さめないで、ハルノユメ

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「初めて「いつみ」に来た日。俺、割と落ち込んでました。既に文芸編集の仕事をしていましたが、新卒で配属されたのは漫画編集部だったんです。そこで初めて担当した思い入れの強い漫画家さんが、辞めるという話を耳にしたからです」 「……そうだったんですか」 「会いに行くと、連載の打ち切りが続いて、そろそろ区切りをつけたいと吹っ切った笑顔でした。……その帰り道に偶然「いつみ」を見つけて。メニュー表の裏にこっそり載ってるコラムを読みました」 ──アパートを引き払って実家に戻った私は、塞ぎ込む日が続いた。当然、机に身体が向かうことも無い。情けなくて惨めな自分に圧し潰されそうになっていた時、父から無茶振りを受けた。 『朔。お前、店のメニュー表の裏に、なんか書け』 『……な、なんかって何』 『何でも良い』 『いや、急に言われても……、私そんな簡単には書けないよ』 『こっちも簡単に言ってないから、問題ない』 『え……?』  カーペットの上に蹲る私と視線を合わせるようにしゃがんだ父は、やはりいつものしかめっ面だ。初対面だったら間違いなく「怒ってるのかな」と勘違いさせる。 『ここには、お前が書きたいと思うものを書けばいい。ゆっくりで良いから』 『……そ、んなの、今まで編集さんとの打ち合わせで言われたこと無いよ』 『そうか。俺は編集者じゃない』  父は、いつも言葉数が少ない。でもその端的な返事に、私の全てを受け止めてくれるような優しさが自然に垣間見えてしまう。熱く膨らむ瞼を押さえるように膝を抱えて俯く。同時にぎこちなく私の髪に触れる掌はとても大きかった。 『ほんとに、好き勝手に書くから。覚悟してね』 『分かった』  お好み焼きには、当然多くの野菜を使う。つまり、いつみでは大量の食材として仕入れる。日々の食材ロスを減らすためにも、旬野菜のサイドメニューを多く取り扱っていた。原価が安い分、利益を取りやすいからもっと売り出せればと思ったのが、コラムを書き始めたきっかけだった。 
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