5-5

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 電話を取った由紀乃は聞き慣れた朔郎の声に一寸沈黙の隙間はあったが、ぎこちない会話は直ぐに(ほぐ)れていつもの彼女に戻った。 「どうしているの」  いつもの明るい声に朔郎は胸をなで下ろしたが、まだ心の芯まで届かないのが言葉の端々の微妙なニュアンスで伝わってきた。そこで焦った朔郎は此処でこのまま彼女を失う不幸は避けたい思いが募った。電話で幾ら言葉を交わすより速く会って話せば良い。そのために由紀乃の気持ちが十分に落ち着いたと、確信を抱いたと思う頃合いを掴むと再会を申し込んだ。彼の判断が正しかった証明に、彼女はひとつ返事で承諾してくれた。  朔朗はそれでも一抹の不安を感じながら約束の場所と時間に早めに着いて待った。ほぼ時間通りにやって来た由紀乃を見て一息吐けた。  あの日の事は一切触れないで、付かず離れずの和みの中で一日が過ぎた。ただ以前と違ったのは、愚痴や注文を付けた事がなかったのが、今まで取るに足らない出来事にも「ああして欲しかった、こうして欲しかった」と初めて小さな不満を言うようになった。挙げ句にはレジでの金銭のやり取りまで不満を言い始める。それもやり直したいと謂う彼女の表れだと受け取っていたが次第に形式的に会いに来る。それも向こうからでなく朔朗が言うから来る。その内に用事が無ければ来なくなり彼女の友達に相談した。 その仲を取り持ってくれた居候先の彼女も「あなたが悪い」と朔朗を擁護してくれたが、由紀乃はそれでも改めなかった。  その後何回か会ったが、連絡はこちらからで、彼女から掛かってくる事はなかった。ひと月後には「もう幾ら会っても友達以上には成れそうもないの」と不満が彼の根本に及ぶと、由紀乃は終に一方的に別れを言い出した。だが彼女は決して嫌いで別れるのじゃないと、多くの理屈を付けながらも非難めいた言葉は避けていた。 そこに一塁の望みを繋いでいた朔朗だったが、それから一ヶ月、失意を立て直して電話した頃には、居候先の彼女にも連絡先を告げずに居なくなった。 「それっきりなの」と娘の由希は黙って聞き終えてから、一度沈み込んだ木が再び浮かぶように「後の行動はどっちが正しいか解らないけど、ひとつの真実に依って信頼と絆は相関されてるものなのね」と告げた。その相関関係を壊したのは彼女だ。信頼と絆を彼女は非の無い俺から理不尽にも一方的に奪い取った。 「お前にそれが解るのか」  と朔朗は溜め息を吐いた。  娘は、さあどうでしょうと含み笑いを浮かべたが眼は澄んでいた。
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