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出会い(8/31 '24 改)
『血の契約』
ウラトには、吸血したものを支配する力がある。
とはいえ、それは人間相手の話だ。ヴァンパイアには、ことにヴァンパイアをベースにしたなにかに対して有効であるかどうかは定かではない。
それであっても、ジェイにとっては『誰が己の主人となるのか』を決める重要なことであった。
かくして、ウラトの吸血により、ジェイは契約を結んだ。そのジェイに対し、ウラトは次のような命令を下す。
「早速だが、貴様にやってもらいたいことがある。まずは、小手調べといこうか」
***
――翌日。昨夜からの雨は止んだ。地面は乾いていたが、所々ぬかるんでいる。夜は更けていた。
ジェイは伊原邸を出る。車に乗り、アサトの運転で目的地に向かう。
アサトは運転中、「奴の能力は未知数だ、だから私に奴を任されたのだろう」とジェイとウラトのことで思案する。
服装についてのやり取りのとき、ジェイは妙なことを口走っていた。なにより、着せ替え人形扱いされても表情一つ変えない。
――何を考えてるかわからない面倒くさい奴――アサトの中で、ジェイはそうなっていた。
「ジェイ。お前に言っておきたいことがある」
アサトは、助手席に座っているジェイに向かって話しかける。
「私はウラト様からお前の監視を命じられた。いいか、私はウラト様から直接、お言葉を頂いている。
私の命令はウラト様のものと同一だ。つまり、私の命令を聞けということだ。わかったか?」
「そうか。わかった」
ジェイは、淡々と答える。顔色を変えることもなかった。
***
目的地周辺に着いたので車を停める。これから目的地に向かおうというところで、ジェイは口を開いた。
「なんで目的地の前で停めないんだ」
アサトは顔をしかめる。「何を言っているんだお前」という言葉を飲み込むように、ため息をつく。
「目的地の前に、車を停めるスペースがないからだ」
呆れた調子で話すアサトに、ジェイはこう返した。
「成程、車を圧縮して持ち歩くことができないのか。随分と前時代的だな。ここは私がいたところよりも、文明が二週ほど遅れてると見える」
「お前はもう喋るな」
――二人は車から降り、徒歩で目的地へと向かう。
今は真夜中だ。にも関わらず、マッドシティは喧騒に包まれていた。昼間は営業していない店の看板が怪しく光る。通りには、若者がたむろしている一方で、怪しげな輩もちらほら見られる。時折、客引きと思われるものが、通行人に声をかけていた。
アサトはそれらのものに目もくれず、目的地目掛けて歩く。ジェイはその後に従う。
喧騒から少し外れた路地に入る。前方に黒い塗装で覆われたビルが現れた。一見すると普通のビルの一角だが、窓はすべて遮光カーテンで隠されている。
看板らしきものは一切ない。ただ小さな真鍮のプレートに「LUXE」という文字が刻まれているだけだ。
入口は目立たない黒い扉一枚。アサトはそこで立ち止まった。ジェイもそれに倣う。
「ジェイ、聞きたいことがあるんだが」
アサトは扉を指差しながら、ジェイに話しかけた。
「アサト、さっきは『お前はもう喋るな』と言っていたではないか」
「あれは『任務と関係の無いことは喋るな』という意味だ!」
ジェイの要領を得ない話しぶりに、アサトは苛立ちを隠せなくなった。
「ここは会員制でな。『ある条件を満たす者』でないと、エントランスから先に進めない。そこで、ジェイ、お前には中に入ってもらう」
「アサトは一緒ではないのか?」
「私は無理だ。何故なら、ここはヴァンパイア専用だからな。お前は厳密に言うとヴァンパイア『ではない』から拒否されるかもしれないが」
「そうなのか。確かにアサトは入れないな。アサトはイヌだし」
ジェイの唐突なイヌ発言に、アサトは噴き出した。
