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「まずいのよ、このままじゃ」  佐藤ちゃんはまるでこの教室内に密偵が潜んでいるかのように顔を寄せて声を低めた。 「なにが?」  のんきに聞き返す美穂。 「ウチの最大のライバル、3-2有志によるうどんと甘味処『こだぬき庵』で出す飲料の仕入れ値がうちより20パーセントも安いという情報を掴んだの。たしかなスジからよ」  佐藤ちゃんは電卓を叩きながら憂鬱な表情でそう言った。 「それは由々しき事態だな」  調子を合わせる修平の口調も芝居がかっていてなんだか大袈裟だ。  七海はつい吹き出してしまった。 「もう、笑い事じゃないんだってば」   七海たちは今、放課後の教室で「パスチェストクルービー」の当日分として販売する食券を作りながら、模擬店飲食部門売り上げナンバーワンの栄冠を手に入れるべく戦略会議を開いている。 「しかもあちらの主力は11時から14時までのランチタイムに出す手打ちうどんと各種釜飯のセット500円、14時からの和菓子セット400円の二本立てなのよ」 「本格的なんだ」  美穂が身を乗り出した。 「そりゃあね。たしか『こだぬき庵』の代表林田先輩の家って讃岐うどんのお店だもの。しかもフランチャイズじゃないのよ」  どこで調べてきたのか、表紙に物々しく「極秘」と明記された佐藤ちゃんのクリアファイルにはかなり詳細なライバル店たちの情報が収まっているらしく、七海は感心するばかりだった。  文化祭では各クラス、クラブ、有志団体などがそれぞれ模擬店を出す事ができ、手作り品や制作物を販売する物販部門、講堂を時間借りして上演する演劇部の芝居や軽音部のライブなどの上演部門、校門からグランドの内縁に店を出す屋台部門、そして七海たちのように校内に在る程度の規模で席を設けてサービスを提供する飲食部門、それぞれの店の売り上げから経費を引いた額を比較して、各部門のナンバーワンを決める。  ナンバーワンの栄冠に輝いた団体には食堂のアイス、または菓子パン一つにつき50円引きの割引券を配布する、という即物的な優遇が用意されているのだがそんなモノよりも、数あるライバル店を押しのけて自分たちの作り上げた店がナンバーワンに輝く、という栄誉そのものが生徒たちを熱くさせるのだ。  学級委員でもある佐藤ちゃんは、2-1がパスタ屋「パスチェストクルービー」を開く事が決まった頃から男子の学級委員である前田くんと精力的に情報収集をしてくれていた。  彼女が「たしかなスジ」というからには、信用できる話なのだろう。 「二割は大きいわね、たしかに」  美穂が言った。 「林田先輩の実家が強力にバックアップすることは間違いないでしょうし、ノウハウも上だわ。ウチもどこか飲食店のコネがあるといいんだけどね」  佐藤ちゃんは大きくため息をついた。 「他の材料で削れるところはもうないのか?」  裁断を終えたチケットを通し番号順に揃えて箱に詰めながら修平。  美穂が渋い顔で首を振った。 「小麦粉と卵は市民講座で製菓の講師を務めてる清水くんのお母さんが大量に仕入れるから市販よりはかなり安い値段で分けてくれる事になってる。サラダとソースに使う野菜は成田さんの親戚が農家だからそっちのルートでこれもやっぱりマージン抜きのほぼ原価でゆずってくれるって。あと海鮮精肉はネット通販で下ごしらえまでしてくれるサイトから入荷すれば手間と時間の削減になるのでそれも手配済み。あとは飲料なんだけどね」  パスチェストではランチタイムは回転を考えてドリンクはランチにセットとし、14時以降のスナックタイムは思い切ってケーキとドリンクバーで400円という価格設定にしてある。  こだぬき庵の「和菓子セット400円」の内容がわからない以上、ドリンクバーの集客効果は心強い。今のところは。  飲料は利幅が大きいから仕入れ先は念入りに検討して、郊外の大型ディスカウントスーパーと激安を謳う市内の酒店で現在見積もり合わせ中だが、どちらにしろこだぬき庵が仕入れるという金額より安くなる可能性は低く、佐藤ちゃんが頭を抱えるのも無理からぬ話なのだ。 