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チェンジ
「はじめまして、しおりです」
自分のつま先を見ていたことにハッと気づいて、すぐにお客さんと顔を合わせると、しおりはなるべく元気よく、明るい声音でそう挨拶をした。
「ああ」と、それだけのそっけない低い声が返されると、しおりは部屋の中へ招かれる前にそのお客さんの風貌をまじまじと観察してしまった。
天然パーマっぽい短い黒髪をセットもしないで放置しているような頭に、目だけがやたらとぎょろぎょろと大きくて、おちょぼ口が印象的な、男性にしては背が低くて細い体をしている、…まるで出目金がスーツを着ている、そんな印象の人だと思った。
しおりはしばらくそのまま廊下でニコニコと立ち尽くしていた。
だって、チェンジかもしれないではないか。
まだしおりは、お客さんから「どうぞ」とも「よく来たね」とも言われてはいない。
なのにズイズイと部屋の中に入ってしまってはまずいのではないだろうか、と思ったのだ。
しかし、どうやらそんな風に消極的で控えめな態度が、逆にそのお客さんにとっては良いものだったようで、その出目金はおちょぼ口を少し膨らまして鼻から息を吐いた。
多分微笑んでくれたのだと思う。
「けっこう早く来るんだね」
「そうですか?お時間までお話をしますか?」
とは言え、約束のプレイ開始時間である17時半までは後5分ほどの時間だったのだが、このお客さんはホテトル嬢やデリヘル嬢や箱の店なんかで待たされることが今まで結構多かったりしたのだろうか。
混んでいるような、人気のお店が好きなのか、それとも予約でいつもいっぱいな、そんな人気の嬢が本命なのか。
そんなことはしおりが知る必要はないので、とりあえず「お部屋、失礼しても大丈夫ですか?」と一言断ると、一歩だけ前に進み、可愛らしく首をかしげてみる。
そう、なるべく可愛らしい態度で、バカっぽくて言う事を聞きやすそうな、そういうのがM嬢初心者はやりやすい。
― 例えばアンタみたいな見た目ならばね。と、そうお店の女の子から聞いていた。
私が黒髪でそれなりに肉付きもよく、胸なんかも大きくて、ほんわかとした雰囲気の女の子だったのであればまた違った答えが聞けただろうが。
とりあえず私は、しおりの見た目に合う、第一印象で好かれやすいキャラを、なるべく嫌われない万人受けするようなM嬢を演じなければならない。
頑張れ、しおり、と、また時々自分と混ざりながらも、お客さんからの返事と指示を大人しく待つ。
「話すのは後でいいよ」
「そうですね!あの、それで、お部屋の方、入っても大丈夫ですか?」
「ああ、ごめんごめん、入って入って」
「はい!ありがとうございます」
お客さんが「どんな嬢が来たのか」を値踏みする為にこちらへと身を乗り出していたのと、チェンジされるのかされないのかがわからなくて多少なりとも臆していたので、なかなか中に入れなかったのだ。
しかし、しおらしくもう一度最後に「お部屋に入れて」と、そんな風なニュアンスで言うと、おちょぼ口が横に引っ張られて皺がなくなる。
これは、満面の笑み、だろうか。
そんなことを考えている間に、お客さんがすっと後ろへと引いてくれて、ドアも全部開けてくれる。
どうやら「チェンジ」はないらしい。
そのドアとは反対に、こちらの中ではある意味最後の希望は閉ざされたのだけれど、しおりは仕事をする為にここへやって来たのだから喜ぶべきだろう。
しおりはニコニコと笑顔を顔に張り付けたまま、お客さんの待つ部屋の中へと一歩一歩踏み込んで行った。
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