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「あのおじさん、今日もいますよ?」
「ほんとだ……またウチの園児を見てますよね」
「ですよね……通報とかした方がいいんですかね?」
「うーん、でもまずは注意してからじゃない?」
「それもそうですね」
「「じゃあ、生守先生、お願いしますね」」
「あ、はい……」
ったく、めんどくせぇ。別に何してくるわけでもないんだし、あのカッコ、仕事行く途中だろうよ。なんでわざわざ注意なんか。やるならお前らでやれよ……そう思いながらおっさんの所へ向かう。
朝九時の園内は、子どもたちの声ですでに騒がしい。そんな中を通り過ぎて、園庭の近くで立ち止まっているおっさんに声を掛ける。
「あの、何かご用ですか?」
「あっ、い、いえ……し、失礼しました!」
おっさんはそそくさと立ち去っていった。近くで見れば思ったとおり出勤前のようだし、ロリコンとかそんな感じでもなかった。少し気の毒に思ったが、まぁ、俺も仕事だからな……そんなことを考えながら園内に戻る。すぐに、
「生守くん、どうでした?」
と園長が話しかけてきた。
「いえ、なんか声を掛けたら立ち去っちゃいましたよ?」
「えー、やっぱ不審者かなー? 保護者とかじゃないし…困ったなぁ……生守くん、しばらくの間様子見て、声かけお願いしていい?」
「はい、わかりました」
「もしなんかあったらすぐ通報しちゃって! 物騒な世の中だからねー」
顔に笑顔を貼り付けたまま「そうですね」と返すと、満足したのか園長は職員室に戻っていった。子どもが好きな男はもれなく犯罪者みたいな発想やめてくんねぇかな……。まぁ、あの様子ならおっさんもきっとしばらくは来ないだろうし会うことはないだろうけど。考え事をしつつ自分の受け持つ組へ向かえば、「いくせんせー」なんて言いながら子どもたちが近づいてくる。その笑顔に癒される。さぁ、今日も頑張るか。
◇◇◇
……かわいいなぁ…。楽しそうにはしゃぐ子どもたちを眺めながらしみじみ思う。仕事に行く前に、ここで子どもたちの楽しそうな様子を見るのが、僕の楽しみのひとつだ。子どもはかわいい。若い頃から子どもが好きで、子どもたちと関わる仕事に就きたいと思ったこともあった。だけど……
「あの頃は、保母さんって女の人の職業だったからなぁ……」
思わずそうこぼす。この保育園には男の先生がいる。羨ましい。あぁ、僕も子どもいっしょに遊んだり眠ったりしたいなぁ……と思っていたら、まさにその羨ましく思っていた男の先生に声を掛けられた。
「あの、何かご用ですか?」
「あっ、い、いえ……し、失礼しました!」
まずい! これは不審者だと思われてるんだ! そそくさとその場を立ち去って、仕事へ向かう。うぅ……僕の癒しの時間……でも、不審者って思われてるみたいだし、控えた方がいいよね……。うわー、恥ずかしい。まぁ、僕が行かなきゃ顔合わせることはないだろうけど。
◇◇◇
「「あ」」
「え、あ…ど、どうも……」
「どうも……」
再会は意外な場所だった。近所のスーパー。やば、思わずあ、とか言っちゃった。うわ、気まず。何か言うべきか? と思っていたら、おっさんの方が先に話しかけてきた。
「あ、あの……先日は、その…失礼しました。その、僕、ただ子どもたちに癒されていまして……。」
あぁやっぱりな、と思った。園児を見つめる目が、俺たちと同じだったから。そう思ったら思わず言っていた。
「あ、あぁ、いえ……あー、その、ちょっとお話できません?」
俺がそう言うと、おっさんはちょっとびくっとした後、俺の様子をうかがって、敵意がないことがわかったのか了承した。ただし、余計な一言と一緒に。
「あ、はい……でも、その……冷凍食品とか大丈夫ですか?」
俺のカゴの中はインスタント食品と冷凍食品、あと惣菜。おっさんのカゴの中は……え、この人主婦かなんかなの? 野菜やら肉やら、料理の材料と思しき、調理しなきゃ食べられないものが入っている。なんか俺がダメみたいじゃん。
結局、俺は冷凍食品を買うのをやめた。そしてなぜか、おっさん、もとい小木さんの家にいる。俺の発言を聞いた小木さんが、俺のカゴの中を見て「もしよければ、うちで何か食べながらお話ししますか?」と言ったからだ。そんなわけで小木さんについて来たのだが……。
