14人が本棚に入れています
本棚に追加
/31ページ
「ジェイ。少しの間だけ、執務室を出てもらえないか。アサトと二人きりになりたいんだ」
「私が見ていなくても大丈夫ですか?」
「大丈夫だろう。ジェイは余の命令を素直に聞くからな。ジェイ! 執務室の前で待っておれ」
「わかった」
ジェイは返事をすると、言われるままに執務室を出た。
執務室はウラトとアサトの二人きりになる。
「先に失礼します、ウラト様」
まず、アサトが口を開いた。
「なんだ?」
それを受けて、ウラトが聞き返す。
「彼奴の力はあまりにも巨大です。今は大人しく従っております。しかし、我らに手向かうようであれば、ひとたまりもありません」
アサトの顔つきは深刻であった。
「オマケに、彼奴は何を考えているのか、まるで検討がつきません」
「ふむ……」
ウラトは考え込むように、顎に手を当てた。アサトの方を見ると、相変わらず深刻そうな顔をしている。
「……それともうひとつ、気になっていることが」
アサトは躊躇いがちに答えた。
「なんだ」
「彼奴は、あの娘のことを『彼の妹』と言っていました。どうも引っかかるのです。妹はともかく、彼とは……」
「その事か」
「ウラト様…………彼奴は何者なのですか?」
アサトはウラトを真っ直ぐな目で見た。しばし、その場は静寂に包まれる。そんな中、ウラトが沈黙を破った。
「……いずれ、話すことになろう。だが、今は、そのときではない」
ウラトは重々しい顔をしていたが、次第に、薄ら笑いになっていく。
そして、こう口走った。
「もし、余が、余以外の別の何かになっていたら、そのときは、心の臓に杭を打ち込んでほしい」
アサトは仰天した。
「何かあったら殺せ、ということではないですか!? 何故、そのようなことを……」
驚きのあまり、アサトは目を丸くしている。それを見て、ウラトはこう答える。
「今は、大丈夫だ。今はな。安心しろ。それにこれは、杞憂になる可能性の方が高い」
ウラトは、相変わらず薄ら笑いだったが、次第に真顔になっていった。
「エリに手をかけるような真似をするのであれば、死んだ方がマシだ」
「アサト、この話はここまでにしよう。アサトに試してほしいことがある。」
ウラトは話題を変えた。
「試してほしいこととは?」
アサトはウラトに伺う。
「先ほど、『彼奴の力は巨大だ』と言っておったろう。それに対しての手立てだ」
「手立て?」
「例のブツをジェイの前に突きつけてほしい」
「例のブツ、と言いますと……」
「余はアレを見ると力が抜けてしまうのは知っておろう。奴は、自分の事をヴァンパイアがベースになってると言っておった」
「その事と例のブツとは何の関係が?」
「うむ。余は『無名経典』によって更に力を得たのであるが、そのせいか、余はアレに弱くなってしまった。もしかしたら、ヴァンパイアは『無名経典』が絡むと、アレに弱くなるかもしれぬ」
「成程、それが手立てなのですね……かしこまりました」
アサトは一礼をし、その後でレイハから『例のブツ』を渡された。
***
――三日後、少女は目を覚ました。
目を開いたら、見たことの無い光景が広がっている。少女は身体を起こし、辺りを見回す。
「目を覚まされましたか」
声をかけたのはレイハだった。
「申し遅れました。私はスメラギ=レイハと申します」
レイハは少女に頭を下げる。
「ええと、ここは……」
「ここはイハラ=ウラト様のお宅となります。あなた様は気を失っておりましたので、こちらで手当てをした、という訳です。
とはいえ、当方のしたことといえば、寝床を提供したくらいですが」
「あ、ありがとうございます。私は、コフタ=カナといいますっ」
目を覚ましたばかりで見慣れない場所にいたのと、なにより、初対面の人の前だ。カナは緊張を隠せない。
「コフタさん。当方はあなたのことは存じております。ですが、心配には及びません。危害を加えるつもりはございませんので」
カナは自分の正体が知られているということに、驚きを隠せなかった。
「ですが、体のお加減のこともあります。しばらくは、ここの中で過ごしていただくことになろうかと」
正体を知っているのであれば、尚更世に放つ訳はないだろう。
