14人が本棚に入れています
本棚に追加
/31ページ
十字架(2/11 '23 改)
アサトは、少女を抱えた状態のジェイを連れて、バースペースの方へ向かった。
汚れ仕事も厭わずこなしてきたため、死体は見慣れていたはずだった。
そんなアサトの眼前に、血の海が広がっていた。肉片やら、臓物やらが浮かんでいる。そこにいたであろう客は全員、細切れの肉片と化していた。
アサトは右手で目を覆う。死体を見慣れていたはずのアサトでさえ、この光景は目に余るものだった。
アサトはスマホを取り出す。気後れしていたものの、とにかく主人に報告せねばなるまい。
アサトはその一心で、惨状を写真に収めた。それをウラトに送信し、そして指示を仰ぐ。
『捨て置け』
「ですが……」
『どうせ、誰がやったのかわからんのだ。ならば、あえて放ったらかして反応を見るのも興ではないか。それにこれだって先の件と同様、有耶無耶にされるのが目に見えるわ』
主人の面白がってさえいる様子に、呆れたところもないわけでは無い。けれど、それは自分の及びもつかない考えを持ってのことだろう。アサトはそう思うに至る。
ウラトとのやり取りを終えたアサトは、ジェイと共にバースペースを後にした。
エントランスに戻ったとき、清掃員の格好をした者が立っていた。
アサトはその者に、「そのまま帰っていい」と伝える。清掃員は主に特殊清掃――ことに、後暗い連中が絡んでいるであろう事故現場事故現場を請け負う――『掃除屋』であった。
「え? 片付けないんすか? まあ、貰えるもん貰えるなら別にいいんすけど……。こっちだって危ない橋渡ってるわけだし」
「安心しろ。そこをケチるようなマネはしない」
「じゃ、俺たちはここで失礼しますね~」
掃除屋はアサトに挨拶し、店を後にした。
掃除屋の姿が見えなくなると、アサトはジェイの方に向き直る。
「ジェイ、カウンターにいる店員を連れていくことはできるか?」
「この先に進むことが出来たから、連れていくことも出来る、筈だ」
「では、やってみろ」
アサトに命じられたジェイは、再び店員の目を見つめる。
すると、店員はカウンターから出てきた。
「その娘は……」
アサトは、ジェイの腕の中にいる少女を見やる。少女は、意識が戻る気配さえ見えない。
「仕方がない。いいか、その娘を離すんじゃないぞ」
「わかった」
こうしてジェイは、アサトは店員と共にバーを後にした。もちろん、少女も一緒である。
***
ジェイはアサトの運転で、出た時と同様に、車で伊原邸に戻る。未だに意識が戻らない少女と、店員も一緒である。
「我々は、まず、ウラト様の元に向かう。店員と……その娘も一緒に、だ」
店員は、どことなく呆けている。自分がどこにいるのかさえ、わかっていない様子だ。少女は相変わらず意識がなく、ジェイの腕の中で微動だにしない。
「わかった」
ジェイは返事をする。
何はさておき、一同は、ウラトがいる1階の執務室に向かうことにした。
「アサトです。ただいま戻りました。ジェイも一緒です」
アサトは挨拶をしたあと、執務室のドアに着いているドアノッカーを鳴らした。カツカツと音が響く。
部屋から「入れ」というウラトの声がしたので、アサトはドアを開け、中に入る。ジェイも後に続いた。
「アサト、ご苦労であった。ジェイもなかなかの働きっぷりのようだな」
ウラトは帰ってきたジェイとアサトを労う。
「まず、その抱えてる娘を降ろしてもらおうか。……レイハ! 2階に使っていない部屋があったろう。そこに案内しろ」
ウラトは、部屋にいる背の高い女性に命令する。
レイハと呼ばれた女性は「かしこまりました」と言って、一礼した。
「では、私についてきてください」
レイハがジェイに指図する。それに対し、ジェイは「わかった」と答えた。
「では、私もついてまいります。ジェイから目を離すべきではないでしょうし」
アサトはウラト向かってこう言う。ウラトはそれを受けて「そうか、では行ってこい」と答える。返事を聞くと、アサトは一礼した。
