「しおり」

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「しおり」

自尊心とプライドは、しおりになることで簡単に捨てられそうだった。 しおりと言う女はそういうのは持ち合わせていない、と、そう言う設定にしておいたのだ。 もちろん私自身の方はちゃんと自尊心もプライドも持ったまま、「しおり」を辞めたらそれらは「私」の元にしっかりと戻ってくる。 そんな風に、都合よく自分の頭の中で、見たくない自分のことは「しおり」に全て任せることにしていた。 だから私は車の中で何度も何度も「私はしおり」と自分に向かって暗示をかけた。 たかだかそんなこと、とは言え、私にとっては屈辱的でとてもじゃないけれど人前では行いたくない行為。 それは「しおり」がやってくれるのだから、私は大丈夫なのだ、と、何度も、何度も繰り返した。 思っていた通り、車はすぐに目的としていたホテルへと着いた。 ホテルの駐車場に車を停めると、社長は「何かあったら、電話するんだよ、しおり」と私の頭を撫でた。 私は「はーい」と酔っぱらった勢いのままで、社長から告げられた部屋番号を覚え、口ずさみながらホテルの中へと入る。 ホテルの部屋の写真のパネルが並んでいるところまで進むと、口からポロポロ零している番号の部屋は既に暗くなっている。 もう、先にお客さんが来ていて、部屋で「嬢」がくるのを待っていると言うことだ。 そう、正しくは「M嬢」が来るのを待っている。 私はプレイ道具の入ったバックを再び肩にかけ直すと、その部屋へと向かう為にエレベーターに乗り、その部屋のある階で降り、真っ直ぐに迷いなく歩いた。 「しおり」はオタオタしない、こんなことなんてことない、ただのお仕事で、いつもより多くお給料が貰えることを嬉しいと感じる女の子だ。 そういうことにした。 部屋の前までたどり着くと、呼び鈴を鳴らし、ドアが内側から開くのをしばらく待つ。 ほんの少しは、緊張したかもしれない。 覚えていないけれど、きっとしただろう。 はじめての風俗のお仕事なのだ。 けれど、それをこなすのは私じゃなくて「しおり」だ。 頼んだよ、しおり、と私が心の中で言葉を作っている間に、目の前のドアがガチャリと音を立てると開き始める。その、中途半端な、形にならなかった「しお、り」が、自分自身の中のもう一人への最後の呼びかけとなった。 長方形の穴がどんどんと部屋の光景へと変わって行くのを眺めながら、しおりは表情が笑顔になるように口角をあげると、目を細める。 そしてしおりは、風俗嬢として最初で最後のお客さんとなる男性の顔を見ることになる。
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