「え……一人暮らしで、仕事してて自炊まで?」
「はい。慣れればなんてことはありませんよ? それに、僕の仕事は残業も休日出勤もほとんどありませんし。」
「いやでも……」
「それに、若い時はよくても、歳をとったらあんな食事じゃやっていけませんよ?」
くすくすと笑いながら、料理をする小木さんの後ろ姿を眺める。俺、何しようとしてたんだっけ……。
しばらくたわいも無い話をしていると、美味しそうな匂いがして来た。
「盛り付け手伝ってもらえますか?」
「あ、はい。」
「じゃあこれを……」
そうやって一緒に準備して食卓に並んだのは、鯖の塩焼きと、きんぴらごぼう、味噌汁と、天ぷら? 久々に目にする出来たての手料理。
「生守さんみたいな若い人にはちょっと物足りないかも知れませんが……。」
苦笑いしながら言う言葉を聞き流しながら、ちゃんと炊いたご飯でさえ久々に食べるというに気づく。
「お手伝いありがとうございます。どうぞ?」
「いえ、…いただきます。」
確かに、正直肉の方が好きだけど、まぁ魚なんか本当に久しぶりだし、油が乗って美味しそうだ。
大学行くために家を出てかれこれ6年、実家には盆と正月以外ほとんど帰ってない。バイトやら仕事やらで食事は後回しだしな、なんて考えながら、食事に手を伸ばす。とりあえず味噌汁。ずずずっと汁をすすって、それから箸で具を掴んで食べる。
「キャベツ?」
「そう、アスパラも入って……あ、アスパラ被りしてしまいましたね。」
味噌汁にキャベツ? と思ったが思ったよりイケる。程よく柔らかいキャベツと、口の中で解けるようなアスパラガス。ウチの味噌汁より甘い気がする。出汁が効いてて美味い。お腕から口を離して、ほう……と思わずため息を漏らす。
「うま……」
「ふふっ……それはよかったです。」
あ、嬉しそうだ。いや、手料理ってこんな美味かったかな……
「ぁ、いや……めちゃくちゃ美味しいです。料理うまいんですね。」
「いえ、それほどでは。趣味ですよ、趣味。」
「いや、まじでうまいですって……」
そう言いつつ、他のおかずに手を伸ばす。
きんぴらは触感も好みでしっかり味が染みている。天ぷらは……これ、何の天ぷらだ? なんか黒っぽい……。
「あぁそれは、キクラゲの天ぷらですよ。お塩でどうぞ。」
「キクラゲ……。」
八宝菜とかに入ってるやつ? 恐る恐るかじりつくと、サクッとした食感のあと、噛んでいるとコリコリとした食感と旨味が出てくる。
「キクラゲの天ぷらとか初めて食べましたけど、美味しいすね。」
「でしょう? キクラゲ、今旬なんですよ。」
にこにこと機嫌良さげに笑う小木さんに、なんとなく嬉しくなる。その気持ちを誤魔化すように、もう一つの天ぷらを箸で掴む。
「あ、それはこのソースをかけてみてくださいね。」
ソースを受け取って、アスパラガスの天ぷらを浸す。アスパラ被りってこれか。口に含んで、サクフワ食感に驚く。熱い。これ天ぷらじゃないな。
「どうですか?」
「うまいでふ。」
あ。
「ふふっ……よかった。若い人の好きそうなのが一つくらいは必要かと思いまして。それ、衣に粉チーズが入ってるんです。えっと……ふりっと、だったかな。」
クスクスと笑いながらそう言う小木さんに、気恥ずかしさを感じながら食事をする。鯖の塩焼きも脂が乗ってて、塩気をちょうど良くて、米が進む。
途中、おかわりまでして、夕食を終え、出された温かいお茶を飲みながら、自分が何しにきたのかを思い出した。と、同時に目の前に座った小木さんが、切り出した。
「それで、僕に何の御用でしょうか。その、先日の件ですか?」
恐る恐るという感じで言う様子に、申し訳なさが募る。
「ご馳走様でした。本当にどれも美味しかったです。えっと……あの、突然すみません。もしかしてなんですけど……昔、お子さんを亡くされた、とかですか?」
「え?」
あれ、違ったのか? てっきりそういう感じかと思ってたんだが……。ぽかんとした顔の小木さんに、慌てて言い訳をする。
「い、いえ……その、先日、というか……以前からうちの保育園を眺めてましたよね? なんか切なそうだったんで、その、訳ありかな、と……。すみません、個人的なことに踏み込んで……!」
よく考えたら、俺めちゃくちゃ図々しい上に、そもそもそれ聞いてどうするつもりだったんだよ! できることなんて何もねぇのに……!
