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署長より下された特命を刑事部屋の同僚たちに知られるわけにはいかない。だから俺は折を見て便所に立ち、腹が下ったふりをしながら便器に腰掛け、今後の作戦を練り上げた。
暴力団員の平間を直に締め上げたいところだが、刑事二課が把握する限りでは、平間はここ数日の間まるで神隠しにでもあったように街から忽然と姿を消している。
勤務時間を終えると共に、さっそく極秘の任務に取り掛かる。
羽田麻衣が更衣室で私服に着替えるのを待ち、彼女が帰途につくと同時にその後を追尾する。端から見たらまるでストーカーだ。
羽田麻衣は自宅アパートへ向けて歩いている。男性警察官と違い、独身の新人女性警察官には独身寮に入居する義務がない。羽田麻衣もまた、A署から程近いアパートに入居している。独身の新人男性警察官たちは規則だらけの独身寮で門限ありの窮屈な生活を強いられるのに対し、新人女性警察官たちは勤務時間外は生活上の制約を受けることはない。外泊も自由である。誰かを部屋に連れ込むも自由。俺は羽田麻衣の部屋に出入りする人物をすべて把握しておく必要がある。
羽田麻衣のアパートは築年数がそこそこに古いが、その割に小綺麗であり、日当たり等の環境的条件も悪くなさそうだった。
俺は羽田麻衣の部屋の玄関扉を見張れる場所に、存在を消し去ってひっそり立ち尽くしている。羽田麻衣がどこにも寄り道せず真っ直ぐ帰宅してから二時間あまりが経過していた。その間、彼女の部屋と、そして彼女自身には、動きらしいものがなにひとつなかった。
何も動きがないまま深夜となり、部屋の灯りが消えた。俺は羽田麻衣に対する監視作業を中断した。
監視を始めてから一週間が経過した。その間、羽田麻衣が勤務時間外に接触したのは彼女と同世代である同僚の若い女性警察官たち数名だけだ。暴力団との接触はおろか、男性の影さえもない。
潔白だ。羽田麻衣巡査には、やましいところなどなにひとつとしてない。彼女の無実を確信すると共に、俺のはらわたの奥には、ある疑念が芽生えつつあった。
署長室で殿村が見せたあの態度。悪党どもを喰らう血に餓えた狼である俺のはらわたを刺激するなにかが、あの男には確かにあった。それを刑事の勘と世間では言うのだろうが、俺はそんな上品な言い回しは好まない。俺はそれを狼のはらわたと名付けている。
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