「出る前に、こやつにかけた『催眠術』を解いてくれんか。余はこやつと話がしたいのでな」
執務室を出ていこうとするジェイに、ウラトはこんなことを言う。ジェイは「わかった」と返すと、店員の目を見つめた。
しばらくして、店員は呆けた様子から正気に戻る。店員は辺りを見回した。
「ここは、何処だ!」
店員の顔はみるみる青ざめていく。見知らぬ場所にいる上に、その場にいるものも知らない顔ばかりだからである。
「もういいぞ。その娘をレイハの案内する部屋に置いてこい」
「わかった」
ジェイは返事をしたあと、レイハの後について部屋を出ていく。アサトもジェイの後に続いていった。
***
ジェイとアサトが出ていったあと、店員はウラトと二人きりになる。店員は相変わらず状況が分からないようで、固まっている。
「そんなに怖がらなくともよい。なに、悪いようにはせんわ」
ウラトはにこりとする。そして店員の目を見つめた。
店員もウラトの目を見つめる。恐怖のあまり固まっていた店員だったが、次第に気の抜けたような表情になる。
笑みを不敵なものに変えると、店員に命じた。
「余はこの通り、背が低くてな。すまないが、屈んでくれるか?」
店員は言われた通り、ウラトの背に合わせるように屈む。
ウラトは待ってましたとばかりに、その顔を両手で掴む。それを自分の方に引き寄せた。
顔が付くか付かないかといった距離から、ウラトは囁く。
「いいか? 今夜のことは、『何も見ていない』『何も知らない』そもそも『その場にいなかった』……わかったか?」
ウラトは言い含める。店員は無言で頷いた。
「よし、いい子だ……では、お礼に口付けをしてやろう」
ウラトは、店員の喉元に噛みついた。
ジェイは、レイハに案内された部屋に着く。そこは、来客用の寝室として使われていたところだ。
レイハの指示により、ジェイは、ベッドに少女を休ませる。
「ジェイさんは、後から来るアサトさんと共にお戻りください。私は、ウラト様から『この者の面倒を見よ』と仰せつかっておりますので」
レイハの言いつけに対して、ジェイは「わかった」と返す。その後、アサトが入って来て、部屋から引っ張り出される。そのまま、ジェイはアサトと共に、執務室に戻った。
「ご苦労。アサトの連れてきた店員は帰したぞ」
「そうでしたか……」
ウラトは、満面の笑みを浮かべている。それを見たアサトは、背筋に悪寒が走ったのを感じた。
――彼奴のしでかしたこと、ウラト様は何も言っていなかった。どっちにせよ、主人の命に背く真似をしたことに変わりは無いし、遅かれ早かれ申し開きをせねばなるまい――
アサトはこんなことを考えていた――えぇい! ままよ! ――アサトは勢いよく、頭を下げる。
「申し訳ありません! 彼奴がこのようなことをするなど...…」
アサトが頭を下げたままにしている。ウラトはそれを訝しそうに見ていた。
「どうした、アサト」
ウラトは、顔に怪訝な表情が浮かぶ。
「彼奴が連れてきた娘のことです」
「ああ、その事か」
ウラトは、合点がいった様子で、返事をした。
「アサト、貴様が責任を感じることもなかろう。表を上げよ」
ウラトの命を受け、アサトは恐る恐る、頭を上げる。
ウラトはジェイの方に顔を向け、こう尋ねた。
「ジェイ、何故その娘を殺さなかった。ヴァンパイアだとわかっていたのだろう?」
ジェイは突然話を振られたにも関わらず、特に動揺の色は見せない。眉一つ動かさず、何時ものように淡々と答える。
「リリーにそっくりなんだ」
「ほほう。ところで、リリーとは何者なんだ?」
「リリーは、彼の妹だ」
それを聞いたウラトは納得したような表情を浮かべる。
「……ウラト様。失礼を承知ですが、この説明で納得されるというのは……」
「アサト。妹は大事だ」
「はぁ」
アサトには、主人の考えが皆目、検討がつかなかった。
最初のコメントを投稿しよう!