29人が本棚に入れています
本棚に追加
私の村が、はやり病に侵されていると聞いたのは、そんな時だった。
半死半生で仕事をこなしていた私の頭は、ばちんと冴えた。
「どうか治しに行かせてください」
今までなら、この頼みは通らなかっただろう。けれど、ソニアに出会い、陛下は変わった。
だから、私は村へと向かう馬車に、即日乗っていた。
皆を治して……そして、すぐに、王宮へ戻らなければ。何をしに戻るかは、むなしくて、考えたくなかった。
村が見えて目を見開く。リンゴの木が、枯れ果てていた。
あんなに、嫌いだったリンゴの木……村の象徴……それが冬のように……
――私の心に、村に対する涙の泉はないと思っていた。けれど……
村は死に体だった。倒れ伏すひとびとの、すえた臭いが、外でもこもっていた。
私は、馬車を飛び降りると、皆のもとへ向かった。
私は腕を広げ、力を放った。
倒れ伏していた人々が、動く。リンゴの木が、よみがえる。
まだ、足りない。もっともっと、力がいる……!
私は目をとじて、力をふるい、村を走り抜けた。
走って、走って、辿り着いたのは、わが家だった。村のはずれの、小さな家。リンゴの木が、ポツンと立っている――
「お母さん!」
「マリー!」
声を上げたのは、ティムだった。ティムは、ぼろいベッドに横たわる母につきそっていた。か細い、枯れ木の様な手を、そっと包んでいる。目を見開いて、それから、悲し気に顔をゆがめた。
「お母さんは!」
「マリー……」
ティムは、私の手を引き、そっと母に引き合わせた。
母は、眠ったようにこと切れていた。
「ああ……!」
私は床にへたり込んだ。
癒しの力は、死者には効かない……ティムが、私の背に、そっと手をやる。
「今しがた眠るように逝ったよ」
私は、あらん限りの声で叫んだ。同時に、涙があふれてきた。
なんてことをしてしまったんだろう。
何でこんなことになったんだろう。
「お母さん……! お母さん……! ごめんなさい……!」
「ちゃんとお別れするんだ。マリー」
ティムが、私を立たせた。そうして、そっと肩を抱き支える。
「おふくろさんは、いつだって、お前を誇りに思っていたよ」
「うそよ。私のせいで、ずっと苦労してきたんじゃない」
父が、早くに死んで、ずっと一人で私を育ててきた。私がいなければ、もっと暮らしは楽だったはずだ。
「マリーは、人をたくさん助けてるんだって嬉しそうだった」
ティムは、母の言葉をそらんじる。ティムの声が、記憶の母の声と重なる。やさしい、あたたかい……
「でもね、ティム。私はねあの子が立派だからうれしいんじゃないのよ」
「あの子が生きて、笑ってくれてる、それが一番うれしいのよ」
私は泣いた。泣いて、母にすがった。
もう泣いても帰ってこない。でも、ならこの涙はどうすればいい?
わからないから、泣くしかなかった。
ずっと泣いて泣いて……
晩に、母のなきがらを埋めた。ティムと一緒に……。
私は、祈りの言葉をつぶやきながら、リンゴの挿し木を、そっと植えた。父の木のとなりだ。
王宮の報せが追ってきたのは、翌日の事だった。
村は、すっかり病から立ち直っていた。
私は、はじめて使者を迎えたあの日のように、家で使者の話を聞いた。
ソニアが、陛下の妃になることが決まった。
お妃教育で、忙しくなるから、至急帰ってきてほしいとのことだった。
頼まれるでもなかった。
私は、使者を見送り、外に出た。ティムが、リンゴの木の下に立っていた。
「行くのか?」
「うん」
ティムは何も言わなかった。
私は、ティムのもとへ歩いて行った。リンゴの木の下に。
「私にしかできないことだもの」
前と同じ言葉……けれど、前とは違う気持ちだった。
ティムは、私を抱きしめた。私は頬をすり寄せる。このぬくもり。
「オレは、ここで生きる。それがオレの道だから」
「うん」
私は目を閉じる。リンゴのあまい香り。ティムのあたたかな鼓動。
今度は、すべて連れていく。二度と忘れない。
「素敵な奥さんを、迎えてね」
私の頬に、伝った涙は、どっちのものか、わからなかった。
最初のコメントを投稿しよう!