「誰が犬だ! 誰が! 私はウェアウルフだ! 犬じゃなくて狼だ!」
アサトに構わず、ジェイは話を続ける。
「イヌはオオカミを家畜化させたものだ。それに、アサトはウラトの命令に従っているんだろう。やっぱりイヌじゃないか」
「やっぱりお前は喋るな!」
***
ジェイはアサトに改めて「中に入れ」と命じられる。言われるまま、店内に入る。エントランスは照明があるものの、どことなく薄暗い。
ジェイは脇目も振らず、受付に向かう。受付係はジェイに向かって一礼した。
「いらっしゃいませ。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか……」
受付係が、こう尋ねる。ジェイは名乗る代わりに、その目をじっと見つめた。
「……どうぞ、お入りください」
店員は、ジェイを中まで通した。会員であるかどうかさえ確かめることもなく。
受付係以外のスタッフはジェイのことを訝しい目で見る。ジェイはその目を見つめ返していく。見つめ返されたスタッフは、受付係同様ジェイを中に通した。
「そういえば、『極力目立たぬように』と言われていたような気がする」
室内に入ろうとしていたときだ。このとき、伊原邸を出る前に交わしたやり取りを思い出す。
ジェイは呼吸を整えることにした。つかの間そうした後、ドアノブに手をかけ、室内に入った。
そこは、ナイトクラブだった。中央のダンスフロアでは、数十人ほどの洒落た装いの男女が、リズミカルに体を揺らしている。彼らの動きに合わせるように、音楽が空間を震わせていた。
DJブースを陣取る女性が、集中した表情で機材を操る。
壁際には、ゆったりとしたソファが並ぶ。VIPエリアのようだ。そこにいるものたちが、静かに会話をしている。
バーカウンターでは、白いシャツに黒のベストを着たバーテンダーが、グラスに赤黒い液体を注ぐ。
客はそのグラスを受け取ると、一気に飲み干した。
カウンター裏にある収納棚を見ると、酒瓶は申し訳程度に置いてあるくらい。そこにあったのは殆どが血液パックであった。
中には、パックから血液を飲んでいるものもいる。
ジェイはスペースを一巡する。その場にいたのは二十名程だが、誰ひとりとしてジェイに気がつくものはいなかった。
中には、気がついたものもいよう。正確には、誰も気に止めなかったのだ。
――認識阻害――。ここに入る前に、ジェイはそれをかけていたのである。
己の存在に気づいてさえいないことを改めて確認する。そこで、ウラトから出された命令を実行することにした。
ジェイは左手首を出し、右親指で引っ掻いた。手首には一直線の傷がつき、そこから血が流れる。流れた血は、コウモリに変化した。
コウモリは、手首から飛び立ち、羽根をバタつかせながら客に近づく。
例に漏れず、コウモリの存在に気がついている客はいなかった。
コウモリは、踊っている客の首元に噛み付く。
「痛っ」
噛み付かれた客は、一瞬走った痛みに戸惑い、首に手を当てる。
「どうした?」
動きを止め、手で首を抑える様を、もう一人の客は訝しがる。
「いや、なんでもない」
と、言いかけたところで、客は顔をしかめた。
「うぐっ」
呻き声を上げたかと思うと、体から妙な音が鳴った。
その音に合わせるかのように、店内が静まり返る。
聞き慣れぬ音に、その場にいた者が驚き怪しんでいたときだ。
何かが弾ける音が、辺りに響き渡る。爆発四散したのだ。血液や臓物、体を構成するものがぶち撒けられる。客は床に散乱する肉片と化した。
爆発するまでの間、静寂に包まれていたが――。
「何が起こったんだ!」
「ギャーっ!」
室内に悲鳴がこだまする。和やかな雰囲気から一転、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
爆発とともに、大量のコウモリが湧き出す。このコウモリが、体の内側を突き破ったのだ。
