アダバナノウタ

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アダバナノウタ

 人前では決して出さないような声で、女達は喘ぐ。  どんな綺麗な格好をしていようとも、仕立ての良いスーツに身を包んでいようとも、脱がしてしまった先では女達の共通言語のようにそれは変わりはしなかった。  たった一人、どうしても気になる女が居た。   派遣として職場に来ていた恐ろしく綺麗な女だったのだが、その女には表情という表情がまるで無かった。  麗花という女だった。この女も、やはり他の女達と同じように喘ぐのだろうか?  そう考えれば考えるほど興味が湧き、私は彼女を口説き落とすことにした。  休日が被るようにシフトを調整し、用事があるのを装って連絡先を交換した。メッセージのやり取りはその表情そのままに簡素なものだったが、麗花と繋がりを持てた事で私は有頂天になった。  三回目の食事の後、セックスをした。  綺麗な顔の女の身体はやはり綺麗なものであったが、この女は共通言語を持っていなかった。  私の身体にしがみついたまま、表情も声も崩すことなく、行為の最中は始終私を見つめていた。  私が果てると、薄明かりに照らされた綺麗な顔のまま、麗花は言った。 「もう、良いんですか?」  その言葉を挑発のように感じた私は、その夜何度も何度も麗花を求めた。それなのに、幾ら触ろうが突こうが、麗花から共通言語を聞き出すことはついに出来なかった。  その代わり、麗花は彼女特有の言語を持っていた。  行為が終わると麗花は決まって私の頭を撫でながら、妙な調律の唄を歌うのだった。  悲しくて儚げで、子守唄にしては暗く聴こえるその歌について私は尋ねてみた事があった。 「その歌、なんて唄ってるんだ?」 「川の下には水溜まり、上に昇るは神の御手……泣いた花には骸が優しく、煙い夜に帰らぬは、胸に秘めたる千羽となりて……」  その歌の内容については全く理解出来なかったが、麗花は歌詞をそらで読み上げた後に私を強く抱きしめた。  少し甘い、女の匂いが鼻の奥まで染み込んだ。  それから幾度か身体を重ねるうちに、私は表情のない彼女とのセックスに早くも飽き始めてしまった。  食事をしていても特に話すこともなく、機械的に飯を食い、性欲を吐き出す為のセックスをする夜が増えて行った。  それからすぐに、私は麗花に告げた。 「もう、会うのはやめよう。仕事に支障が出たら君が困るだろう? だから……」 「私は困りません」 「いや、そういう問題ではなくて……」 「あなたにされる事に、私は困る事など有りません。ですから、何も問題はありません」 「ごめん、もう会えないよ」 「……会って下さい。何をされても、私は構いません」 「そうは言っても……ダメだよ、そういう考え方は」 「私は、あなたを愛しています。ですから、会って下さい。お願いします、会って下さい」  いつもよりだいぶ程度を落としたカジュアルなレストランで、彼女は表情を崩さないままテーブルに額を付いた。その瞬間、周りの客達の目線がこちらを向いているのを感じて、私は彼女に顔をあげるように言った。 「顔を上げてくれよ。もう、分かったよ」 「ありがとうございます」  顔を上げた麗花が、その時ようやく一瞬だけ微笑んだ。それを見た私は思わず胸を打たれそうになったが、結局の所打たれる事は無かった。  それからはかなり雑に彼女の事を扱った。セックスがしたい時にだけ部屋へ呼び出し、食事に連れて行く事もしなくなった。行為が済んでから一人で映画を観たくなった私は、彼女に遠回しに帰るように言ってみせた。 「時間遅くて悪いんだけど、ずっと観たかった映画があってさ。明日せっかく休みだし、ゆっくり観たいんだけど」  私がそう言うと、彼女は下着を履きながら無機質な声で囁くように言った。 