成功するサイコパス

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成功するサイコパス

* サイコパスという言葉がこの世に蔓延るようになったのは、いつからだっただろうか。元はと言えば心理学用語であったサイコパシー、それは精神病質で精神障害の一種であり、社会に適応することが難しい恒常的なパーソナリティ障害のことである。 お前らが抱くサイコパスのイメージとは、目が笑っていなくて、口角が無意味に上がっており、何を考えているのか分からない、例えばそうだ、殺人で笑うようなそんな頭のおかしな精神異常者。 ___俺は、成功するサイコパスになりたかった。 「なぁ東、あれから一ヶ月経ったな。」 小さい頃から日差しが嫌いだったせいだろうか、窓から差し込む夕陽に目を細める放課後の教室。冬の寒さは、普段離ればなれにある人を引き寄せる効果があるらしい。何となく誰に決められた訳でもない小集団を作って教室を出る生徒たちを横目に、俺はため息をついた。 クラスメイトである太一が呟くこの教室ではある日を境に始まった急性的ないじめがあり、標的にされた男子生徒がこの間屋上から飛び降りたばかりであった。 あれは俺が人生に退屈していた初秋の頃だっただろうか。太一との会話によって呼び起こされる記憶が、やけに鬱陶しい。 あの日のことはよく覚えていた。金木犀の香りが風に乗って飛んできて、俺の鼻腔を刺激した現国の時間。教科書に書かれていることをそのまま映し出す板書、それを書き写すのがあまりに億劫で、俺はただただ文字の羅列を眺めていることに心底飽き飽きしていたんだ。 不意に窓の外を見た時、脳幹を揺さぶるような衝撃に俺は心を打たれた。屋上のフェンスに屯する無数の鳥たちが空に羽ばたこうとしていて、それと同時に別の生き物もそこから飛び降りた。きっと鳥たちはどこかへ逃げようとしたのだろう、彼もそのうちのひとりだったから。 ___ある男子生徒の飛び降り自殺。 聞こえるのは夥しい無数の悲鳴。阿鼻叫喚。泣き喚く生徒、震える教師。 ただひとり、マジョリティの有象無象な感情とはまるで正反対の沸き上がる感情に、俺は興奮を抑えきれないでいた。 あぁ俺の勝ちだ、ってね。 そしてイジメの主犯格とされた男__南川蒼太は程なくして学校を辞めさせられた。成績も良く、学年でも一位二位を争うほどの頭の良さ。このまま問題なくいけば、名門大学の指定校推薦は間違いないとされていたのだから、親はもちろん先生もさぞ苦しかっただろう。 「なぁ東はさ、本当に蒼太がやりたくてやっていたと思うか?」 「…何、どういうこと?」 「蒼太ってさ、いつもあんなふうにヘラヘラしてるけど、根は良い奴だしよ、……そんな、人をいじめて追い詰めるような奴には見えないって言うか、」 「なんだよ今更。南川にサイコパスってあだ名つけて笑ってたのどこのどいつだよ。」 俺たち三人はよくつるんでいた、いわゆるイツメン。指定校狙いの俺と南川、就職する予定の太一。全員決まれば冬からは遊び放題だねと話していたあの春が懐かしい。俺らはいつの間にか、ふたりきりになっていた。 「……なぁ東。今回の件で、誰が一番得したと思う?」 誰も居なくなった教室で太一が俺に問う。夕暮れがまるで嘲笑のごとく机を照らし、影は真っ直ぐに伸びきって、ふたりきりなのにやけにその場の人数を大きく見せていた。 「は?何だよ得って。誰も得してねぇんじゃねぇの?……実際、人ひとり死んで、その主犯格は追い出されたわけだし。」 「追い出されたって、お前……友達のことよくそんなふうに言えるよな。」 あぁ間違えた、また俺は選択肢を間違えて”一般の人”に同化できなかったらしい。 そう思った時にはもう遅い、太一が重たい口を徐に開く。 「…ずっと思ってたんだけど、東の方がサイコパスだよな。」 「は?だからどうしたんだよ、いきなり。」 「だって変に無感情というか、何にも興味ないというか、なんつーか、…」 ほらやっぱり。お前らはサイコパスを誤解している。 ソースも何もない簡易的な解釈で決めつけて、それなのにさも知ったかのような口ぶり。イライラとした。むしゃくしゃした。あぁ、俺は、”サイコパス”という言葉を簡単に口に出されることがあまり好きではなかったのかもしれない。 「知ってる?サイコパスって脳の扁桃体に局在する機能の欠陥による精神病質なんだって。お前、俺のこと精神障害者って言ってんの?」 なんて言えば彼がぴたりとその言葉をやめる。そうだよな、太一は良い子だもんな、友達にそんな確証もない発言吐けないよな。 「サイコパスって一種類じゃねぇんだよ。太一にも教えてあげるよ、サイコパシー概念について。」 なんでそんなこと調べたのかって聞かれたら、ただの興味。あとは姉が心理学科だから色々参考資料とかあって、暇つぶしに読んでみただけ。俺、大学は心理学科に進もうとしていたから。 