そう考えたが、不思議と恐怖心は湧いてこなかった。
正直なところ、レイハの言ってることは話半分だったが、敵意や恐怖心は感じられなかったからである。
「えーと、こんなことを言うのは厚かましいかな、と思われても仕方がないのですが…...」
カナは、決まりが悪そうに声を漏らした。
「何か、食べるものはありますか?」
レイハに連れられて食堂に来たカナだったが、そこにはジェイとアサトがいた。二人はそれぞれ席に着いている。
思いもよらぬところでジェイと再会したせいか、カナは動揺を隠せない。
そんなカナに対し、アサトは和ませようとして改めて挨拶した。
「スメラギから説明があったと思うが、怖がるな、という方が無理があるな……でも、何度も言うようだけど、我らは危害を加えるつもりは無いから安心してほしい。
私はオオガミ=アサト。で、この男がジェイだ」
「よ、よろしくお願いします」
たどたどしく挨拶するカナに対し、ジェイはこう言った。
「カナというのか。確かにリリーにそっくりだ。ところで、妹ってなんだ。妹というのは『同じ肉親から産まれたメスの子供』というのはわかるのだが、何故、彼はそのことを重視するのだろうか。近親交配は遺伝子的にデメリットがあるから避ける、というのはわかるのだが」
「コフタ、申し訳ない。ジェイというのはこういう奴なんだ」
レイハは「こちらへどうぞ」と言いながら、カナを席に案内する。言われるがまま、カナは席に着いた。
「ところで、コフタさん。うどんがあるのですが、それでよろしいでしょうか?」
席に着いてしばらくしたあと、レイハはカナに尋ねた。
「あ、ありがとうございます」
「あと、なにか食べられないものとかございましょうか?」
「食べられないものはないです。そもそも『食べられるのか』どうかがわからなくて……あ、申し訳ありません。せっかく作っていただくのに……」
「いえいえ、お気になさらずに。ジェイさんにもお作りいたしましょうか?」
「いや、作らなくてもいい。こっちで用意したから」
レイハはジェイに尋ねたのだが、代わってアサトが答えた。アサトは、机に菓子パンがいくつか入った袋を置く。ジェイは袋からクリームパンを取り出した。
「スメラギ、以前、ペペロンチーノを作ってたが、このときジェイが何を言ったのか覚えてるか?」
「あれはペペロンチーノというのか。確か小麦で作られてる紐に、油を絡めたものだったな。そこまではいい。
なんで、刺激物と臭気が強い物を入れるんだ。あれを入れたら、食べられなくなる。あれは食物ではない」
「だから作らなくていいと言ったんだ」
キッチンへ向かったレイハは、かけうどんを作る。かけうどんを適当な器に入れると、カナの席へ運ぶ。
レイハは「おまたせいたしました」と言いながら、カナの前に置く。置いたあと、レイハはカナの隣の席に座った。
カナはかけうどんを注意深く見つめる。しばらくそうしていたが、意を決したかのように、箸を器の中に差し入れた。そのまま麺を掴みあげ、麺を口元に持っていき、すすった。
カナは麺を味わうように、時間をかけて咀嚼する。
「お味はいかがですか?」
レイハが尋ねた時、カナの目から涙が出てきた。
「申し訳ありません。お口に合いませんでしたか?」
カナは首を横に振った。
「ごめんなさい、違うんです。うどんが食べられたのが嬉しくて……私、ヴァンパイアだったでしょう。血しか食べられなかったから……」
感極まったカナは、神に祈りを捧げた。
「神様、ご飯が食べられるようになりました! 感謝します」
一方、ジェイは、クリームパンを食べ終え、袋から次に食べるメロンパンを取り出そうとしていた。
ゴッ!
カナが祈りを捧げた瞬間、机に鈍い音が響いた。ジェイが机に突っ伏したのだ。
「なんだ、一体、耳が、頭が痛い。何が起こったんだ」
ジェイは耳を両手で塞いでいた。顔は相変わらずの無表情だが、苦しんでいるようだ。
それを見たアサトは懐から十字架を取り出し、ジェイの前に掲げた。
「ジェイ、これを見ろ」
十字架を見たジェイは椅子からひっくり返り、床に転がり込んだ。
それを見たカナは顔に困惑の表情を浮かべる。
「お祈りも十字架も、ジェイさんを苦しめるためのものじゃないのに!」
最初のコメントを投稿しよう!