「あ、いえ……その、あー……、子どもは、いません。僕、無精子症なんです。」
「そ、れは……。」
「そのせいで、妻とも離婚しまして……。」
小木さんとの間に沈黙が落ちる。やば……なんか、もういろいろと土足で踏み入ってしまった……! 心の中で頭を抱える。と、小木さんが口を開いた。
「いやー、重い話をしてしまってすみませんね。突然こんなこと言われても困りますよね。」
でも、前からバレていたんですねぇ……と、苦笑いする小木さんに、俺は思わず口が滑った。
「お、俺……ゲイなんすよ。」
言ってから、しまったと思う。それがどうしたって感じだよな。またもやぽかんとする小木さんに、しどろもどろに説明する。
「女性とは……その、デキないので、子どもを持つことはできないんすけど……その、子どもが好きで……それで、その、この仕事に……。その、小木さんも、子ども、好きっすよね?」
またもや訪れる沈黙に耐えていると、小木さんが堪えきれないという感じで笑った。
「ふっ、ふふ……敬語、無理してたんですか? いいですよ、普通に話していただいて。」
「え、あ、あー……はい。」
「ふふっ、まだ敬語っぽいですね。そうです、僕ね子どもが好きですよ。あ、もちろん性的な意味ではありませんよ! 無邪気で、元気が良くて、人を笑顔にしてくれる……。もしよければ、おじさんの昔話に付き合ってくれませんか? あと、生守さんの仕事のお話も聞かせてほしいです。」
そう言って、小木さんはふわっと笑った。
それから俺は、小木さんと週に数回、夕食を共にする仲になった。小木さんの作ったメシを食いながら、仕事中の子どもたちのかわいいエピソードを話す。楽しそうに聞いてくれるが、小木さんには殆どメリットは無いと思う。むしろ有り体に言えば、俺が胃袋を掴まれたわけだ。その上……まぁ、正直胃袋以外もぐらっときている。小木さんは俺の好みというわけではないし、ヤりたいとかそういうわけではなく……守りたい? みたいな、よくわからない感情を抱いている。
「どうかしましたか?」
小木さんに話しかけられる。仕事帰りに小木さんの家に寄って、「おかえりなさい」という小木さんの姿を見たら、こうグッと……って、ホント何なんだ俺! という感じの本音を隠しつつ、上着を脱ぎながら答える。
「あー……いや、別に。今日は何です?」
「今日は、ビーフシチューですよ!」
なんと半日以上も煮込んだんです! とドヤ顔するおっさんにときめくとか……俺もうダメかも。
「――なんか豪華?」
食卓に並んだ料理を見ながら、思わず思ったことを口に出してしまう。
「あ……気づいちゃいました?」
照れたようにそう言う小木さんがかわい、
「美味そう……今日なんかあったっけ?」
脳裏に浮かんだ言葉を打ち消すように言えば、
「あー……えっと、誕生日、ですよね?」
「誰の?」
「え、生守さんの。」
「ん? いつ? 今日?」
「あれ、違いましたか?」
スマホで日付を確認すれば、確かに誕生日だった。学生の頃は家族とか友だちとかから「誕生日おめでとう」とか言われるから思い出してたけど、一人暮らしだし、そもそも成人過ぎてからは別に楽しみというわけでもない。
「いや、誕生日です。」
「あぁ、よかった。とんだ赤っ恥をかくところでしたよ。さぁ、座ってください。食べましょう。」
小木さんの料理は相変わらず美味しそうだ。
「生守さんは洋食の方が好きそうだったので、メインはこのビーフシチューです。あとは――」
と料理の説明をしてくれる小木さんに見惚れる。
