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「──証拠ならありますよ」
桃の後ろの暗がりの中から声がした。
「秀実さん……」どうしてここに? 入り口から入って来た人はいなかったというのに。
「裏からの近道があるの。暗いし危険だから滅多に使わないけど。そうそう証拠だったわね。製品番号が付いてるはずだけど? それがどこの誰が購入したのか分かるようになってるのよ。納品書に書いてあるから」
秀実はクラッチバッグの中から紙を取り出した。
「3325691181。違います?」
女性はポケットに忍ばせておいた物を取り出した。慌てて確認する。番号は間違っていなかったようだ、顔色が変わっていくのが分かった。
「だからそれはアタシのです」
「アンタ、デカ女だと思ったけど──〈オカマ〉だったんだ?」
女性は蔑むように口角を上げた。
「ええ、オカマよ。だからおりものシートなんか使わないで普通に履いてるわよ」
「汚いッ!」女性はそう叫ぶと持っていた物を地面に投げつけた。「オカマのくせにこんな上等なレースの物なんて履きやがって!」
そして汚い物のように足で踏みにじった。
「ババア、いい加減にしろ」
石山が女性の腕を掴んで引っ張った。女性はバランスを崩した。それをうまく石山は受け止めて暴れないように肩を掴んだ。
「キャー! 助けてえ! 暴力振るわれたー!」
女性はわざとらしく叫んだ。歩いている人の数は少ないけれど、あまり騒ぐようなら近所から通報されるかもしれない。
「何もしてないのにー! 殴られるー」
「いい加減にしろ、てめえ」
石山は明らかに動揺していた。だが手を離すことはなかった。離したらそのまま逃げるつもりだろう。
結愛は秀実の〈おパンツ〉を拾った。踏まれて汚れていたし、繊細なレースの一部は切れているだろう。もう履けないかもしれない。
そして手のひらで丁寧に砂を払った。
「──なにが汚いですか? 他人の下着ってわかっててマスクを作ったくせに」
結愛は唸るような声で言った。
女性はスーパーでマスクをしていた。色が白だったためその時は気がつかなかったが、マスクカバーには秀実の物と同じレースの柄が使われていた。
女性のアカウントにはお洒落なマスクカバーが披露されていた。
『繊細なレースなのでマスクカバーにしました』と堂々と書かれていた。そのレースを見て、フランス製のレースだと騒がれていたのだ。
「オ、オカマのパンツって分かってれば使わなかったわよ! 汚らしいッ!」
「汚らしい? 〈オカマ〉は法律違反ですか? 他人の物を盗むのは犯罪です。よっぽど性質が悪いッ! 自分のやったことを考えろッ!」
結愛は怒鳴った。
「──石山くん。もう離していいわ」
秀実は静かに言った。
「でも……」
「もういいの。物は戻ってきたし」
石山は仏頂面で手を離した。
女性は素早い動きで石山と距離を取った。
「オカマと暴力男が偉そうに! 警察に訴えてやるわ! あー痛かった」
女性はそう言いながらもジリジリと後退りしていった。
石山は舌打ちをした。本当は怒鳴りつけたい気持ちだったに違いない。
「──そんな悠長なことしてて大丈夫ですか? このマスクカバーは実はレースのパンティから作られてますって書いておきましたけど?」
桃は女性のアカウントのページの画面を向けた。「検証画像付きですけど。なんとかしたほうがよくないですか?」
すでに多くの閲覧数があるようだ。『え? いくらなんでも下着をマスクはないかも』『ドン引きー!』などの反応がついていた。
女性は小さな悲鳴をあげると、訳の分からない言葉を呟きながら小走りで去っていった。
「よかったンすか?」石山は悔しそうに呟いた。
「──いいのよ」秀実はそう言った。そして結愛のそばに来てそっと肩に手をのせた。
「だからそんな顔して泣かないの。そんな顔させるためにお願いしたわけじゃないのよ」
結愛は下を向いていたが、くやし涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔をしていた。
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