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初等学校へ登校する途中、私は役人である父さんの昼食を届けるために職場へ寄ることになった。
「なんでそんな事をいきなり私におっしゃるのですか!?」
村役場に入った途端、村長室の扉の向こうから聞こえてきた父さんの悲鳴のような声に私が驚いていると、窓口担当のお姉さんがカウンターから手招きしてきた。
「フミちゃん、どうしたの?」
「あの、父の昼食を渡したいのですが」
「ああ……お父さん、持ってくるの忘れちゃったのか」
「はい。あの、これお願いできますか?」
私がカバンから父さんの昼食を取り出してお姉さんに渡そうとした時、バタンと扉の閉まる音が聞こえた。村長室の方を見ると、父さんとボロボロのフード付きローブを頭から羽織って口元をマスクで隠した人が立っていた。
「ったく……あれ、フミ。どうしたんだ」
不機嫌そうだった父さんは、私に気づくと近寄ってきた。
「昼食持ってきた」
「ああ……ったく、村長が朝早くから呼び出すから」
父さんはハムとチーズを挟んだパンを私の手から取ると、自分の机の方に体の向きを変えようとして、立ち止まった。
「…………そうだ、フミ、お前これからこの人を家に連れていけ」
父さんは、ローブの人を指さした。
「え……学校は?」
「前のように明後日宿題を出してもらえればいいだろう?今日と明日、この人の世話をしろ」
「えぇ~フミちゃん、それでいいの?大丈夫?」
お姉さんが心配そうに見てきたが、私は首を縦に振った。
「……うん、大丈夫」
「そうだ、大丈夫だぞ。これはお前にしかできないことだからな」
「……うん、分かった」
「そう?フミちゃんが良いならいいけれど」
「聖人さん、こいつについて行って下さい。うちに泊めますんで」
私が近寄ると、聖人さんと呼ばれたローブの人は頭を深く下げてきた。
「小さき人、感謝する」
私は、何とも言えない気持ちで一杯になった。感謝なんて、久しぶりに聞いたからだ。
「私にしかできないことだから、大丈夫です。後、もうすぐ初等学校卒業だから小さくないです」
初等学校を出たら、成人だ。子供扱いは嫌なので、そう言うと聖人さんは頭を下げた。
「申し訳ない。フミさんと呼んで良いか」
大人に謝るように聖人さんが頭を下げてきたのを見た後、私は顔が熱くなってきた。
「べ、別にいいです。私は聖人さんって言えばいいんですか?」
焦るような気持ちを隠してそう聞くと、聖人さんは首を縦に振った。
「それで良い」
私は来た道を聖人さんと共に歩いていた。聖人さんは父さんより少し低い身長で、若い男性だと分かる声の人だ。顔はよく見えない。
「聖人さん、顔を見せないには理由があるんですか?」
私が聞くと、聖人さんは首を横に振った。
「いいや。私は陽の光を多く浴びると体調を崩しやすいからしているだけだ」
「ふーん、私は平気ですよ」
「フミさんは元気なのだな」
「そうですよ。顔見せてもらってもいいですか?」
私が聖人さんにそう聞くと、聖人さんはローブのフードを上げ、マスクを外した。聖人さんは髪が白く眼が赤い、綺麗な人だった。
「これで良いか」
「は、はい。綺麗ですね」
「そうか、よくわからないが良かったな」
聖人さんは首を傾げながら、フードとマスクを元に戻した。
「聖人さんは、何のお仕事をしているのですか?」
聖人さんは成人しているのだろうが、何の仕事をしているのか分からない。こんな格好で昼間からフラフラしている大人を見たことはないのだ。
「私は贄に選ばれたので、滅の口へ向かっている」
「にえ……めつ……?」
何を言っているのか分からない。
「世界の為に死ぬことが私の仕事だ」
首を傾げた私を見て、聖人さんは言い直した。
「何で……分からない」
驚いた私が足を止めると、聖人さんも足を止めた。
「死んじゃうことが仕事って何?訳分からない」
