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「君は悩んでいるのに、すまないね。でも、吾たしも男女の縁を取り持つことが多い身として、正直、君の力は羨ましく思うよ。使えれば随分楽になるだろうなって」
「ふうん」
「そう腐らないでくれ。とにかく、矢で人に恋心を芽生えさせるのは君にしかできないことだ、九比弩。ならば君はその力を振るったらいい」
そっと、弓を人工芝の上に置いた。どうしてだろうか、心の中の凍てついていた何かがじわじわと解けていく気がした。
「僕にしか、できないこと?」
「ああ。たとえ完璧ではなかったとしても、君の力を待っている誰かは必ずいる」
シャイな人柄なのか、そんなに目は合わせてくれないが、その言葉には裏表のないまっすぐな響きがあった。
その時、チュウ、と鳴き声がした。胡坐をかいた男の足元にいたのは、福々しく太った毛並みのいいネズミだ。男は胸元でクロスしている襟の隙間に手を入れ、そこから米粒を数粒出してネズミに差し出す。ガリガリという音が聞こえてきた。ちょっと食べにくそうだ。
「吾たしも、金の矢はないけれど、己にできることを一つ一つやっているよ。そうするしかないからね」
「……そっか。単純なことだったんだ」
何だか急に肩から力が抜けて、羽が軽くなった。その内ガリガリする音が消え、食事を終えたネズミを男が人差し指で優しく撫でる。
「ただ、いくらか作戦を立てることはできるよ」
「ん?」
ネズミが軽やかに走り去った。男が微笑む。
「例えば、夕方になると人々の心のたがが少し緩むと言われている。美しい夕日を眺めている時を狙ってみるのはいいかも知れない」
「そうなの? 試してみる!」
「あとは、お互いに相手に関心があると分かっている者を狙うか。君の母君の思いとは離れるだろうが、敵対している者同士というのもいいかもな」
「おおっ」
「もし戦をしている者を止めれば、君は愛と平和の使いだね」
「愛と平和の使者! 最高だ、おじさん愛してる!」
クピドはソワソワと羽を動かしながら歓声を上げた。それを受けてか、男が酷くぎこちない表情になったが気にしない。
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