黒猫

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 改札を抜けると、駅は人で溢れていた。  ある人は笑顔で、ある人はまるでこれから人を殺しにいくような険しい顔で、それぞれの人生を歩いている。それは僕だって同じことだ。バイトを終えて、一般人代表みたいなアホ面で、一人暮らしのアパートへと向かっていた。  カフェオレみたいな夕焼け空、その端っこにキラキラと輝く金星の光。ぽつぽつと灯りだす集合住宅の窓のオレンジ色の光。どちらも暖かくて、どちらも僕から途方もなく遠い。蝶を羨む蜘蛛のようにそれらを眺めながら、のんびりと歩く。  コンビニに寄って夕飯を買って外に出ると、さっさと日が落ちてしまっていた。  駅前の繁華街を抜けて路地を一つ入るともうあまり通行人もいない。  嫌な予感がした。  どうにも気持ちの悪い道がある。街灯も少なくて暗く、コンクリート塀に囲まれた狭い道。  電信柱の影から口裂け女が飛び出してきそうな雰囲気の道だ。  ぶら下げたビニール袋のカサカサ鳴る音だけが無感情に続いていた。  その時、僕の目の前に何かが飛び出してきた。  黒猫だった。  口裂け女でなくて良かったが、思わず声が出てしまった。  黒猫は僕を一瞥すると、興味もなさげに生垣の中へ消えていった。  黒猫が道を横切るのは不幸の兆し……。  国によっては幸運の前触れだったりもするらしいが、僕はぞっとしてしまったので、きっともうダメだ。  何かが心にひっかかった―― ――― 2 ――― 「あ! 思い出した!」  急に僕が大きな声をだしたので、成瀬は吃驚して咳込んだ。 「な、なんだよいきなり」  僕らは大学の学食のいつもの溜まり場でだらだらと時間を浪費していた。既に昼食時は過ぎて、学生たちも疎らだ。 「いや昨日さ、バイト帰りに黒猫を見かけたんだどさ」 「黒猫?」 「うん、その猫がさ、僕が小さい頃に実家で飼ってた猫とそっくりだったんだ」 「ほぉ」 「いや、そっくりなんてレベルじゃない。春吉、あ、猫の名前ね。春吉の額には白い筋模様があったんだけど、昨日の猫にも全く同じ筋模様があったんだ」 「もしかしたら同じ猫なんじゃないか」  成瀬はさっきまでしていたように、テーブルに両手を投げ出した姿勢に戻りながら、興味なさげに言った。 「それはないよ。春吉はもう随分前に死んでる」  実家で飼っていた黒猫の春吉は、僕が小学生の高学年の頃に死んでいた。家ネコとはいえ、だいぶ野良に近い飼い方をしていて、時々、いなくなることがあった。いつもは数日間で家に帰ってきて、何食わぬ顔で縁側に寝ころんでいた。  ある日、いつものようにいなくなって、二度と帰ってくることはなかった。猫は死に姿を飼い主に見せないというが、本当にそうなんだなと思った。どこかで生きているのかもと思えたことで、悲しみは薄らいでいた。当時すでにだいぶ老猫だったし、あれから十年以上経つ、まだ生きてる可能性は低いだろう。  僕は懐かしくなって、春吉にまつわる昔話を成瀬に話して聞かせた。 「ふむ、その黒猫は春吉くんだな」  成瀬は僕と春吉の思い出話を黙って聞き終えると、そう断言した。 「それは考えにくいよ。首輪もしてなかったし、距離的にも実家かからかなり離れているし、もし生きていたらニ十歳近いよ。偶然、同じ模様だったってだけさ」 「猫には九つの魂があるって話は聞いたことあるか?」  成瀬はだらけた姿勢をやめて椅子に深く腰掛け直す。 「あぁ、あるよ。魔女の使いだからとか、エジプトの神様だからとか、いろいろ由来があるみたいだね」 「そう。ってことは二十年くらい生きててもおかしくないだろ」 「お、成瀬らしくないな。そんな都市伝説みたいな事を信じてるのか」  僕は普段、振り回されている恨みも込めて軽く馬鹿にしてやった。 「それに、春吉くんだと思った方が嬉しいだろ」  成瀬は僕の挑発に乗らずに、それこそ、らしくない返しをした。 「まあ、そうかもな。まだ生きていて成長した僕に会いに来てくれたんだな」  僕は不覚にも泣きそうになった。あの黒猫が春吉なら、もしかしたら、また会えるかもしれない。ひょっこりと僕のアパートに現れてまた一緒に暮らせるかもしれない。そんな事を思った。 「じゃあさ。人間にはいくつ魂があると思う?」  感傷に浸ろうとしている僕に、成瀬がニヤニヤと聞いてきた。 「え、そりゃあ、一つだろ」  不意を突かれて、つまらない答えをした気がした。何故か少し悔しい。 「なんでだよ。猫には九つもあって人には一つか? 不公平だろ」 「確かにそうだけどさ。例えば、生まれ変わりの場合は一つと数えるのか? それとも二つ目?」 「それは二つ目だ」 「なるほど、そういう理論でいいなら。そうだな、でも精々二つじゃない?」  前世の記憶を持つ子供がいるというニュースは聞いたことがある。これも都市伝説の類だろうけど。それでも、その前、つまり前前世の記憶まで持ち合わせているという話は聞いたことがない。前世までの記憶しかないのであれば、魂のストックは二つということになる。 「二つねぇ。話は変わるけど、君の部屋番号ってたしか『205』だったよな」 「そうだけど? それがどうしたよ」 「じゃあ隣は『204』か?」  また成瀬の悪い癖だ。話相手を手玉にとって煙に巻く、基本的にその相手は僕なのだけど。 「そうだよ。いやまてよ、ちがう『203』だ」 「なんで『204』じゃないんだ?」 「それは『縁起が悪い』からだよ。知ってて聞いてるだろ」 「ふふん、そう、いわゆる『忌数』って奴だな。『四』は『死』を連想させるから避ける傾向にある……」  成瀬は自分の思い通りに会話が進んで喜んでいるように見えた。このままではつまらないので、どこかで話の腰を折ってやらねば。 「と、言われてる。が、違う」成瀬が人差し指を立てながら言った。 「え、違うのか?」  僕は決意したそばから、また振り回された。 「では、なぜ、『死』と『四』は同じ読み方なのか。そこまで考えたか?」 「それこそ偶然だろ、偶然同じ音だから避けてるんだよ」 「偶然なんてこの世にないんだよ」 「偶然じゃないとしたら、どういう意味があるんだよ」  成瀬は、わざともったいぶって時間をかけてお茶をすすった。 「人の魂は『四つ』あるんだよ。だからそのリミットである『四』を忌むんだ」  僕はいつものようにゾッとした。  人の魂の数は『四つ』。だから『四』=『死』となる。 「もちろん、春吉くんが君の前に現れたのも偶然じゃない」 「だとしたら、どういう意味があるんだよ」 「警告だよ」  僕は昨日の帰り道に感じた『嫌な予感』を思い出した。  黒猫が横切るのは不吉な兆し……。 「な、なんの警告だっていうんだよ」 「へへへ、もし、魂を四つとも使い切ったらどうなると思う?」  成瀬は僕の質問にまた質問答えた。 「それは、もう生まれ変われないってことだから。本当の『死』か……?」 「再生回数は四回までってことだな。君はいま『何回目』だろうな?」  成瀬はまるで黒猫のような漆黒の瞳でウインクした。
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