体内から出てきたコウモリは次から次へと客に襲いかかった。コウモリは部屋を覆い尽くさんばかりになる。
その場にいたものは外へ逃げだそうと、出入口に殺到する。その動きを察知するように、コウモリも集まった。入口を塞ぐように、飛び回る。
彼らは為す術なく、次々と爆発していった。
***
ジェイは、店内を見回す。生存者がいないかを確認するためだ。ジェイの目に、動いているものは映らなかった。
確認は終わった。そう判断したジェイは、左手首を差し出す。そこには引っ掻き傷が残っている。
コウモリは左手首に吸い寄せられていく。コウモリがいなくなったところで、手首の傷もなくなった。
店内は、辺り一面、血の海と化している。肉片やら臓腑やらがあちこちに散乱していた。
ヴァンパイアには、高い再生能力がある。だが、ものには限度というものがあるのか。肉片は、肉片のままであった。
コウモリを回収し終えたジェイは、改めて室内を見回す。
室内には、生存者はいないはずだった――ソファの傍らに少女が一人、呆然と立ち尽くしている。茶色の瞳を丸く見開きながら。まるで、惨状を焼き付けるように。
髪はウェーブがかった明るいロングヘアで、前髪は額が出るほど短い。その上にはヘッドドレスを乗せている。
黒地に白のレースがふんだんにあしらわれたワンピースを着ているのだが、ヘッドドレスはそれに合わせたものだ。
履き口に白のレースとリボンがついたニーソックスを履いている。その上に履いているものは、黒革で先が丸くなっているストラップシューズだ。
少女は、所謂ロリィタファッションと呼ばれているような格好をしている。けれど、返り血によって見るも無残な姿になっていた。
ジェイは少女の方へ向かう。未だ呆然としている少女の前で、認識阻害を解除する。
ジェイの存在を認めた少女は、姿を見るなり、驚いた様子を見せる。続いて、声を張り上げた。
「これ、全部! あなたがやったのね! どうして、あなたは私を殺さなかったの! 私だってヴァンパイアよ! どうして……」
少女の叶声は嗚咽に変わり、泣き出した。
ジェイは涙に暮れている少女を見ている。相も変わらず無表情であった。
ふと、少女の顔を覗き込んだかと思うと、その前に屈む。
手で少女の顔を挟むように持ち、向きを変える。
そして、喉元に噛み付き、吸血した。
粗方吸い取ると、喉元から口を離す。今度は自らの右手首に噛みつき、傷をつけた。手首からどくどくと血が流れる。
「飲め」
少女は、血を吸われ、意識が朦朧としている。ジェイはそんな少女に、血が流れている方の手首を差し出した。
そう命じられるも、少女は血が流れている様を、ただ見ているだけだ。
血を飲もうとしない少女に痺れを切らしたのか、ジェイは手首を少女の口に押し付けた。
少女は手首から流れる血を飲んでいく。
自らの血を飲んだことを確認したあと、手首を少女の口から離す。
口から離した瞬間、少女は一瞬身体をビクッとさせる。そのまま気を失い、後ろの方に倒れ込んだ。
ジェイは気を失った少女を抱え、室内を後にした。
***
「室内にいたヴァンパイアを始末してきたところだ」
ジェイは、外で待っていたアサトに簡単な報告をした。
「随分と早かったな」
アサトは時間を確認する。ジェイが入店したのは十分前だ。ものの数分で「仕事を済ませた」とでもいうのか。
驚きを禁じ得なかったが、それ以上に看過できないことがある。アサトはジェイを睨みつけた。
「そんなことより、その娘はなんだ。そいつだってヴァンパイアだろう。なんで殺さなかったんだ。ウラト様から、『店内にいるヴァンパイアを全員殺せ』と命じられてただろうが!」
アサトは咎めるも、ジェイはこう答えた。
「似てるんだ。彼女はリリーにそっくりなんだ」
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