私には無理

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私には無理

一人目のお客さんは簡単そうだった。 セーラー服を着てコスプレをした嬢に、色々なポーズを指示し、それを見て楽しみたい、その姿を撮影したい、と言うものだった。 しかし、問題はやはりある。 なんたってその撮影は、お客様自らの持つカメラで、とのことだった。 流出してしまったら嫌だし、何よりもネットに載せられでもしたらたまったものではない。 これは、お客様のカメラでの撮影をOKとしている嬢向けへの依頼だったのであろう。 とりあえず、そこまで何もかもを捨てきれていない私には、このプレイは無理そうだと思った。 二人目のお客さんは、完全にアウトなお客さんだった。 S嬢を希望しているお客さんだった。 私にはS嬢をこなす自信は全くない。 素質と纏う雰囲気を作るのが上手で、相当気を回せる、お客さんの望みを見透かすことが上手な嬢でなければS嬢は勤まらない。 何より私の見た目は全くS嬢ではない。 背も高くないし、スタイルが抜群に良いわけでもないし、髪型だってこれぞS嬢!と言った感じの、人気の黒髪ストレートでもなかった。 まっ金髪のウェーブがかった巻いた髪と、ガリガリに痩せた子供みたいに凹凸のない体。 この店に在籍しているS嬢のお姉さんたちの風貌を頭に浮かべると、これは私には完璧に無理だな、と思った。 そして三人目、その一番最後のお客さんからの依頼内容が記されているページを確認してみようと思い、カーソルを移動していると、吸うのを忘れていた為にフィルターまで燃え尽きてしまっていた煙草の匂いに気づき、慌てて灰皿へと押し付けて揉み消したのと同時に、ユニットバスのドアが開く。 トイレの水がジャアーっと流れる音が、社長と私しかいないマンションの一室で、やたらと大きく聞こえた。 社長が大きなため息をついて、体をなんとなく前の方に曲げたような姿勢でこちらへと向かって歩いてくる。 明らかにお腹を庇っているのがわかって、ああ社長もノロにやられているのだ、と言うことに気づいたけれど、ここで完全にハッキリと決定した。 社長は私の座る机に手をかけ、椅子の横にしゃがみ込むと、私の顔を見上げて懇願しはじめた。 まずい。非常にまずい。 「社長、私には出来そうにないですね」 とりあえず先手を打った。 先に口を開き、思いっきり気を遣って、たくさん一生懸命健気に考えてみたけれど、それでも私にはどうしても無理そうです、と言う風に装った。 申し訳なさそうな声を意識してそれだけ言うと、私はフィルターだけになった煙草を灰皿の中に捨てると、新しい煙草を取り出して火をつけて吸う。 そうして、さてどうしたものか、と考えた。 ラッキーなことに今日に限って体験入店をしたいと言う子が突然店に電話でもかけて来たりなんてしないものだろうか?しかもSMクラブの店に在籍した経験を持つ子が。 なんて、あり得ない奇跡を頭に浮かべては、掻き消す。現実的じゃない。 それではやはり、今まさに予約状態になっている、三人のお客さんにすぐにでも連絡して謝罪し、キャンセルして頂くことが最善の方法なのではないだろうか。 「…うたちゃん、一人だけでもいいから」 「いや、マジで私やったことないんで客を怒らせるだけだと思います」 「しばらく売り上げ低くなっちゃうし」 「体験入店の募集かけ続けましょう」 「…うたちゃん、ちょっとトイレ行ってくるから、帰らないでね」 片腕でお腹を抱えた社長は、ゆっくりと立ち上がると私にそう念を押して、背中を向けるとふらふらとした足取りでユニットバスの方へと向かって歩いて行く。 社長もノロなのに店に来たのだ、私だけは出勤確認のラインに返事をしたから、せめて私が来るのなら、と。 もしかしたら私が助けてくれるかも、と、私がここへ来るのを待っていたのだ。 そんな風に思うと、少しの同情心と、そこまで困っているのなら、と言うような気持ちが少しだけ芽生えてしまう。 基本的に私は人が良かったのだ。 そして、自分を求めて、期待してくれる人や状況にとても弱かった。 ドアを閉められたユニットバス、つまりトイレの方からは何の音もしない。 私もノロになったことがあるのでわかるのだが、多分社長の今の状態は、もはやお腹の中には何もない、空っぽなのに下してしまっているような感覚を覚えてとりあえず便座に座って悶え苦しんでいる、と言う、そういうアレだろう。 苦しいんだよな、ノロってマジでさ、と自分自身がノロウィルスに罹った時の記憶とお腹の違和感を思い出すと、そんな体調なのに店まで来て私の出勤を待っていた社長のことがどんどんと哀れに思えて来る。 煙草のフィルターに口をつけて苦いそれを吸い込むと、はあ、と緊張で高まった胸をなんとかするように煙を吐き切った。
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