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1. 悲劇からの旅立ち
「うひゃー! 大漁! 大漁!」
台風一過の青空の下、伊豆の磯で小学校四年生の和真は潮風を浴びながら網を振り回し、絶好調で魚をすくっていた。
「あっ! パパ! そっちデカいの行った!」
「よし来た! 任せろ!」
和真のパパもノリノリで思いっきり網を水面に叩きつける。
「ヨシ!」「ヤッター!」
台風直後は水が濁り、酸欠で魚がプカプカ浮いてくる。カラフルな熱帯魚からアジやイワシまで、すくい放題だった。
「ここで、こんなに獲れるなら、突端の向こうまで行ったらもっと大物が獲れるよ!」
和真はウキウキしながら言う。
「和ちゃん、そりゃ断崖絶壁の向こうじゃないか、落ちたら死んじゃうからダメダメ!」
パパは渋い顔で首を振る。
「え――――っ! すごく大きいお魚獲ってママをびっくりさせようよ」
「いやいやいや、あんな崖、無理だよ」
「パパなら行けるって! お願い!」
和真は手を合わせてパパを見る。
パパは和真の顔をじーっと眺め、ふぅと大きく息をつくと言った。
「じゃあ、行けそうか様子を見るだけ見てみるか」
「やったぁ!」
和真は両手を振り上げてピョンと飛ぶ。凄い大物が獲れたらどうしようと、わくわくで胸がいっぱいだった。
パパはじっと断崖絶壁の岩を見つめ、しばらくルートを確認すると、軽くジャンプしてでっぱりに取り付いた。そして、ヒョイヒョイとボルダリングをやるように登っていく。パパの黄色い上着が、まるで断崖絶壁の上を這うクモのように、するすると突端へ向かって動いていった。
「すごい、すごーい! 頑張れー!」
和真はノリノリで応援する。
しばらく上って和真の方を振り返ったパパは、
「いや、これ、怖いんだけど……」
と、渋い顔を見せた。
「大丈夫、大丈夫!」
適当なことを言う和真にパパは、
「おまえなぁ……」
と、いいながら足場を確保し、また奥の出っ張りへと腕を伸ばした。
やがて突端にまで到達したパパは向こうの入り江をのぞき込む。
和真は手に汗を握りながらそんなパパをじっと見守っていた。
その時だった。
ぐはぁ!
パパは変な声を上げるとバランスを崩す。
「パパぁ!」
和真は焦り、叫ぶ。
果たして、パパはそのまま真っ逆さまに落ち、
ザバーン!
と、激しい水音を立てながら岩場の向こうの海へと消えていく。それはまだ幼い少年の和真の心をえぐるには十分すぎる絶望的な悲劇だった。
「パ、パパ――――ッ!」
和真は急いで崖に飛びついた。パパを助けないと、ただその一心で必死に登っていく。
しかし、小学生の和真にはどうしても手が届かない段差に阻まれる。
くぅ……!
和真は覚悟を決め、全ての力をこめてジャンプする。なんとしてでもパパのところへ行かねばならない。
しかし、指先は空を切り、願いむなしくそのまま磯へと落ちていく。
ぐはぁ!
