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「朔、お前今日先に上がれ」
「へ?なんで」
「良いから」
閉店時間まであと一時間近く残した頃、テーブル席の鉄板掃除をしていると後ろから声をかけられた。大体いつも顰めっ面が多いこの店の主人は、今日はいつにも増して顔が険しい。ほんと、この男にだけは接客に関して「愛想よく」とか注意されたくない。
「どうしたの、お父さん」
「なにが」
「なんでそんな怒ってんの」
「怒ってない」
いや、誰がどう見てもお怒りですけど。私から布巾やアルコールスプレーを奪った男は、そのまま代わりにテーブルを熱心に拭き始める。
「さてはこれから私が店の手伝い出来なくなるから寂しいな?」
「何言ってんだ。良いから早く帰れ」
「素直じゃ無いなあ」
「……お前、良かったのか」
「え、なにが」
こちらに背中を向けたままの男は、手を動かしながら低い声で尋ねる。首を傾げると「新座さん」と、突然爆弾を投げられた。ぴくりと身体が反応してしまう様を見られなくて良かったと反射的に思う。
「『今日で最後だ』って言わなかっただろ」
「……態々、報告するのも変でしょ」
チラリとカウンター席へ視線を投げる。数十分前までそこに居た、質の良さそうなスーツに身を包んだ男の姿はもう無い。
「常連にまで愛想が無いなお前は」
「いや人のこと言える?」
「志津は、いつも愛嬌たっぷりの接客だった」
「お母さんと比べないでよ」
ぺしっと男の背中を叩いて自分のエプロンを外そうとすると、こちらに向かう視線に気付く。つりあがった目の形は、自分とよく似ている。
「本当に良かったのか」
「だから、新座さんのことは」
「──書くことも。もう、本当に良いのか」
さっきから何故こうも無遠慮に尋ねてくるのだろう。準備が出来ていなかった身体に面白いくらい動揺が走る。なんとか無理に笑顔を作ったと同時に心臓が強く締め付けられた気がした。
「……良いの。やっと就職も決まりそうだし安心してよ。これからは、私のことは気にせずゆっくり過ごしてくれて良いから」
「馬鹿だなお前は」
「お父さん。"あの時"の甘かった私とは、違う。ちゃんと現実を理解してるよ」
「……それが馬鹿だって言ってる」
「え?」
流石に納得されるだろうと思っていたのに、仏頂面のままの父は再びそう告げる。そして「なんでよ」と問う私を置き去りにして、テーブル磨きに専念してしまった。
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