れいぞうこ。

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 ***  視線を感じる。  そう思い始めたのは、亜季がオフィスから去って三十分ばかりした頃だった。疲れているのか、同じく唯一オフィスに残っている常務は机で船を漕いでいる。そもそも、彼は私の席に背を向ける位置に座っているので、彼の視線を感じることはまずない。  誰かに見られている。そう感じるのは、冷蔵庫の方だった。 ――何なの……?  あと少しで終わるのに。私は苛立ちながらも冷蔵庫の方を見て、ぎょっとさせられることになるのだ。  暗いキッチンに、まるでのっぺりとした柱のように佇む冷蔵庫。その冷蔵室のドアが、僅かに開いているのである。誰かが締め忘れたのか。いや、もしそうなら一定時間した後に警告音が鳴るはずだ。  私は近づいていない。常務は寝ている。ついさっき、誰かが開けたとしか思えない。 「な、なによ……」  亜季から聞いた怪談を思い出してしまう。ウソツキを食べてしまうという、冷蔵庫。私は確かに、亜季が知らないところでたくさん嘘をついている。今付き合っている彰人もそう。結婚詐欺なんかするつもりはないが、嘘ばかり語って男達から金を貢がせ、適当な頃合いで切るということを繰り返してきた自負はあった。本当の自分を知られて失望されたくなかったがゆえに――そこで得られる副収入がまありにも美味しかったがゆえに。  僅かに開いている、観音開きのドア。近づいて閉めればいい、それは自分でもわかっていた。冷蔵庫のドアが開きっぱなしなんて、いくら初日でほとんど何も入っていないからといって故障の原因になるのは間違いないのだから。  でも私は、妙な恐怖心を感じてすぐに行動することができなかった。明らかに、中から何かに覗かれているような感覚を覚えている。何が怖いのか、自分でもわからないのに焦燥感が募るのだ。そうだ、そもそも冷蔵庫のドアが、風で勝手に開くなんてことあり得ないのだから。  慌ててキーを打ちこみ続け、保存。FAXの印刷は明日に回すと決めた。シャットダウンをクリックしたところで、ぴーぴーぴー!という特徴的な警告音が鳴り響く。言うまでもなく、冷蔵庫からだった。  無視することができず、もう一度振り返ってしまった私はきづいてしまう。冷蔵室の扉が、さっきよりも大きく隙間を開けている。そして、そこから僅かに見えているのは。 「ひっ」  誰かの、目。  血走った女の目と、隙間から覗く、何本かの細い指が――。 「――――!!」  その時。私は恐怖とともに、自分のものではないかのようにただひとつの思考に支配されたのだった。  あれを、外に出してはいけない。  あれは、喰われたものだ。  あれを、中に入れておかなければいけない、“消化”されるまで。  あれが、出て来てしまったら、その時は。 ――そんなの、駄目、駄目、駄目!!  私は金切声を上げて冷蔵庫に飛びつくと、飛び出していた腕を無理やり冷蔵庫の中にねじ込んだ。そして観音開きのドアを強引に閉めて、外側から押さえつける。  途端、“どんどんどんどん!”と内側から抗議のように激しく叩く音が響いた。いつまでも抑えていることはできない。何秒か悩んだ末、私は手の届く位置に転がっていたガムテープに手を伸ばすことに決める。ガムテープの中でも比較的高い、粘着力の強いタイプだ。 ――封じなきゃ、封じなきゃ、封じなきゃ、封じなきゃ!  私は観音開きのドアをガムテープでべたべたに貼りつけ、封印した。内側から絶対に開かないように、動かないように。 「そのまま消化されなさいよ」  自分の口から、自分のものではないような言葉が漏れる。気づけば泣きながら笑っていた。げらげらと笑いながら、私はガムテープを貼り続けた。 「お前はウソツキなんだから、ウソツキなんだから、ウソツキなんだから!!」  やがて、内側から叩く音は聞こえなくなった。  ウソツキは、封じられなければいけない。だから、次は。
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