私にしかできないこと

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私は、この神殿の奥底に設置されたコンピュータにプログラミングされたAIだ。 この神殿が設置されたのは五千年ほど前のことになる。 五千年の昔、この星は終局的な戦乱に満たされていた。 人の思考速度を遥かに上回るコンピュータを開発し、ナノマシン技術を発達させて寿命を飛躍的に延ばし、そして様々な思想も生み出した人類だったが、その智恵は、結局のところ人類に恒常的な平和と安寧、そして幸福をもたらすには至らなかった。 様々な環境開発装置を搭載した移民船で大陸から遠く離れた絶海の孤島であるこの島へと逃れて来た科学者の一団とその家族達が、この島の住民達の先祖なのだ。 命からがらこの島に辿り着いた彼らは考えた。 何故、人類の文明は栄華を極めたのに滅びつつあるのか。 人類は様々な思想を生み出したのに、それは何故に幸福へと結実しなかったのか。 そして、この島にて自分たちの子孫を生き存えさせるにはどうすれば良いのか。 長い議論の末、科学者達はひとつの結論に辿り着いた。 その結論は、島での生活水準を中世時代、すなわち産業革命が起きる以前のものにするということだった。 科学技術が進歩するに従って人々の生活様式は変化し、それに伴い人々の価値観や考え方も変化した。 それらは結局のところ、人と人との繋がりを薄めさせてしまう結果となり、個人、ひいては社会の分断を招いてしまった。 文明の進歩に従い、人々は心の拠り所としていた神への信仰を迷信として捨て去ってしまった。 けれども、人は捨て去った神の代わりに他の概念を心の拠り所とするようになり、それは過激な政治主張や先鋭化した思想を生み出すこととなってしまった。 文明を発達させず、生活様式を変化させずに共同体の繋がりを維持させる。 神を信じさせることによって価値観の分断を避ける。 そのために近代的な文明生活を捨て去って中世時代の生活を送らせる それが、子孫達をこの島で永らえさせたいと願った科学者達の結論だった。 科学者達は、その社会を維持する仕組みについても検討した。 その末に産み出されたのがナノマシンとAIによって住民をコントロールする仕組みだった。 全ての住民に記憶能力を有したナノマシンを植え込み、それを通じて住民の行動や思考に係るデータを収集する。 収集したデータを地下深くのコンピュータに転送して将来の社会の姿をシミュレートする。 そして、文明が発達しそうな兆しがあったならば、それを抑制するように仕向けるのだ。 「神の意図」として住民に知らせることによって。 ナノマシンに脳の神経に干渉させれば、如何なる夢でも見させることが可能なのだ。 村々の教会に祀られ、人々が折に触れて手を触れる神像、それは個人の体内のナノマシンから情報を引き出す、言うなれば「ダウンロード」であるのだ。 赤子が産まれてから必ず行う教会での洗礼、それは住民をモニターするためのナノマシンを植え付けるための手段なのだ。 春の祭りの時に行う連れ合いを決める催しは、最も子孫を残しやすい組み合わせを遺伝子から割り出し、神のお告げとして示しているものだ。 教会の祭司も、そして島の住人も誰一人としてそれに気が付いてはいない。 けれども、その仕組みは五千年前に形作られ、密やかに守られてきたものなのだ。 周期的に凶作や疫病などの天災を流行らせ、それを『神の奇跡』として鎮めることも人々の神への畏れと信仰心を保たせるための方策なのだ。 もしも私が人間であるならば、このようなことは出来ぬのであろう。 感情を持つ人間ならば、冷静に判断を下すことなど出来ぬのであろう。 神として振る舞い、この島の住民を永らえさせること。 それは、感情を持たぬAIである私にしかできないことなのだ。
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