774人が本棚に入れています
本棚に追加
『――俺は春乃先生も勿論欲しいですが、逸見 朔のことも欲しいので。どっちも貰います』
付き合った日に、言われた言葉を思い出す。
嘘つき。ニセ外資系コンサルタントめ。"逸見 朔も欲しい"って言葉は、一体なんだったんですか。
低脳な悪口ばかり心で浮かんで、そんな自分にも嫌気が差す。私の夢を一緒に抱えると言った新座さんが、その言葉通りどれだけ丁寧に今、仕事をしてくれているか分かっているのに。
スーパーのカゴを持ってアイスコーナーに向かう途中、スマホの画面をタップした。勿論、あの男からの通知は何も来ていなくて、代わり映えのないロック画面に深く息を吐き出す。
もしかして今日、いつみをひょっこり訪れていたりしないかな、なんて期待を込めて店を覗こうとしていた所を父に勘づかれたのは予想外だった。
「――朔さん」
もうさっさとおつかいを済ませて、家に帰って寝よう。父には悪いけど、八つ当たりを兼ねてアイスは一つだ。カゴに目当てのものを入れながらそう決意を固めたところで、後方から名前を呼ばれた。聞き覚えしかない声に、従順に振り返る。
「……え」
「朔さん。店長からの注文だとアイスは沢山じゃなかったですっけ」
「な、なんで」
男曰く「誠意と本気」を見せるために来店のたびに着替えていたというスーツ姿は、もう見納めになったと思っていた。かっちりと皺のない上質なスーツ姿で目の前に突然現れた男は、微笑みながらこちらへ近づいてくる。
「先生。ご提出いただいたプロット、企画会議を通りました」
「……え?」
「無事に、書籍化に向けて動いていけます」
「……ほんとう、ですか?」
明確な会議の日は聞いてなかった。というか、この人は作品を書くこと以外の懸念事項について、私には見せようとしない。
「はい。編集長も楽しみだと言ってました。またゆっくり、どういう風に書いていくか決めましょう」
「あ、ありがとう、ございます、」
――私はまた、物語を書ける。
実感すると、直ぐに涙の予感がギリギリまで迫る。隠すように慌てて下を向こうとすれば、ぎゅうと強く抱き締められた。
最初のコメントを投稿しよう!