「私は、タクシーで帰ります。だから、大丈夫です。ありがとうございました」 「あぁ……なら、助かるよ」 「では、また」  幾ら邪険に扱おうとも、麗花が私から離れる事は無かった。それから一ヶ月が経った頃だろうか。  私に恋人が出来た。同じ職場の、違う部署で受付をしている敦子という明るい女だった。  麗花にその事を話しても、彼女はやはり表情を一つも崩さないまま黙って話を聞いていた。  私は麗花が都合の良い女のままで居てくれるなら、それはそれでありがたいと思っていた。  しかし、彼女の女の部分がそれを許さなかった。  恋人の敦子に手作りの弁当を作ってもらった次の日。家に帰るとドアノブに麻色の紙袋が掛けられていた。  中を開けると弁当箱が入っていて、麗花からの手紙も添えられていた。 『人の作った物が苦手だと聞いていましたが、とても美味しそうに食べているのを見ました。これであなたに安心してお弁当をお作りする事が出来ます。また、お届けに上がります。 麗花』  真夏の、暑い夜だった。その場で子供じみたピンク色の弁当箱を開けると、暑さの為か中身は腐り始めていた。  飯と卵焼、そして焼き鮭と蓋の間に、粘ついた透明な液体が音もなく糸を引いた。  愛情よりも不気味さを感じ、私は袋から取り出したピンク色の弁当箱を丸ごとゴミ箱へ投げ捨てた。  それでも、私は一人で時間を持て余すとセックスの為だけに麗花を呼び出した。  横になると、麗花が例の妙な歌を唄いながら私の頭を撫で始める。 「おい、それはやめてくれよ。敦子が悲しむから」 「敦子さん、彼女さんですよね? 受付の。あの人のお弁当、美味しいですか?」 「そりゃ、美味いよ。あいつは料理上手なんだ」 「私のお弁当は、美味しくなかったですか?」 「いや……あれはあれで、美味かったよ」 「ご飯の下に入っていたの、驚きました?」  ご飯の下? いや、全て捨てたから私は知らない。分かるはずがない。だが、何と答えたら良いのだろう。私は麗花に適当に話を合わせる事にした。 「あぁ……あぁ、あれな。美味かったなぁ、驚いたよ。弁当の隠し部屋みたいでさ」  笑いながらそう言うと、私の頭を撫でていた麗花の指の動きが突然止まった。 「やっぱり、食べてくれてなかったんですね」 「いや、全部は……」  そこまで言い掛けて、言葉を止めた。カマをかけられたのか。この女が、私にカマをかけた? そう思うと妙に腹立たしくなり、この女を無性に傷付けたくなった。  だから、全てをぶち撒けてやろうと思ったのだ。 「全部、捨てたよ。食べなかったし、食べる気も起きなかった。弁当箱丸ごと捨てたから、もう返せない。弁償はするよ」 「小学校の頃、私……いつもあのお弁当箱を使っていたんです。朝起きると、お母さん……今はもう亡くなってしまったんですけど、お母さんがあのお弁当箱にご飯を詰めてくれてて」 「そんな大事なものなら、なんで俺に渡したんだよ? 酷いと思っているなら、素直にそう言えよ。どうせ何か言いたいんだろ? なら、さっさと言ったらどうなんだ?」  私が怒りを滲ませながらそう言うと、麗花は首を小さく振った。 「いいんです。ありがとうございます」 「はぁ……? 何が?」 「私、母の事が大嫌いでしたから。私の代わりに捨ててくれて、ありがとうございます」  そう言って、麗花は私の胸元に顔を埋めて来た。  その瞬間、巨大な毛虫が背中を這っているような気持ち悪さを感じ、咄嗟に麗花を突き飛ばしてしまった。  ベッドから落ちた麗花は股を開き、後ろ手を付いてじっと床の上を眺めていた。私は、すぐに帰るように麗花に告げた。  そして、麗花はそのまま本当に帰った。  その次の日の出来事だった。  社員達で楽しげに輪を作って弁当を食べていると、敦子が突然小さな悲鳴を上げた。 「きゃっ、あえ?」 