発芽

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 半年ほど前のことです。  学生時代の友人のA君から私のところに久しぶりに電話がかかってきたのです。Aとは若いころにはよく遊びに行ったりしてはいましたが、ここ数年は、何となく音信不通の状態が続いており、久しぶりの電話に、私も少々驚いたくらいでした。 「久しぶりだねえ。最後に会ったのって、何年前だっけ?元気してる?」  旧友からの電話に少々テンションの上がっている私とは対照的に、Aの声はあまり元気がありませんでした。 「うん、まあ……何とか生きてるよ」 「なんだか元気なさそうだね。何かあったの?」 「うん、まさにそれなんだけどね。ちょっと、相談に乗って欲しくてさ」  Aの何やら深刻な様子の声に、私もこれは放っておけないぞという感じがして、ともかく会って話そうという話になりました。  翌日、Aに会うために指定された喫茶店に行ってみた私は愕然としました。 先に来て待っていたAが私の姿を認めると、手を振ってきたのですが、最初、私はそこに座っている人間がAだとは認識できなかったのです。  若いころから爽やかで快活なイケメンで、女性にも不自由したことが無く、常に明るく人生を謳歌していたAの面影は全くありませんでした。不健康な土気色の顔面は明らかに面やつれしており、目の下にもくっきりと黒い隈が浮かんでいます。色の悪い唇から、やっとのことで絞り出すような声で話すその様を見ても、明らかに彼が何か健康に問題を抱えているように、私には見えました。  半ば呆然として、どういう言葉をかけたものか、戸惑う私の気持ちを見透かしたように、色の悪い唇を微かに歪めて薄笑いを浮かべながら、Aが話を切り出しました。 「まあ、御覧の通りさ。今の俺は病気に取りつかれているんだ。そこで、君の力を借りたいと思ったわけさ」 「だって、俺は医者じゃないよ。病気の相談なら医者にしてくれ、というか、そもそも、医者には行ったのか?」 「これは医者で治せるような話じゃない。この病気は得体の知れないもので、誰か力のある霊能者でなければ治せないだろうと思ってる。そこで、以前君が怪談収集を通じて霊能者の知り合いがいるという話をしていたのを思い出してさ。誰かいい霊能者を紹介してほしいんだよ」  確かに、私は趣味で怪談を集めていますし、その過程で、霊能力があるという方の知り合いも何人か出来ました。ですが、流石に実際に霊能者の助けが必要だから、誰か紹介してくれと頼まれるのは初めてでした。  とにかく、どういう経緯なのか、まずは話を聴かせてくれという私の依頼に、Aは訥々と語り始めました。  二か月ほど前のこと、Aは当時付き合っていた一人の女性と別れました。  こう書くと、何やら簡単ですが、そもそもこのAという男、昔から女癖の悪さでは仲間内で有名だったのです。なまじイケメンで良くもてるのですが、それを悪用して、次から次へと付き合う女性をとっかえひっかえ、その節操の無さには私もあきれ返ったものです。本人も「まあ、俺は病気みたいなもんだから」とか言って、悪びれもせず笑っている始末で、私を含めた友人たちも、最初は色々と注意したり、時にはきつく文句を言ったりしたのですが、一向に改善されない彼の行動を見て、しまいにはみんな諦めてしまっていました。誰もが多かれ少なかれ「お前、そんなこと続けてると、いつか痛い目を見るぞ」という趣旨の言葉を最後に、その後はもう何も言いませんでした。  実際、病気と呼んでいいのかどうかは別として、彼が女性に対してそのような行動をとるようになったのには、一応の理由はあるらしいのです。彼がまだ幼いころ、実の母親は、他に男を作って、突然家を出てしまったのだそうです。それから間もなくして、彼の父親は見た目はちょっと綺麗な若い継母とあっさりと再婚したのですが、この継母は彼に愛情を注ぐどころか、憎しみの対象として、虐待するようになりました。再婚した父親と自分の間に子供が生まれると、それはより一層酷くなったそうです。一方、父親は若い新妻の言いなりで、虐待されている彼を救う行動も一切行わず、ただ放置するだけでした。この状況を見かねた一人の親戚が、彼の養育を引き受けると申し出たのは、本当にAにとって奇跡ともいえる幸運でした。おかげで、何とか大学まで出ることも出来たわけですが、今申し上げたような経験が、Aの中に女性に対する潜在的な不信、あるいはもっと言えば嫌悪感のようなものを醸成したのかもしれません。それが、後になって女癖の悪さという形になって表れた可能性は高いと思います。勿論、だからと言って、Aの行動が正当化される理由は微塵もありませんが。  