「あとですね……バゲットでもいいかと思ったんですが……僕には固いし、本場感を出したくて、こんなものを作ってみました。」
そう言ってパンのようなものを出される。
「ヨークシャープディングと言うそうです。本物は知らないので成功かどうかわからないんですけどね。というか、お腹空いてるのに、説明ばっかりして……早く食べたいですよね。」
眉を八の字にしてこちらを伺う様子があまりに可愛くて、そう、可愛いんだよ! 俺とは倍以上の年の差なのに、いちいち可愛くて困る。
「ホントにいろいろ作ってくれたんすね。嬉しいです。じゃあ、いただきます。」
ビーフシチューは全ての具材が口の中で解けるようなほろほろ具合で、旨味が溶け込んだコクのあるデミグラスが文句なしにうまい。いつもより濃いめの味付けなのも、俺仕様なのだろう。嬉しくなる。初めて作ったと言うパンのようなものもシュークリームの皮みたいな軽い食感で、シチューに浸すとめちゃくちゃうまい。まぁ、コメも食ったけど。それに、カプレーゼもサーモンのサラダも、何が洋風の茶碗蒸しみたいなのも俺好みばっかりだった。俺が食う様子をにこにこと機嫌よく見ている小木さんに思わず言う。
「本当に、初めて食べたのも、俺の好きな感じのばっかりです。まじでうまい。」
「それならよかったです。用意した甲斐がありました。」
そう言う小木さんに、また胸がぐっとなって、俺は気になっていたことを訊くことにした。一旦スプーンを置いて、小木さんを見つめる。
「ん? どうかしましたか?」
「……小木さんは、なんで、俺にこんなに良くしてくれるんです? お金だって……払ってる額じゃ全然足りないよね?」
「んー……僕、寂しいんです。独り身ですし、職場も、同僚とは普通に仲はいいですが、友人ではありませんし……それに、生守さんを通して子どもたちにも癒されるし、その、迷惑でしたか?」
「いえ……むしろ、」
「むしろ?」
「あ、いや、なんでも……!」
余計なことを口走りそうになって、俺は慌てて取りつくろう。けど「寂しい」なんて、この人は俺が初めに言ったこと忘れてるんだろうか……。俺の恋愛対象が男だと知った上で、こう言うことを言ってるなら、これもう据え膳だろ。と、思うものの、目の前でにこにこ食事をする小木さんは全くそのつもりはなさそうで、込み上げてくる諸々を堪える。
「さて……それでは……今日のメインは、これからですよ!」
夕食の皿を流しに運んだ後、小木さんが言った。
「誕生日といえば――……」
そう言って、冷蔵庫から箱を取り出してくる。
「ケーキ! ですよね。奮発して有名なお店のヤツを買いましたから、きっと美味しいですよー。」
そう言って、当の本人よりもはしゃぐ様子に、思わず、
「かわいいですね。」
と言ってしまう。あ、やば……と思った時には、小木さんは、ケーキの箱を抱えてうずくまっていた。耳が赤くなっている。
「あー……年甲斐もなくはしゃいでしまって……恥ずかしいです。」
と八の字の眉と、真っ赤な顔で言う小木さんに、俺は――……。
――ちゅ。
ゴトッ。とケーキの箱が床に落ちる。あー……やっちまった。
「ケーキ、大丈夫ですかね?」
床からケーキの箱を持ち上げて、小木さんに話しかける。こうなったら開き直って、このかわいい人にも俺を意識してもらおう。
「ぅ、え? あ、だ、だいじょ、え? え?」
さっきよりよっぽど赤くなった顔で焦る小木さんに、自然と笑みが溢れる。
「ほんと、かわいい。」
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