さめないで、ハルノユメ

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 小三の時、持病が悪化した母との別れはあまりにも突然で。私はやはり、直ぐには泣くことができなかった。  吐き出したい気持ちは山程ある筈なのに、自分の中で雁字搦めになって、どうしても上手く外に出せない。 『逸見さんの親子、お葬式でも全然泣いてなかったわね』 『なんていうか……クールよねえ』  感情の起伏をちゃんと出せないところは父親譲りなのだと、隣で険しい表情を崩さない男を見て思った。  "故人とお別れをする正式な儀式"の全てが終わる時まで、私たち親子には涙が無かった。それが周りからすれば普通ではないと分かっていても、感情は表に出てきてくれない。 ──でもそれは決して、感情が「薄い」わけじゃない。 『……お父さん』 『まだ起きてたのか』  式から数日後の夜、縋るような思いで机に向かった。そしてリビングで静かにアルバムを眺める父の背中に声をかけた。右手で強く握りしめていた紙を徐に広げ、視線を落とした。自分の筆跡は、普段より荒く揺れていた。 『"まだ、いっぱいあるの"』 『……朔?』 『"毎年、母の日と誕生日は、枕元に手紙置くつもりだったから便箋たくさん、可愛いの買ってたんだよ。お母さん、私、お母さんへの手紙、書き足りてない"』  突然話し始めた私に、ソファからゆっくりと父が立ち上がる。真っ直ぐな視線を感じて言葉が詰まりそうになりながら、それでもなんとか喉から声を絞り出す。 『"お父さん、毎日お母さんの写真見てる。ずっと寂しそう。みんなの前で泣かないのは、強いとか、凄いとか、そんなんじゃないの。私もお父さんもまだお母さんが居ないのをちゃんと分かってない、だけで、"』  どんなに寝坊せず頑張って朝目覚めても、「おはよう」と元気ハツラツの声には会えない。放課後、いくらお店に顔を出しても学校や友達のことを聞く前に「おかえり」って真っ先に抱き締めてくれる温もりには、もう会えない。 ──"朔は、自分の心といつも丁寧に向き合ってるから、それが表に出るまでちょっと時間がかかるだけ"  私は、気持ちを整理するのに時間がかかる。吐き出すにはもっと、時間がかかる。そう教えてくれた優しい母は、もう居ない。自分の中で初めて味わう消失感を、真正面から受け止める力がまだ無い。 『"寂しい、すごく。一回で良い、会いに来てほしい。会いたい。お母さんのことが大好き。だからこそ、酷い。どうして居なくなっちゃうの。こんな気持ちにさせるお母さんなんか、嫌いだよ"』 『朔』 『……こうして手紙にしたら、分かった。お母さんに怒ったり酷いこと言いたくなる気持ちまで私、どうしても持ってるの。良い子じゃなくて、ごめんなさい、』  手紙に書き認めた言葉をゆっくりと全て吐き出す。技巧を凝らしたと言えない表現ばかりだった。ぐちゃぐちゃに心の中で混ざる汚さも全てをぶつけた。その瞬間強く私を抱き締めた父の大きな身体が、震えているのが分かった。 『それでも。それが朔の精一杯の想いなら、志津は受け止めてくれてる』 『ほんとう?』 『うん。……会いたいな』  私に負けないくらい震えた声で呟いた父のたった五文字には、すべてが詰まっていた。  その瞬間、やっと頬を涙が滑り落ちる。なんの涙を流せば良いのか分からなかった。寂しさも、怒りも、苦しさも全てが混ざって正解を見つけられずにいた。 『お父さんも、泣いてる』 『ああ。朔の言葉は、すごいな』  私はいつも、誰かを喜ばせたくて自分の気持ちを必死に正しく言葉にしようとしてきた。──こんな風に、一緒に泣き合うために生まれた「綺麗じゃない言葉の重さ」は、初めて知った。
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