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覚悟を決めて
出勤している嬢のページを確認してみると、なるほど。
確かにどの嬢の写真も名前も表示されていない。
それでも予約して来た新規のお客さんたちは一体何を見て電話をかけて来て、もしくはネットで、このお店へ登録したのだろうか。
昨日までは「今日が出勤予定日」になっていた、そんな嬢をお目当てでそうしたのかもしれないが、残念ながらその嬢はここにはいない。
その為、新規の客の二人はキャンセルだ。
最後の三人目だって、お店のホームページに載っていた、どの子かはわからないが、良いと思った嬢がいたのだろうに。
まあもうそんなことは関係ないのだが。
行くことになってしまったのは、AVと雑誌からでしかSMやフェチと言われるプレイを学んで来なかったこの私だ。
三本目を飲みながら、時計へと目をやる。
もうそろそろ準備をしなくては、と思い、ビールの残りを飲み干してから、プレイに必要な衣装をロッカーから出すと、確実に使うと思われるモノを幾つか棚から取り出し、ホテルへと持って行く専用のバックの中へとおさめる。
四本目を飲もうとしているところで、何度目かのトイレを流すジャーっという音がして、社長が出てくる。
一応オムツも本当に用意しておいた方がいいだろうか、と思いつつ、バックを肩に担いだ格好のまま次のビールを煽る。
「うたちゃん、ちょっと待ってね、これ書いて」
「ああ、忘れてました」
そう言って社長が色々と山積みになっている机から取り出したのは、何かが書かれている一枚の紙。
それは体験入店に来た子なんかも書かされる、所謂「私はこのお店で働きますよ~こういうお店で働くけど、全然OKなんで私!無理やりとかじゃないっす!強制とかされてないです!…で、いいかな?」みたいな、まあそう言ったようなことが書かれている、所謂同意書のようなものである。
私はろくに内容も読まずに名前を書き、そして「今日だけの、たった一人のお客さんにしか使わない源氏名」を社長と一緒に考えて決めた。
その源氏名は「しおり」だ。
今でも覚えている。
「しおり」は、また新たなビールを飲み干すと、愉快な気分になって来て、「社長、今日だけは私のこと、しおりって呼んで下さいね」なんて言って、酔っているのか、少しだけ社長に絡んだ。
「わかった。しおり、じゃあ行こうか」
「はい!」
「プレイ内容に書かれていなかったことをされそうになったら、電話をかけて来るんだよ」
「流れはだいたいわかってます」
「しおり、ありがとう」
社長はその日、私にもしおりにも何度もありがとうと言った。
特に店の稼ぎ頭でもない、プレイが出来る嬢ですらない、ただの裏方のお仕事をこなす為だけに雇われた私に。
マンションの部屋の一室から出て、エレベーターで一階まで降りると、社長は駐車場に車をとりに行く。
車で行けばお客さんの待っているホテルにはすぐに着く。
多分、予約された時間には余裕で間に合う、丁度よい頃合いには着いている。
どんなお客さんなんだろう?
あんなことを、ただ見てみたいだけ、だなんて。
からかい?冷やかし?それともマジモンのそれ専ってこと?
だって120分もあるのに、それだけなんて、残った時間はどうやって過ごしたらいいの?キャバクラみたいに会話で楽しませれば良いのだろうか?
一通り酔っぱらった頭の中で、素面の時には考えることが出来なかった「不安」だったことを思い浮かべてアレコレと思案してみる。
けれど結局そんなことは、そのお客さんと対峙してみないとわからないことばかりなのだ。
俯いていた顔を上げると、ヨシ、と、すっかりアルコールの力によって自尊心やプライドを揺らがせることに成功していた私は、前向きにそのお客さんとやらの元へと向かうことを決意した。
社長の運転する送迎用の車が私の目の前に停まると、さっそく助手席へと乗り込み、プレイ道具用のバックの中をゴソゴソと探る。
念のために、おかしな客だった時の為に、逃げられそうもない状況に陥った時のことを考えて、私は社長から隠れて貝印の剃刀をバックの底へと忍ばせておいたのだ。
書いてあったプレイ以外のことをしてこようとしたら、見てろよ。
どんな手を使ってでも、自分の命を盾にしてでも、私は逃れてやる。
男の力に敵うわけなどない私は、万が一にでも無理矢理に性行為を強要されそうになった場合は、自分で自分の命を傷つけて、せめてその瞬間だけでもこの世から消えてしまおうと考えていた。
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