第一章1-1

1/1
9人が本棚に入れています
本棚に追加
/38ページ

第一章1-1

 夏から秋は陽射しの厳しい日々が切れ目なく続き、いつしか肌が秋を知る頃には、すっかり街は風変わりしていた。移りゆく中で、はっきりと季節は変わった、と知るのは吹き始めた木枯らしでなく、南座に招きが掲げられた師走の街並みだろう。いつから都会で暮らす人間は自然の移り変わりでなく行事で知るようになったのだろう。それでもやっぱり春夏秋冬を表す昔の暦がいつ入れ替わろうとあの日が帰る訳ではない。  この街で生まれ育った吉野朔朗(よしのさくろう)は終わる事のないあの日の思い出に今も生きていた。忘れる事が良いのか、忘れ得ぬ事が良いのか問い続けた人生でもあった。  忘れ去る転機は一度あった。その転機に(すが)り子供も二人出来た。だがこれが余程の転機とはなり得なかった。彼が悪いのか妻にそれ程の影響力がなかったのか、それともあの人の印象が強烈だったのか、様々な思考を取り払え無かったのは、その後に塗り替える人が現れ無かったせいだろう。先の読める人生が夢のない人生なら今の彼女がそうだろうと、己の不甲斐なさをどうしても妻のせいにしてしまう。いやもう与えられた人生の運を使い切ってしまったと、消極的な性格を過去の再来に(ゆだ)ねている己を今日も悔いていた。 吉野朔朗はホテルの写真室にテナントとして勤務している。妻の桃代は由紀乃と交際して、三年目の春の四月の人事異動でこのホテルに来た。丁度、由紀乃との恋が熟成した頃に、隣りに入る別会社のテナントに他店から配属されたベテラン社員だった。だから隣の店に来る由紀乃を桃代は朔朗の彼女として何度が見ていた。  最初はお客さんかと思っていたのに、度々来るから変だとは思っていた。その内仕事が終わって一緒歩いてる姿を見て恋人同士だと分かり、次の日にはスタジオを来るなり「夕べ見っちゃいましたよ。たまに写真室に来ていた人、一緒に歩いていたでしょう、彼女でしょう。ちゃんといるんじゃないの、黙ってるなんて、ずるい!」  と桃代は来るなり羨望の眼差しで言っていた。そんな桃代も何回か由紀乃を見るうちに「すてきな人ね」と桃代自身も認めていた。  それからホテル従業員の慰安旅行があった。費用はテナント各社持ちだが、彼らも招待を受けていた。ホテルとの良好な関係の維持から各社のテナント社員が参加した。当然、朔朗と桃代も一緒に同席,同行する。その都度、桃代は由紀乃の事を根掘り葉堀り聞いてきた。  朔朗は相思相愛の関係が三年経っても変わらず、深い絆で結ばれている事を当て付け半分に強調した。素敵な理想的なカップルねと桃代はヤッカミ半分に褒めてくれた。
/38ページ

最初のコメントを投稿しよう!