ホクロ

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 2両目の車両、進行方向から数えて3つ目のドアが僕の前に滑り込んできた。  開いたドアから降りる人たちを避けて、電車に乗り込む。右斜め前にある座席にブレザーの制服を着た彼女が座っている。  彼女はいつも口角をあげて単行本を読んでいた。その口元、唇の向かって左下にホクロがあって、それが僕には魅力的に映った。  彼女とは下校の電車で週に数回、一緒になる。今日こそは声をかけるぞと意気込んで電車に乗っては尻込みするのを何度も繰り返したのだろう。  結果、声をかけることができないまま、蔓延する新型の流行り病によって、僕の高校の授業はリモートになってしまった。  外出自粛が解除され、晴れて登校することになっても、電車通学する学生は乗る電車を少しずつずらすしたり、また心配する親が車で送迎したり、少し無理してでも自転車通学を始める生徒もいたりして、以前のように同じ電車に高校生が多く乗り合わせることがなくなった。  僕は変わらず同じ電車の同じ車両に乗っている。もしかしたら、彼女と会えるかもしれないという一縷の望みにかけているのだ。  駅のホームで、ふと周りを見回して、今さらながら気づいた。  皆、マスクをしていて、顔が半分隠れている。  久しぶりに登校したとき、誰かわからないクラスメイトが何人かいた。そんなに親しくないクラスメイトとはいえ、毎日顔を合わせていたヤツらだ。なのに、マスクをしていると、わからなかった。  僕は彼女のことがわかるだろうか。僕の印象にあるのは、彼女の口元にあるホクロだ。  入ってきた電車の2両目、進行方向から数えて3つ目のドアから車両に乗り込む。右斜め前の座席にはブレザーの制服の女子は座っていない。マスクの中で軽くため息をついて、僕は向かい側にある閉まったままのドアにもたれるようにして立った。  電車が動き出すと同時に声をかけられた。  声がする方へ目を向けると、彼女と同じ制服を着た女子がドアの横にある手すりに捕まって立っていた。 「ずっとお話ししたいと思ってました。でも、リモート授業になってしまって。次、会えたら絶対に声をかけるって決めてたんです」  そう言ってマスクを少し下ろした女子の口元には、向かって左下にホクロがあった。 「あなたも私のこと見てたと思ってたんですけど、うぬぼれだったのかな」   僕はマスクの中で口を開け、大きく首を横に振る。 「そうだよ。僕は君をずっと見てた。でも、よく僕だってわかったね。マスクで顔の半分が隠れてるのに。そのせいで、僕は君をなかなか見つけられなかった」  マスクを元に戻した彼女が目を細めた。 「だって、あなた、右目の下に大きい泣きぼくろがあるじゃない」  僕は右の人差し指で自分のホクロに触れる。彼女に言われるまで、その存在を忘れていた。毎日、鏡で見ているはずなのに見慣れすぎたせいだろうか。  自分のホクロから指を離した僕は、マスクで隠れた彼女の口元あたりを見る。  少し顎を上げて僕を見上げる彼女と目が合って、そろって目を細めた。 (了)
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