「このままじゃまずいのよ、このままじゃ」  佐藤ちゃんはふたたびぼやきながら、大きな丸いメガネのフチを持ち上げた。 「あ、あるかも。飲食店のコネ」  その仕草を、どこかで見たような気がして考えていた七海は、不意に思い出して声を上げた。 「どこ?」  佐藤ちゃん、美穂、修平がいっせいにこちらに顔を向けた。 「いや、コネってほど親しいわけじゃないんだけど」 「だから、誰なのよ」  と美穂。  七海は渋々口を開いた。 「つゆきのバイト先。創作料理のお店で店長さんもとってもいい人なの。でも二回しか行った事ないし、コネっていうかただの知り合い程度なんだけど」 「鷺宮くん、かあ」  佐藤ちゃんが呟いて、しばしの沈黙が降りた。  つゆきはパスチェストの準備に顔を見せたことはない。  もともと有志を募っての出店だし、クラスメイトの中には他の模擬店に参加する者もいて、準備を手伝わないからどうこう、という話ではないのだが、佐藤ちゃんにして「鷺宮くん、かあ」と黙らせてしまう何かが、日頃のつゆきにはあった。  すくなくとも少し前までは七海も同じだったんだけど。 「七海、つゆきとそんなに親しかったっけ?」  修平が言った。 「変な人たちに絡まれて怖かったとき助けてくれたのが、今言った店長さんの妹で、つゆきは一緒に店に行く途中だったんだけど」  行き掛かり上とはいえ、つゆきが助けてくれなかったらあの後どんな目に遭わされていたのかわからない。 「なんか意外な気がするけど」  美穂が懐疑的な口調で言った。 「鷺宮くんてそういうの放っておきそうなイメージだよね」 と佐藤ちゃん。 「あたしもそう思ってた」  無視するとかそんなんじゃなく、気がつきもせず通り過ぎてゆく。  誰にたいしても愛想がない、と大将は言ってたけど、つゆきに足りないのは他人への興味かもしれない。  つゆきと時々、話をするようになって七海は漠然とそんな印象を持つようになっていた。 「その閑古鳥の大将さんが仕入れ先に口をきいてくれたら、こだぬき庵よりコストが抑えられるかもしれないわね」  佐藤ちゃんが言った。 「コスト面で互角に持ち込めたら、勝機がないこともないと思うわ」  ポチポチと電卓を叩いて、ギラリと目を輝かせる。  3-2のこだぬき庵の他に、飲食部門にエントリーしている模擬店は一年生によるフルーツパーラー「フルーティ・ナイン」3-1のお好み焼き「粉もの屋てっちゃん」で、フルーツパフェのバイキングを売りにしている「フルーティ」も果敢にも創作鉄板料理に挑戦する「てっちゃん」もどちらも魅力的だが、佐藤ちゃんに言わせると「意気込みは認めるけど材料費で冒険しすぎ、採算度外視な点でパスチェストの敵ではない」らしい。  ダークホースは1-3のおにぎり専門店「ほかほか堂」で、一個あたりの利益は少ないけれど手軽に買えて移動しながらでも食べられるし、米、塩、海苔、具、どれもこだわりの銘柄を揃える周到ぶりは一年生ながら代表の神田さんは、なかなかの要注意人物だ。  七海は、文化祭まで一週間を切って、開店準備に慌ただしい教室内を見回した。  テーブルに置くメニュー表のデザインを考える者、校舎の入り口に貼り出す宣伝ボードにイラストを描く者、当日、店員が着る衣装を縫う者と三々五々、グループにわかれてみんな真剣に取り組んでいる。   毎日のように下校門限を延長してもらっての作業だ。  佐藤ちゃんは学級委員の名の下に山ほどある雑事を押しつけられても愚痴ひとつこぼさず笑顔でこなし、美穂は作業の割り振り、食材の手配、メニューの考案など頭脳を使った仕事でパスチェストを支えてくれている。  みんなで達成させようとしているパスチェスト売り上げナンバー1の前に立ちはだかる暗雲。  こだぬき庵。  たとえあるかなしかのかぼそいコネだったとしても、そこからこの暗雲を吹き払う手段につながるならば賭けてみたい。  七海はカバンを持って立ち上がった。
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