「私も訳が分からないが、誰かが滅の口という所で死なぬと、皆が困るらしい」
「でもおかしいじゃないですか」
「おかしいかどうかはよく分らぬ。だが皆が困るのは嫌なので、誰かが死ぬことになった。適任だったのが、私だっただけだ」
「でもおかしいっ!!皆で解決すればいいのにっ!!」
私は地団太を踏んだ。あって間もないはずの人の前で地団太を踏んだ。
「そうか。ではおかしいのかもしれぬな。だが、料理も洗濯も読み書き計算も苦手で、自らの生死も、人々の隆盛も破滅も、日が昇り降りる事と同じようにしか感じられぬ私は、世界が滅ぶのは嫌だという皆から頼まれたのだ」
きっと大げさな事ではないのだ。本で読んだ戦争では、戦士を涙ながらに皆で送りだしたりしていたと書かれていたのに。聖人さんは、村長室から嫌々父さんに私へ押し付けられたのだ。なのに、聖人さんは死にに行くと言うのだ。
「だって聖人さん、大事にされていないじゃないですか!」
「私も破滅は何か分からぬ。皆も分からぬのであろう。誰も世が滅ぶ所など見た事はないのだから。故に、日常を優先するのであろう。日常を邪魔する私は邪魔なのであろうな」
「なんで聖人さんは、怒らないんですか!例え、聖人さんしかできないことだとしても」
私は腹が立っていた。初めて会った人の事なのに、すごく腹が立っていた。そんな私を、聖人さんはガラスのような目で見つめてきた。
「人とはそういうもの故、虫に刺されるほども何も思わぬ。面倒だとは思うがそれだけよ。だがそなたは、私を見て怒り、そして悲しかったのだな」
……そうだ、私は怒り、そして悲しかったのだ。
「私の死ぬ仕事は、私しかできぬ仕事ではない。適任は山ほどおるだろうな。ただ、私が最も適任で都合がよかったのであろう。そういう私を見てとても悲しかったのだな」
そうだ、私はとても悲しかったのだ。母さんが家を出ていってから、私が料理も掃除も洗濯も買い物もするようになった。父さんが、私にしかできないことだ、って言うから。でも、同じように母さんのいない友達は、うちよりも貧乏なはずなのに、料理は食堂から買ってきているし、時々親戚のおばさんが来て掃除や洗濯を手伝ってもらっているし、父さんが仕事帰りに買い物をしている。でもうちは全部私がやっている。ねえ、これって本当に私しかできないことなの?私、父さんに都合のいい人なの?
「…………う、うぅぅぅううううううっ」
ボロボロと涙が出てきた私は、蹲って頭を抱えた。唸っていると、大人の手が私の頭を撫で始めた。
「何やら、思うところがあるのだな。私には人の事がよく分からぬが、そなたはきっと頑張っておるのだろう。フミさんは小さき人ながら凄いのだな」
しばらく撫でられていると、落ち着いてきた私は、なんだか恥ずかしくなった。小さなとき以来、頭を撫でられるなんてことなかったから。
「……小さくないです」
「そうであったな。もうすぐ成人であったな」
そう聖人さんが言った後、お腹の鳴る音が聞こえてきた。
「……フミさん、申し訳ないが腹が減ってきたのだ。何か食べるものを貰えぬかの」
私が顔を上げると、しゃがみながらお腹を押さえた聖人さんが、悲しそうな顔で私を見ていた。私はなんだか可笑しくなって、クスクスと笑った。
「いいですよ。家に昨日の残りのシチューがありますから、それを食べましょう」
「おお、シチューなど久しぶりよ。温めてもらえるかの?」
「特別にいいですよ」
私が立ち上がりながら偉そうに言うと、聖人さんの顔はパッと明るい表情になった。
「それはとても良い。かまどを使えるフミさんはすごいなあ」
目をキラキラさせながら立ち上がる聖人さんを見て、私は何故かとても満足な気持ちになった。
これが、私と聖人さんの出会いの話。ここから長い付き合いになるのだけれど、それはまた別の話。
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