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望まれたのは生理現象
ずっと「ホテル」「ホテル」と書いてきたが、当たり前だが「ラブホテル」だ。
それなりの広さの一室に、バスルームとトイレが別々についており、部屋には大きなテレビと、テーブル、その横にはソファ。
そのすぐ横からは、大きなベッドが部屋の半分を占領している。
白と黒で統一された、それなりにオシャレを目指したのか、そう言う足掻きが下世話なのかはわからないが、まあまあ清掃の行き届いた綺麗な部屋のように見えた。
私は玄関になっている部分で履いて来たハイヒールを脱ぐと、フローリングの上を素足でぺたぺたと歩く。
しおりが部屋の中におさまったのを満足そうに確認したお客さんはドアを閉めると、私を追い越してさっそくソファまで行くとちょこんと浅く座った。
ワクワクとしているのか、両手の平を膝の上で組んで拳の形にすると、忙しなく小刻みにつま先だけを床につけて脚を揺らしながら、皺のない唇で私に名前を問うて来た。
「名前はなんて呼べばいいの?」
その一言を待っていた。
私は、私はそう。
今日だけ、この時だけは全て捨てる。
「はい!しおりって言います、120分と言う短いお時間ですが、よろしくお願い致します」
お客さんはそうか、そうか、しおりか、と何度もしおりの名前を口にする。
それを聞き流しながら、しおりはプレイ道具用のバックを肩からおろして、中からまずはタイムウォッチを取り出す。
カチカチと弄って120分後に音が鳴るように設定してから、そのタイムウォッチに示された数字が減って行くのを見て、ヨシとつい声を出してしまう。
ああ、しまった、と思い、誤魔化すようにガシャンと音を立ててそれをテーブルの上に置くと、バックを再び抱え、お客さんの座っているソファへとすぐに向かい、横に腰を下ろさせてもらう。
お客さんがこちらを見たので、微笑みかける。
するとお客さんは「あ、ごめん、はいこれ」と言って、しおりに今回のプレイへの報酬を手渡して来た。
しおりは相変わらずニコニコとしながらそれを受け取り、バックの中の内ポケットへとその何枚かのお札を仕舞う。
お釣りがないのはありがたい。
持って来るのを忘れてしまった。
そんなことを考えていると、お客さんの膝が、しおりの膝へとこつんとぶつかって来た。
ちょこっとだけしおりの方へ体を寄せたのだろう。
「しおりちゃんは、恥ずかしがり屋だったりするの?」
「ええーどうですかね。確かめてみますか?」
そんな風にぶりっ子しながら答えると、お客さんはうふふ、と男性には似つかわしくない笑い方をして、楽しそうにはしゃいで見せた。
さあ、ここまでならば大丈夫だ。
このくらいは全然なんでもない、平気で出来る。
ずっとキャバクラで働いて来たのだから慣れたものだ。
しかしどうしよう、ここからがわからない。
どう切り出せば良いのだろう、どう始めたら良いのだろう。
しおりから言うべきなのだろうか、準備だってそれなりにあるし、その準備中とその後の、このお客さんからしたら「メイン」であるはずの時間へは、どう言った段取りでもって進めて行くのが正解なのだろう。
全然わからない。
もしもこれが一人で部屋でやる行為であったのならば、しおりだってこんなに考え込む必要はない。
この、本来ならば一人で行われる行為を、人が、しかも全く知らない他人がいるところでやらなければならない、と言うのはなかなかに難しい。
例え自尊心がなくとも、プライドがなくとも、それでもやはり相手あってのことだ。
なんたって料金が発生していて、その相手と言うのが、私にお金を支払っているわけだ。
楽しませなければならないが、果たしてどのように「普段だったら一人でやれば良いこと」で相手を楽しませたら良いのかがわからない。
どういう風にしたら、この出目金、いや、お客さんは喜んでくれるのだろうか。
普通で良いのだろうか。
だってあんなものは生理現象だ。
演技も何もあったもんじゃない。
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