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「とりあえず沢山買ってきてくれ」
「どんだけ食べる気なの!一個です!」
「ストックしておくんだから良いだろ。早く行け。ちゃんと表通りに出て、明るい道使えよ」
「……はいはい」
本当にストックする気なのだろうか。放っておいたら全部この男は一気に食べてしまう気がする。渡された千円札を受け取りながら指摘すれば、父の顰めっ面には「うるさい奴だな」と明らかに失礼な感想が書いてあった。
◆
お店から一番近いスーパーは、平日の十九時だと丁度、仕事帰りのサラリーマン達でお惣菜やお刺身の特売コーナーが賑わう。
その光景を見つめながら、私は結局、人生の中で「サラリーマン」を経験していないのだと、ぼんやり思う。
『構想社で、俺と作品を作っていただけませんか』
夢を手放したい、手放したくない。その狭間でずっと雁字搦めになっていた私にそんな言葉をかけた編集者とは、あれ以来、"仕事以外"では殆ど会えていない。
今度の企画会議に出してもらうためのプロットを一つ提出して、結果を待っている段階だ。新座さんは、私の仕事の道を拡げるために色んな提案をしてくれる。雑誌の小さなコラム記事などの執筆依頼も回してくれる。おかげで、いつみで働く頻度は少しずつ減って机に向かう時間が増えた。
小説に関しては、新座さんからの丁寧かつスピーディーな返事を貰ううちに「こういう話なら書けるかも」から「こういう話を書きたい」が、自分の中でも少しずつ定まっていった実感があった。だから、仕事なら毎日のようにやり取りはしている。
――でも。
『朔さん、今日は家まで送ります。流石に付き合った日にこのまま朔さんのこと連れ去って、店長からの評価を地の底にしたくはないので』
私を抱き締めていた腕を解いた男は、口では「返したくない」なんて言っていたくせに、あの日はちゃんと、律儀に私を家へと送り届けた。「まだ一緒に居たい」なんて私にも言わせておいて、とちょっとだけ口を尖らせたくなる気持ちは、奥底に仕舞い込んだ。
『朔さん!こっちです』
『……な、なんでいつみでご飯なんですか!』
『え、だって美味しいし。あと朔さんの家とも近いから終電ギリギリまで一緒に居られるし』
先日珍しく「一緒に飯食べましょう」と連絡が来て、私服選びに悩んだりして浮ついていた私は、集合場所を聞いて見事に打ちのめされた。まず父親の店だというところが辛いし、更に「ちゃんと今日中には解散すること」が前提なのは、寂しい。
でもそんなこと言えるわけもなく、普通にカウンター席に並んでお好み焼きを食べて、普通に実家の前で解散した。
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