サイコパスには二つの種類が存在する。 ひとつは一次性サイコパシー。これは情緒性の欠如。その特徴は、口先だけ、表面的な魅力、病的なまでに嘘をつく、詐欺、人を操る、良心の呵責・罪悪感・共感性の欠如、冷淡さ。 もうひつは二次性サイコパシー。これは衝動的行動の側面。その特徴は多分皆が想像しているもの。退屈しやすく刺激を求めること、不特定多数との性行為、長期的な目標の欠如、衝動的、無責任。 「つまり、脳内で終わらせることができず実際に行動に移す馬鹿がただのサイコパス。そして、脳内で留めることができるのが”成功するサイコパス”なんだよ。」 「……成功するサイコパス?」 「反社会的な行動は起こさない。それでいて、人を操り報酬を得る奴らのことだよ。」 太一は酷く困惑していた。 「そもそもサイコパスって知ってる?報酬を重視して、罰を軽視する奴らのことを言うんだよ。ただただ理解不能なことをする奴らのことじゃない、それはただの馬鹿なんだよ。」 ある研究データによると、サイコパスは、カードを引くことによる報酬の確率を損失の確率が上回るようになっても、そのカードを引き続けることが証明されている。 つまり、不快や罰に対して生じる恐怖心が完全に馬鹿になってるってこと。 「南川もサイコな要素はあったと思うよ。ただ、二次性サイコパシーの部分が強かった。ただそれだけ。」 感情の乏しさゆえにより強い快楽を得るためには強い刺激を必要とするため、スリルのあるリスクの高い行動__すなわち犯罪をしやすくなると言われている。…この世界、実際に行動に移したら負けなのにね。 一次性サイコパシーは遺伝的な部分が強いのに対して、二次性サイコパシーは環境に依存することが多く確認されていた。つまり俺は養育がきちんとされていたんだ。数多くいた犯罪者を見て、自分の中の報酬という部類に”まともな生活を送ること”も含まれるようになったのだろう。行動に移さないようになったのはそのお陰だ。 「なぁホトトギスの俳句、太一は覚えてる?」 「なんだよ、いきなり。」 「あれだよあれ、織田信長とかのやつ。」 __鳴かぬなら殺してしまえホトトギス。 織田信長を表す俳句と言われているが、これは殺すという突発的な行動から二次性サイコパシーであることが伺える。 「”鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス”。なぁ、これはどう思う?」 太一は眉をひそめて、俺をじっと見るだけ。 「これはね、一次性サイコパシー。」 「……一次性?」 「そう。待つんだよ。その時を。ただひたすら。」 ___なぁ、あいつお前と同じところの推薦狙ってるらしいぞ? 『は?まじ?』 いつかの帰り道、珍しく太一の居なかった晩春の夕方に俺は南川に伝えた。彼は予想通り眉間に皺を寄せて酷く憂鬱そうな表情を顕著に表す。 『まじだよ。しっかりこの耳で聞いたもん。』 『最悪。俺あの大学の推薦取れないとやばいんだけど。』 『だよな、あいつ学年トップじゃん。それにあの学校の指定校1席だろ?やばくね?』 ……あぁ馬鹿みてぇ、人の推薦の心配なんて心からするわけねぇのにな。そんな馬鹿な南川は受験のストレスをぶつけるかのように、その学年トップに幼稚な嫌がらせを始めた。報酬を重視するサイコパス、そして行動に移す二次性サイコパシー。 俺はその後ろで、ただ監視するだけだった。自分からは一切手を出さない、誰かがするように仕向けて、促して、その時をただじっと待つ。 「なぁ太一、戦国の世で結局勝ったのは誰だと思う。その名を長い間栄えさせたのは徳川だったよな。」 綺麗にふたりが居なくなったお陰で、空いたその席に座れたのは俺だった。名門大学の指定校推薦を無事に取れたのは俺。そう、この戦に勝利したのは俺なんだ。 「お前、…。」 「そうなるとお前は秀吉だな。ただ意気込むだけのバカ。口先だけでまるで結果が伴わない。今だってそうだ、俺を問い詰めて何をしようとした?俺に謝罪をさせようとしたのか?…頭悪いよな、太一って。」 握りこぶしを作る彼を見て確信した。あぁ彼は本当に頭が悪いんだって。 「友達やめるならそれでいいし、俺のこと誰かに話すならそれでもいいよ。ただ証拠もないこの話を誰が信じるんだろうな。頭の悪いお前でも少しは分かるだろ?」 小さい頃から日差しが嫌いだった。違う、明るいものが嫌だったんだ。自分が裏側の人間に属していると感じたのは、だいぶ幼い頃だったのだろう。 俺の中の報酬とは、”まともな生活を送ること”であった。きちんとした大学に通い、良い会社に入る。将来のために馬鹿な友人はいらないんだ。そこに情なんていう人間らしさもまるでいらない。必要なのは明確な報酬だけ。 なぁ太一。 俺は、成功するサイコパスになれたかな? *
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