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「僕の矢、全然効かないんだ」
クピドはいつも2種類の矢を持っていた。その内、金の鏃のついた矢は恋する気持ちをかき立てる。もし射られてしまったら、人だろうが神々だろうが、激しい恋情に陥って他のことなんて手につかなくなるのだ。クピドはこの矢を、女神である母ウェヌス、つまりヴィーナスの意向に従って数え切れないほど撃ってきた。
「ここに来る前も若い女の人に撃ったんだ。隣の男の人に恋に落ちるようにって。なのにあの人、自分のスマートフォン? に夢中で男のことなんて完全無視だった!」
腹の底に溜まったフラストレーションを吐き出すように、クピドは他のケースもどんどん列挙した。スマートフォンその2、その3、その4――物語のキャラクターに入れ込むあまり、現実で恋をしてくれない女性もいた。あとこれは自分のミスだが、人かと思って撃ったら大きな画面の映像だったり。
「アポロに知られたら絶対馬鹿にされる。アイツにだって効果あったのに……あ、いつも見境なく撃ちまくってる訳じゃないよ? あの時はアポロに最高に頭に来てたから、ついね」
クピドは傍らの弓を手に取って、ボインボインと軽く弦を弾く。
「もう自信なくなっちゃって。矢が使えないんだったら、僕って何のためにいるのかな……」
「そうだったか」
空になった小瓶を置いて、男は遠くの方を見た。遠くとは言っても、ここには紫とオレンジの花たちと人工芝の地面、下の階への入口である四角い建物くらいしかない。風に合わせて、2人のいる木陰の縁が微かに揺れ動いていた。
「しかし、いつも効かない訳ではないのだろう?」
「もちろん効く人もいるけど……僕の矢は百発百中だったんだ」
「ならいいじゃないか」
そんな答えは求めていなかった。クピドは冷ややかに男を眺める。
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