イギリスにいます

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イギリスにいます

陵には報告しなかったから、まさか今、私がイギリスにいるなんて想定外だろう。 海外赴任してからも陵から連絡はきていたけど、たまにしかっていうか、最低限にしかレスは返さず、玲子さんの指示通り、フェードアウトを狙っていた。澪には一切の事情を面倒だから話してしまい、その代わり、陵には今回の経緯を秘密にしてもらっていた。陵からの連絡が彼女の所にきても、口裏を合わせてもらうためだ。彼女は味方にしておいた方がなにかと都合がいいに決まっている。 「それでいいの?」 「いいも何も、とりあえず仕事に生きてみることにした。そのために、一度学生に戻ります」 私がそう言い切れば、呆れられたっけ。ただ一言、「あの弟くん、諦め悪そうだよ」って忠告は受けてはいた。だから、陵から澪に連絡がいってもいいように、今回の顛末を彼女に話すことを決めたんだけど。 ただ、支店の閉鎖とMBA取得の話をした時には、開口一番、「逃亡生活は続けるんだ」って笑われた。「逃げ切れるといいね」って言われた一言が気にはなっていたけど。 澪は私サイドについてくれたはずだよね? でも女性同士の友情は紙よりも薄かったらしい。というか、私と澪の関係性だからなのか? 彼女は私の知らないところで、陵に買収されていたことは後で聞かされることになるんだけどね。 そして、そうこうする内に、私にとっては想定外の日がやって来てしまう。 「久しぶり。俺だけど入れて」 「・・・・えっと、なんで?」 イギリスの引越し先のインターフォンが鳴って、訪問者を確認すれば、来るはずのない訪問者の名前を頭の中で反芻していた。陵?なんで? 目の前で起きている事実が理解を超えていて、フリーズだ。ここで聞くはずのない声を聞いてしまった。幻聴? 「出帆、開けて」 その声は間違いなく陵だった。 「逃がさないって言ったでしょ?ここまで来て、会わないとかいう選択肢はないから」 なんで?それと共に、まじかぁっていう声が心の中で漏れる。 それが澪に売られたことを確信した瞬間だった。 何が「逃げ切れるといいね」だよ?私はあっさり売られたってこと? 「澪に聞いたの?」 澪に新しい住所を教えた覚えはないんだけど。でも私がイギリスにいるのを知っているのは澪だけ。親には、落ち着いてから連絡しようとは思っていたし。 「そんなの、どうでもいいじゃん?とりあえず開けてくれない?解錠してくれるまで、ここに居座るけどいい?」 陵はアパートの共同玄関の閉ざされたドアの前にいるはずだ。 「他の居住者から不審者だって、連絡が警察にいくかもよ。そしたら、警察に連行されることになるから。ともかく帰って。」 私はどうにか、この非常事態の収拾を企んでみる。 「帰るってどこに?もし不審者情報で俺が警察に連行されたら、身元引受人で出帆の名前出すけど」 異国の地で警察にご厄介とか、なるべく避けたい状況じゃないですか? 「どっちみち、私の手間はかかるだけじゃん?」 「出帆が楽な方を教えてあげる。それは、今、ここを解錠すること」 殆ど脅しだなって思いながら、私は共同エントランスの解錠ボタンを押してしまう。 間もなくして私の部屋の玄関のチャイムが鳴った。 ドアを開ければ、当たり前だけど、陵がいた。 「『いらっしゃい』とか、ハグとかはなし?」 陵のふてぶてしい態度にムカついてくる。 でも、どうして? 「えっと、なんでここが分かった?」 まずは私の疑問をぶつけてみる。 「内緒」 ラスボスには書類提出したから、ココの住所は知られているけど、私から陵には教えていない。そもそもここは、R&Gの社用の借り上げで、期間限定で特別に使わせてもらえることになったのが最近、決まったばかりだった。ということは、やっぱり流川玲子?そんなはずはないはずだけど。 「最近、出帆が赴任先からだいぶ遠い所にいたから。出張かなって思ったけど、1カ月近くも出張って長くない?」 なぜ陵は私のいる場所やスケジュールを把握している? 「そもそも、なんでここが分かったの?」 「詳細は教えられないけど、出帆の居場所はGPSで把握してたから。つまり日本にいても出帆の場所、把握できてたってこと」 「えっ?」 GPS?スマホの位置情報とか?なんで?あれって私が許可しないと把握出来ない機能じゃなかった?いつ設定された?落ち着いて考えなくても、陵にチャンスはあったような気はする。陵の家で飲みまくって、意識が怪しかった時が何度かあったような・・・あの当時の飲んだくれの自分を殴ってやりたい。 「僕、結構、IT系詳しいんだよね」 陵って理系だっけ?そう言えば、大学の専攻の話なんて聞いたことなかったし。そもそも、陵が中学生の時に別れて以来、その後の彼の10年を私は知らない。 それじゃない、今、解決しなきゃいけない問題点はそこじゃない。 「それって、結構なプライバシーの侵害」 「だって今回も僕に許可なく、こんなところにいるし。これで前科2犯。念のためGPSいれておいて、ホントに良かった」 「全然良くないし。そもそも、私がどこに行こうか、陵ちゃんの許可なんて、貰う必要ないでしょ?」 「逃げないって約束したのに破ったからだよ。それにまた『陵ちゃん』呼びに戻ってる」 そう言うと、陵は玄関先でメガネを外す。いい子モードは終了ですか?身の危険を感じて後ずさったところで遅かった。次の瞬間には陵に私は壁際に追い込まれていた。 これって、壁ドン?私が想像してたのと違うんだけどって、もう古いか。でも、これって、ただの威嚇じゃない? 「今、壁ドンみたいって思った?」 ちょっと意地悪そうに笑う陵にムカつく。 「これはただの脅し、威嚇でしょ?」 「夢ないなぁ・・・ここでドキってしてくれるとこでしょ?」 「動悸はしたけど、ドキドキとは違うと思う」 「それって、しゃれ?こんな時にでダジャレとか、余裕あるねぇ?」 メガネを外した陵は、いつだって、ちょっと意地悪モードが入ってくる。 「こんな状況で、そんな親父みたいなダジャレ、言う余裕なんてある訳ないでしょ?」 私はそう言って、陵を睨み上げた。陵の瞳が微かに揺れたような気がした。その隙をみてとった私は力一杯、陵の胸を押す。陵は私を囲うようにしていた腕を少しだけ緩められて、気持ち、距離をとってくれた。
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