ところが、Aはどうやら本当に痛い目を見ることになったらしいのです。その、二か月ほど前に別れた彼女というのが、彼に対する執着がことさら強かったようで、どうしても別れたくない、と言って、かなり長い間揉めたそうです。Aによれば、ここまで揉めたことは無かったとのことでしたが、そうなると一層、彼としては嫌悪感が募り、もう二度と会いたくない、恐怖さえ感じてくる。そうこうしているうちに、彼女から電話があり、「そこまで言うなら、私は死んでやる。死んで別れてやる。そのかわり、ずっと恨んでやるから」と言ってきたそうです。  実際、その電話を最後に、二度と彼女の方からコンタクトは無くなりました。Aとしては、彼女のことを心配するでもなく、やれやれこれで片付いたぐらいに思っていたそうですが、それから1週間ほど経ったある朝のこと。会社に出勤するためにホームで上り電車を待っていた彼の目に、突然彼女の姿が現れました。ホームの端で丁度列の先頭で電車を待っていると、線路を挟んだ向かい側のホームに、彼女の姿が現れたのです。線路を隔てて彼と向かい合ってこちらを見ている彼女は、少し離れていても、にやにや笑っているのが見て取れました。  そして、彼女はそのまま入線してきた下りの急行電車に、彼の目の前で飛び込んでいったのです。  勿論、目の前でそんなことをされたAは、強烈なショックを受けました。思わずトイレに駆け込んで嘔吐し、そのまま逃げるように改札を出てしまったそうです。彼女は自分の知人ですが、その場で鉄道員の人や警察にそれを申し出るようなこともしないで、そのまま立ち去りました。実際、目の前で飛び込み自殺を目撃した人間が、ショックのあまり、トイレに駆け込んでその場からすぐに立ち去ってしまうという行動は、ある意味自然と言えば自然ですしね。  ところが、それから三日ほど経った日のことです。Aは夕食後、胸元に妙な違和感を覚えました。どうにも胸のあたりに何かがつかえているような気がしてならないのです。胃なのか、心臓なのか、気管支なのか、それもよくわからないのですが、何かがつかえているような違和感が取れない。それが二六時中気になって、夜も眠れなくなりました。  すぐに医者に行ったのですが、レントゲンには何も映らないのだそうです。だが、何かつかえている感覚が常に胸のあたりに澱んでいる。そうこうしているうちに、Aの健康は目に見えて衰え始めました。不眠のせいもあるのでしょうが、体力は目に見えて弱りはじめ、見た目もげっそりとやつれてきました。事ここに至って、彼はあの自殺した彼女の呪いではないかと心配になりました。もとより医者に相談しても、無理な話だ。これは霊的な方法で解決してもらうしかないだろうと思って、誰か霊能者を紹介してくれと私に頼んできた、というわけです。  私に言わせれば、全く身から出た錆そのもので、突き放したいくらいですが、それなりに長い付き合いでもあり、完全に放っておくのも少々気が引けました。それと、本件が実際彼女の呪いだったとして、それがどのように解決されるのか、という意味では、非常に興味があったのも事実です。結局、私は古くからの知り合いの霊能者、Cさんに連絡をとりました。  Cさんは、見た目は30過ぎの、どこにでもいそうな男性です。腰の低い人当たりの良いキャラクターからは、彼が凄腕の霊能者だとは誰も思わないでしょう。私が電話であらかた事情を説明し、Aを助けてもらえないかと依頼すると、しばらく間を置いた後、「うーん、まあ……やってみましょうかね」と答えてくれました。  一週間後、Aから私が話を聞いた時と同じ喫茶店で、A,Cさん、そして私の三人が顔を合わせました。あらためてA自身の口から経緯を聞いたCさんは、軽くうなずくと、解説を始めました。 「まず、あなたの胸のあたりの違和感の正体は、ご想像のとおり、自殺された女性の恨みによるものです」 「やはりそうですか」  自分の予想が当たっていたせいか、Aはどこかほっとした様子でした。 「その女性は、死ぬ間際に最後の力を振り絞って、目の前のあなたに恨みの念をぶつけた。言ってみれば、それは種のようなもので、それがあなたの胸の中に打ち込まれたのです。それはすぐに芽を出し、あなたの中で成長を始めました。それは霊的な存在ですから、当然、レントゲンに映るようなものではありません。ですが、今、その芽は着実に成長し、葉を出し、茎を伸ばして大きくなりつつあります。あなたのエネルギー、すなわち精気をどんどん吸い取りながら」  Cさんの言葉に、聴いてる私の方が身震いが出ました。 「それで、あの、私はどうすれば良いのでしょうか。どうぞお助けください。お願いします!」  喫茶店の中で人目もはばからず、テーブルに頭をこすりつけるAに、Cさんはあっさりと答えました。 