さめないで、ハルノユメ

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「今回の春キャベツも、良かった。やっぱり俺は、朔さんの書く言葉が好きです」  物理的に距離が近づいた分、当然新座さんの声を近くに感じる。(はや)る心臓をもう既に悟られているように思うけど、離れたくはなかった。 【繊細な春キャベツを育てるのは、とにかく苦労が多いそうです。逆算すると種蒔きの時期は秋。そこからなんとか芽を出すことが出来ても、先ずは、寒い冬という難関を突破しなければなりません。10℃以下にならないよう、家庭菜園の場合でも不織布やビニールで覆うことは必須。かといって空気の通り道を全て塞いで蒸れてしまうこともNGです。 更に、いくつもの関門を乗り越えて訪れた彼らの食べ頃は『五月上旬までの数ヶ月間』いう、ほんの一握りの限られた時間なのです。 丁寧に作られた春キャベツは、一番の特徴である葉の柔らかさを活かすべく、生で食べることが最もオススメされています。 本来の素材そのものの柔らかな甘みは、春が連れてくる優しさにどこか似ています。厳しい寒さを越えて、新しい生命が芽吹く時の温もりは、決して永遠のものではありません。だからこそ、毎年その季節に触れる度に愛しい。思わず表情が綻んでしまうような喜びがあります。 ほっと心が安らぐ春キャベツの美味しさを知っていただくためには、難しい調理なんて必要ありません!(決して手抜きでは無いです!!) いつみがいつもお世話になっているキャベツ農家、長谷川さんの自慢の春キャベツは、梅おかかを合わせて、さっぱりとお口直しにどうぞ】 「俺からしたら朔さんは、春キャベツですね」 「な、なんですかそれ」 「だって"春が連れてくる優しさ"に似てるんでしょう?朔さんじゃないですか」 「……嘘だ、接客に文句ばっかりだったのに」 「騙されないぞ」という気持ちで目を細めて訝しげな視線を向ければ、慈愛に満ちた眼差しに出会って、返り討ちに遭う。  頬にそっと手を添えられたら、もう、完全にこの男から逃げられない。 「改めていつみを訪れて、朔さんと初めて話した日。帰ろうとしたら椅子にかけてた筈のジャケットが無くて。そしたら朔さんが、奥から出してきた。「ニオイが付くと思ったので」って、態々裏返して皺がつかないように綺麗に畳んであって。そういう気遣いも、ツンとした言い方も、そのくせ耳が赤いのも全部、相当可愛かった」  上質なスーツを店内に放置しておくのはどうしても躊躇われた。その後、新座さんがお手洗いに立ったタイミングで、いつの間にか椅子から落ちてしまっていたジャケットを慌てて拾った。今言われてやっと思い出したくらい、自分にとっては大袈裟なことでは無かった。 「そ、そんなことですか……?」 「俺ちょろいんです」  楽しそうにそう言って、もっと抱き締めてくれる新座さんの背中に私も恐る恐る腕を回す。
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