「あっこ、どうせ変なものでも食べ……敦子! 敦子! 救急車! ちょ、ちょっと! 救急車呼んで!」  その声に私は立ち上がって、すぐに敦子の傍へ駆け寄った。  敦子は口からボタボタと血を垂れ流し、休憩室の白いテーブルはすぐに真っ赤に染まっていった。その鮮血の中に、小さな刃だけの剃刀が混じっているのが見えた。  振り返った場所に居た麗花は微動だにせず、背中を向けたまま弁当を食べていた。その弁当箱はいつか見覚えのある、ピンク色の弁当箱だった。  幸い大きな怪我には至らなかったものの、敦子は精神的な苦痛を受けてしばらく仕事を休む事になった。  私は事を大きくすると自分に被が出ると思い、麗花に自主退職を勧めてみた。 「あなたがそうしたいなら、私は従います」 「そうしてくれるなら、そうしてくれ。頼んだよ」  自分でも酷い男だと思った。それでも、私は自分の事を守りたかった。  こうして麗花は私の前から消えて、しばらくの間平穏が訪れた。  最後に麗花に会って話したのは今からもう五年も前になる。  実質クビにしてしまった事に多少の負い目を感じていた私は、彼女に会って形だけの詫びを入れさせてもらった。すると、麗花は恐ろしいほど強い目で私を見ながら初めてと言っていいほどの自分の欲求を晒し出してみせた。 「あなたを守る為なら、私はどうなっても構いませんでした。だから、謝罪は要りません。その代わり、私と一緒に生きて下さい。それが出来ないのなら、私には生きている意味がありません。一緒に生きて下さい」 「それは……無理だよ。俺は君を、愛していないから。無理だよ」 「分かりました。なら、死にます」 「それなら、そうしてくれ」  私がそう言うと、麗花は目に涙を浮かべながら席を立った。  そうして、それから二度と私の前に姿を現すことは無くなった。  それから私は敦子と結婚し、今では四歳と二歳の女子の育児に忙しい生活を送っている。  女の子を育てる大変さを理解すると、過去に如何に酷い仕打ちを麗花にして来たかを想い、時折胸が重たく、そして痛くなる。しかし、贖罪のつもりで娘達を育てるつもりはない。私はあくまでも普遍的な父親として、娘達を育てているつもりだ。  上の娘が珍しく夜の九時を回っても起きていて、落書き帳にクレヨンで絵を描きながらなにかを口ずさんでいる。私と敦子はしばらくの間その様子を微笑ましく眺めていたが、ある旋律を聞いて私は思わず娘の傍へ駆け寄った。 「真希、今のおうたもう一回パパに聞かせてくれないかな?」 「えー? やだぁ、恥ずかしいよぉ」 「ううん、真希のおうたがお上手だったから、パパもう一回聞きたくなっちゃった」 「うーん、しょうがないなぁ。うんとね、かーわーのしたにはーみじゅたまーりー、うえにーのぼるはーかみのみてー、ないたはーなにむくろはやさしくー」  背後で、敦子が「なにそれー」と笑い声をあげている。私は、知らないうちに自分が身震いしている事に気が付く。 「真希、そのおうた、保育園で習ったの?」 「ううーん、ちがーう」 「どこで習ったんだ? なぁ?」 「うーんとね、知らないお姉ちゃんがおしえてくれたの。いっつも教えてくれるよ」   私は、言葉を失った。その続きを真希が歌い始めると、私は胸の奥から迫り上がる真っ黒いものを感じ始め、開けっ放しのカーテンをすぐに閉めた。  指先が無意識に震え出す。コップすら上手く掴めず、敦子に心配されている。  大丈夫だよ、そう言うたびに呼吸が荒くなり、過呼吸を起こしそうになる。頬と唇が徐々に痺れ出す。  次第にぐるぐると回り出す意識。声を出そうと思っても、絞り出す事すら難しくなる。  長い夜。私の耳をざらつかせるその歌が、部屋の中に延々と響き渡っている。
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