「大丈夫です。もう、芽は摘みました」 「へ?」「え?」  私とAが同時に間の抜けた声を出してしまいました。 「もう摘んだって、その、終わったんですか?」 「はい。先ほどお話しを聴いてる間に、摘んでおきましたから、もう芽は無い筈です。今、ご気分は如何ですか?」 「え、あ、はい、そう言えば……あの違和感が、確かに消えています。」  不思議そうな顔で自分の胸元を眺めるAの顔には、さっきと違ってうっすらと色艶が戻ってきたように見えます。 「有難うございます!こんなにあっさりと治して頂けたなんて、本当にCさんの力は本物だったんですね。素晴らしいです。まさに神様ですね!有難うございます」  またもや、人目を気にせずテーブルに頭をこすりつけるAの姿を見て、私は何となくしらじらとした気分になりました。ともあれ、何とかAの”病気”は消えたようなので、私としても一安心しました。  ところが、それから十日ほど後のことです。学生時代の友人で、Aと私の共通の知人であるUから、連絡がありました。 Aが死んだのです。  突然の知らせに驚く私にUが教えてくれた話では、前日の夜10時ごろ、自宅近くの道路を歩いていたら、信号無視で突っ込んできたトラックに撥ねられて即死したそうです。  折角、Cさんに助けて頂いた命なのに、こんな形で亡くなってしまうとは……なんとも残念に思った私は、立場上Cさんにも報告しなければならないと思い、電話しました。 「本当に、Cさんにはお骨折り頂いたのに、こんな結果になってしまってすみません」 「いや、別に謝ることはないですよ。ある意味予想はついてましたけどね」 Cさんの意外な言葉に私は驚きました。 「予想はついていた?でも、恨みの芽は摘んで頂いたんですよね?」 「確かに私は芽は摘んでおきました。自殺した彼女の種から出た芽は綺麗に取れましたよ。でもね、考えてみてください。植物が育つにも、適した土壌が必要ですよね。土壌が悪ければ種を蒔いても、芽は出ませんよね。自殺した彼女の念が芽を吹いたのは、とりもなおさず、彼自身が恨みの種の成長に適した土壌だったからですよ」 「A自身が適した土壌?」 「そう。その土壌を醸成したのは何か。それは今まで遊んで捨てられた女性たちの恨みですよ。一人一人は呪う力とか霊能力は無いかもしれない。でも、恨みに思う気持ちは、当然彼に向けられる。各々の力は小さくても、Aさんの場合、ちょっと数が多すぎましたね。ほら、ちりも積もれば、って言いますよね。つもりにつもった、その恨みの念は、彼という存在の隅々にいきわたり、彼も気づかないうちに、静かに澱んでいた。それが、自殺した彼女の恨みの種で活性化し、土壌として協力をしていた。芽が摘まれた後も、目覚めた負のエネルギーの活動は継続され、彼に不運を呼び込むように作用し始める。それが、今回交通事故という形で現実化してしまったということです」 「なるほど……」 「明確に芽という形になったものは摘み取ることが出来ました。でもね、もう彼自身が土壌化してしまってるとなると、これはもう……私にも無理でしたね」  つまりは、Aはいずれは不運に見舞われる運命だったということか。それがいつになるか、どのような形になるかはわからないが、いずれは確実に訪れることになっていた…… 「それにしても、女癖の悪い男って他にもいますよね。女性だけじゃなく、一般的に人から恨みを買うタイプの人も結構います。そういう人は、みんな必ず不幸に見舞われるってわけでもないように思えるんですが。憎まれっ子世に憚るって言いますし」 「確かにそうです。因果応報は確かに基本ですが、結果的にはそうなっていないケースも多いのは確かですね。ただ、今回のAさんのケースで言えば、どうやら、彼については、かなり以前から女性から恨みをかけられていたようにも思えます」 「かなり以前から?」 「そう、つまり遊ばれて捨てられた女性の分だけではなくて、もっとずっと長期に亘って呪っていた女性がいて、そのエネルギーも加算されていたような気もします」  もっと長期に亘って……Cさんの言葉に、私はあらためて思い出しました。  長期に亘って……女性と付き合うようになってから、遊ばれて捨てられた人の分だけではない……つまり、女性と交際することを覚えるよりもっと前……そう、子供の頃から……。  彼の父と再婚した若い綺麗な継母は、彼に愛情を注ぐどころか、憎しみの対象として、虐待を繰り返していました。自分の子供が生まれると、それはより一層酷くなり……  その業の深さに私は思わず身震いしました。 [了]
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