿を想像した。
二人は画面を落とした後、二人で顔を見合わせて『残念だったね。じゃあ、次の予約をとらないとね』なんてことを言いながら手帳を開き、次の予定を立て始めるのだろう。珈琲を淹れ、ケーキでも食べ、笑い合いながら。
私のお腹の中にいるのは彼と彼女の子供。二人とは面識は無いけれど、契約が成立した際、胎教に使うための音声データはもらっているし、今まで彼と彼女の語り掛ける我が子への愛の言葉を聞き続けてきているので、二人が子どもに臨むこと、二人の思い出なんかは嫌というほど頭に叩き込まれている。
”かわいいかわいい赤ちゃん。早く会いたいね”
”一緒に遊ぼうね”
”楽しいこと、いっぱいしようね”
そのすべての言葉たちを聞き、ここまで大きくなってきたこの子は、この声の主ともう会うことは叶わない。一緒に生活だって出来ない。可哀そうに。
「ということですので、これから出産まで体には今まで以上に充分気を付けて下さいね」
ニコリともしないで、画面に映る女性は私にそう告げると一方的に通信を遮断した。
小さな部屋で一人。私はやり場のない気持ちでいっぱいになる。窓の外はいいお天気で、ゆっくりと流れていく小さな雲は私とこの子のようだ。大きな世界にポツンと取り残された存在。
「あなたもそうなのね」
私はお腹をさすりながらゆっくりと中の人に話しかけた。
今までは彼と彼女以外の声をあまり聞かせないようにと、私は極力声を出さないように生活してきたけれど、これからは彼と彼女の声を聞かせることは禁止になる。最初に発達して、最後まで残ると言われる聴覚。産まれる前に聞いていた声をどれだけ覚えているのか、死ぬ直前にかけられた声がどこまで聞こえているのか。そんなことはまだ誰にもわからないはずだけど、このことは未だに大切にされていて、産まれる前は両親の声を。死の前には近親者の声を。その風習は廃れることなく続いている。
なのでお腹にいる間は原則、私は自分のお腹の中にいる子供に声をかけてはいけない。しかしエラーが出たことにより、今からはこの子に話しかける人間は私だけになった。
この子にエラーが発見されたということは、この子は私と同じ道を歩むことになる。
私はお腹に手を当てながら、今まで私が歩んできた道を振り返った。何回も経験した、お腹の子にエラーがあるとわかった今までと同じように。
何不自由なく育てられ、経験出来ることはエラーの無い子供たちよりもはるかに多い。栄養価のある食べ物を食べ、快適な温度に設定された家でふかふかのベッドで眠りについた。そしてそれが当たり前だった。
むしろ、それ以外の育てられ方をしている子供がいることなんて、未だ想像することすら出来ない。子どもとは大切に育てられ、集団で育てられるものだというのが私の常識。
しかし、私たちは両親と一緒に生活することや、彼らの声を聞くことも肌の温もりを感じることも叶わない。それどころか、映像としてですら彼・彼女の顔をひとめですら見ることが出来ないのだ。
もちろん、それが当たり前の環境で育つので寂しいという感情はこれっぽっちも感じることはないし、またそれが幸せなのか、不幸せなのか。その基準すらよくわからない。
そして一番”普通”の人間と違うところは、妊娠出産が可能であるというところだ。
今の世の中、エラーがある人間にしか出産の権利は与えられていない。いや、正しくは、エラーのない人間は子供を作ることが出来ないのだ。
なのでこの敷地外に生活しているすべての人間は、子どもが欲しいと思ったら国に申請書を提出する。そして、子どもを養育できる環境であると国が認めた夫婦にのみ子どもを持つ権利が与えられ、そして、私達敷地内の人間が産み落とす子を待ちわびる。
その間、親の自覚を育てるために定期的に子どもの状態を彼らへと送る。日々大きくなっていく我が子(になる予定の人)を見ることで幸せな気持ちが大きくなっていくのだそうだ。自分のお腹にいなくても、すくすくと育つその子との未来を思い描くことで愛おしさも沸いて出てくるものなのだろう。
そのような状態になったことがない私にはわからないけれど、実際に生き物を育てていると湧いてくる愛着と同じようなものが、手元にいない生き物に対しても湧いてくるようなものなのかもしれない。
しかし、この子はエラーが確認されたので、これまでこの子と一緒に育てられた愛着と共に生活をすることはなくなってしまった。両親になる予定だったあの2人の心の中からは、もう既にこの子の存在はすべて消されてしまっているに違いない。
この子は産まれてこない方が幸せなのかもしれないな。
なんてことをふと考えた。
とはいえ、私だってここまで自分のお腹の中で育ててきた子に愛情がないわけではない。この子をこの世界に送り出せるのは私だけ。できれば健康に産んであげたい。幸せな未来を歩んで行って欲しい。
エラーがある私はこの人生が不幸かと聞かれたら、不幸だと答えるだろう。しかし、すべてが不幸なわけではない。飢えで苦しむことも、医療に恵まれないことも、寒さで凍えて死んでしまうことも決してない。普通の人間には出来ない妊娠、出産だって数えきれないくらい体験できる。
ある意味、恵まれた、幸せな生活。
でも。
でもどうしてだろう。
それだけ恵まれた生活が保障されていると理解していても、なんとなく私はこの子に同じ道を歩んでほしくないと心のどこかでそう思ってしまうのは。
<終>
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