全身をしたたかに打ち付け、ゴロゴロと転がる和真。
口中に血の味が広がっていく。
「うわぁぁぁ! パパ――――ッ!」
磯にはただ、血まみれの和真の悲痛な叫びだけが響いていた。
◇
――――それから六年。
「パパぁ!」
和真はガバっと起き上がり、辺りを見回す。そこはいつもの自分の部屋だった。
ふぅと息をついて布団をパンと叩く。
「またあの夢か……」
高校生になった和真は、いまだにパパを殺してしまったことにさいなまれていた。
パパの遺体は原形をとどめていなかったが、その破れた上着の黄色に和真は現実を突き付けられたのだった。
泣き崩れるママに、和真は自分がパパを煽ったことを言い出せず、それがまた心の重しとなって和真の人生に影を落としていた。
危険行為上の死亡となって生命保険は下りず、ママはシングルマザーとして朝から晩まで忙しく働くはめとなり、笑い声の消えた家は寂しく、味気のない空間となってしまった。そんな暮らしの中、和真はちょっとしたイジメで心の糸が切れ、不登校になってしまっていた。
ドタドタと足音がする。
「おっはよぉ――――!」
ドアがいきなりバーン! と開き、嬉しそうな顔をして幼馴染の芽依が突入してきた。
白いワンピースにダボっとしたグレーのニットを羽織った芽依は、キラキラした笑顔を振りまきながら和真のベッドにダイブする。
「ドーン!」
可愛い効果音を叫びながら飛び込み、チラッと和真を見上げる。
寝ぼけ眼の和真は仏頂面で、
「あのなぁ、入るときはノックしろっていつも言ってんだろ!」
と、芽依をにらんだ。
「だってもう十時よ? いくら日曜だって寝すぎじゃない?」
ニコニコしながら答える。
「十時でもノックは要るんだけど?」
「……、あら、すごい寝汗。どうしたの?」
芽依は起き上がって和真の額に手を伸ばすが、和真ははねのけた。
「あー、何でもない!」
そんな和真をジッとみつめる芽依。そして、背中から優しく和真をハグした。
「またパパさんのこと思い出してたのね……」
ふんわりと立ち上る甘酸っぱい優しい香りに包まれ、和真はドキッとする。
そして目をつぶって大きく息をつくと、
「いや、もう、終わった話だから……」
そう言いながら芽依の手をポンポンと軽く叩いた。
「辛くなったらいつでも芽依に言ってね?」
「……。大丈夫……、ありがとう」
和真はお転婆ながら自分のことを考えてくれる芽依の優しさに感謝しながら、軽くうなずく。
そして、ふぅと息をつくと、聞いた。
「で、メタバース教えに来てくれたんだろ?」
「そうそう、仮想現実が今後の社会を変えるからね。和ちゃんも慣れておかなきゃ!」
芽依はそう言うが、動かない。
「おい、くっついてちゃできないだろ?」
「あら? 君はJKがこんなにサービスしてるのに嬉しくないの?」
芽依はちょっと不満そうにぎゅっと胸を押し付けてくる。
「サ、サービスって……」
「可愛い幼馴染がいて良かったわねぇ……」
そう言って和真の耳たぶにふーっと息を吹きかける。
からかわれてムッとした和真は言い返す。
「サービスって言うのは、もっとバーンとしたふくらみなんじゃないの?」
「フフーン」
しかし芽依には謎の余裕がある。
「な、なんだよ?」
「君はツルペタの方が好きだって、芽依は知ってるんだなぁ……」
ギクリとする和真。
「お、お前まさか……」
和真はつい本棚の方を見てしまい、芽依は嬉しそうに答える。
「まさか何?」
「……。見たな……」
「何を?」
ニヤニヤする芽依。
くっ! 和真は思わず顔を両手で覆った。ロリ系の薄い同人誌を本棚に隠しておいたのが見つかったに違いない。しかし、それを口にするわけにもいかない。
くぅ……。
いろいろと言い訳を考えてみるが、どんな言い訳も自爆にしかならなかった。
「君は芽依くらいなのが好みなんでしょ?」
「……。ノーコメント!」
和真は芽依の手を払いのけ、バッとベッドを下りる。そして、真っ赤な顔で芽依を指さして言った。
「ちょっと準備してくるから動くなよ!」
「アイアイサー!」
「人の物を勝手に見るのはプライバシーの侵害だからな!」
「え? 見られちゃ困る物まだあるの?」
「ま、『まだ』ってなんだよ!」
「分かったわよ。もう見ないわ」
芽依は布団に潜り込み、顔だけ出してうれしそうに笑った。
「全くもう!」
和真はドタドタと洗面所へと走った。
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