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裏口から店を出ると日中とは違い、夜風にはまだ涼しさが残る。
──自宅から徒歩五分とかからない距離にあるお好み焼き屋「いつみ」は父と母が二人で切り盛りしてきたお店だ。そして、私が小三の時に母が亡くなってからは父がたった一人で続けてきた。
「……満開だ」
帰り道の途中にある公園の周りはこの時期、桜が咲き誇り、地元の人間しか知らない隠れた名所になっている。古びた街灯の心許ない光でも、その鮮やかな美しさが分かる。
毎年新緑の芽生えと共に、必ず蕾が開いて花びらが色づく瑞々しい季節に自分の未来を重ね合わせた過去が、確かにあった。だけど、現実はそんな甘くない。
──浅はかな自分が愚かにも見た春の夢から目覚める方法を、必死に探している。
「朔さん」
ぶらぶらと歩いている途中で突如名前を呼ばれ、身体が揺れる。慌てて振り返ると、暗闇の中に自分とは違う人の気配があった。
「新座さん。なんで……」
「朔さんのこと待ってました」
「何故」
「こっちの台詞ですけど。どういうつもりですか」
長い脚で私の目の前まで歩いてきた男の表情を、瞬きを繰り返しながら必死に探る。そして、いつもの笑顔なんて微塵もなく「とても怒ってる」という事実を知る。気圧されて一歩下がろうとすると「逃げるな」と、今まで聞いたこともない口調に驚いて身体が止まった。
「僕が怒ってる理由、分かりますか」
「接客態度ですか」
「そんなの別にいつも悪いでしょう、今更気にしません」
「それはそれで腹立つんですけど」
「朔さん、就職されるんですか」
厳しい声と表情のまま尋ねられて、ハンドバッグを握る手に力がこもる。動揺を悟られないようにこっそり唾を飲んだ。
「それで怒ってるんですか?むしろ祝福されるべきことだと思うのですが」
「お店を手伝うのは今日までだと、逸見さんに聞きました」
あの父親、いつからそんなに口が軽くなったの。まさかの密告者に焦りながらも、なんとか平静を装う。
「医療事務の仕事です。正式に雇っていただく前に試験的に来週から働く予定です」
「却下で」
「は?」
間髪入れずに否定されて、間抜けに口が開く。
「朔さんが居なくなったら、「いつみ」の季節のおすすめ野菜コラムはどうなるんです」
険しい表情のまま真っ直ぐに伝えられて、息が詰まった。気道を圧迫されて一気に苦しくなる。
──だからこの人には、何も言いたくなかった。
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