「わかりました」

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「わかりました」

時間は迫る。 一応私だって、この店に勤めている身だ。 例え嬢としての在籍ではなくとも。 店に恩だって思い出だってたくさんある。 社長だっていい人だ。 まあ、いい人は、人が嫌がっているのに無理強いしたり、頼み込んで来たりはしないと思うが。 そう、つまり「いい人」である社長が、ここまで私にお願いをすると言うことは、このたった一つの仕事にはそれだけの意味が、そして価値があるのかもしれない、とそんなことを思った。 「お願い、うたちゃん」 「お腹痛いところすみません、ビール持って来てもらっていいっすか」 「いいよ、何本?」 「四本くらいで」 「それは本気で?」 「はい」 「わかった…」 また煙草に火をつけて吸いはじめると、落ち着きなく吸ったり吐いたりする。 その間、もらえる金額を頭の中で計算してみた。 今日の普段の仕事の分プラス嬢としてプレイした場合の120分の分のお給料。 この店は日払いをしていて、全額その日に貰って帰っても良いことになっている。 そっか、ももさん、そっか。 頭の中には、いつもお酒をたくさん飲んで元気に笑うももさんの丸いニコニコ顔が浮かぶ。 時々腕やわき腹なんかに青あざ作ってくるももさん。 ももさんは、こういう場面に何回もブチ当たって来て、自分の捨てられないものとお金を天秤にかけた時、最後にお金の方を選んで来たのかもしれないですね、なんて。 想像の中のももさんに声をかけてみた。 キッチンへ行っていた社長が、相変わらずふらふらとした足取りでこちらまで戻ってくると、パソコンの横のちょっとの隙間に二本、私の膝の上に二本、ビールの缶を置いて、困った顔をして私のことを見つめていた。 「社長、わかりました。とりあえず準備します」 「うたちゃん…!」 「タクシーですか?運転キツそうなら呼びます」 「いや、俺が連れて行くから」 「マジで?社長、車にトイレとかないし、あ、オムツして行きますか?」 「…そうしちゃおっかなあ」 「オムツいっぱいあるんで」 「…うたちゃん、ありがとうね」 社長が私に向かって頭を下げた。 私はびっくりしてしまって、「そんな、別に」とか「いや、やめて下さい」とか、なんかそんなことを慌てて言った。 社長は深々と下げていた頭をあげると、私の横へ回り込んで来て、立ったまんまちょっと腰だけ曲げてパソコンの画面を見た。 プレイ内容に必要そうな道具を確認したらしく、社長自らロッカーへ向かうとガサゴソと何かを探し始める。 「社長、場所わかんないでしょ、いいっす、私やるんで」 「本当にありがとうね、うたちゃん」 「いや、それはもういいんで」 「ごめんね、うたちゃん、嫌だろうに」 「マジで、もういいんで」 こういう仕事をしていても、様々なプレイを行う嬢たちを見て来ていても、私にとっては「このプレイがとんでもないプレイに値してしまうこと」を理解していて、そして、それをやってくれとお願いするしかない立場であると言うことを反省して、心苦しく思って、ちゃんと謝ってくれている。 と、その時の私はそう感じた。 「たかだかこれくらいのこと」などと思わずに接してくれるのだ、と。 私にとっては本当に嫌なことなのだと、社長はちゃんとわかってくれてはいるのだなと思うと、一人の人間として、一人の個人として扱ってもらえているのだ、と言う気がしてなんとも不思議な気持ちになった。 私はとりあえずマンションを出る時間になるまでに準備を終えるので、社長はちゃんとトイレに入っといた方がいいっすよ、と声をかけ、さっきからずっと膝を冷やしていたビールの缶をひとつ持ち上げ、プルタブを開ける。 そして、すぐに飲み口に口をつける。 ゴクゴクと喉を動かし、今度は何かが喉につかえてしまい、一気飲みは出来なかったので、なんとか三回に分けて全てを飲み干した。 まだ膝の上を濡らしている二本目をつかみ、今度はパソコン机に肘をついて、諦め悪く唸りながら、行儀悪く飲み進めた。
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