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エピソード2 この猫 猫の子 猫の子 子猫 1
「とらー ブチー シロー はちー」
結愛は思いつく限りの名を呼んだ。草むらの中に入ってみるものの、今日は全く姿が見えなかった。
どうしたんだろうか? 結愛は膝をついてベンチの下を覗く。どうやら居た気配すらなかった。結愛は再び名を呼びながら這いつくばって進んで行った。
「オバサン! 何やってんだよ!」
結愛の後ろで声がした。
あんまり大声で叫ばないで欲しいんだけどな。猫が逃げちゃうじゃん。
「オバサン! シカトすんなよ!」
どうでもいいけど返事くらいしてあげればいいのに。
結愛はうるさいなあと思いつつ、そのまま四つん這いで進んでいった。
「オバサンッ!」
結愛の近くで地団駄を踏んでる小さい足が見えた。そのまま顔を上げた。そこには小学生の男の子が立っていた。目が合った。明らかに結愛を見ていた。
「なんでシカトすんだよ、オバサン!」
結愛はそのまま上げた顔を戻した。そして何事もなかったように探索の続きを始めた。
「いま気がついただろ!」男の子はそう言いながら結愛の後をついて来た。
「……」
「シカトすんなよッ!」
結愛はため息をついた。仕方ないので作業を一旦止めて立ち上がった。
「──〈オバサン〉なんていない」
「オバサンだろ?」男の子はニヤけながらそう答えた。「僕から見たらオバサンじゃん」
「大阪では八十になっても九十になっても〈お嬢さん〉か〈おねえさん〉って呼ばないと返事をしない決まりになってるから」
「ここは横浜だろ!」
なるほど。大阪は知ってるんだなと結愛は思った。男の子は小学四年生くらいに見えた。低学年ほど小さくはないが、高学年ほど大人びてはいないといった感じだ。赤地に黄色のロゴが入ったTシャツ。カーキのハーフパンツに流行りのスニーカー。ちょっとヤンチャなサッカー好きの少年といった感じだ。
結愛はそれには返事をせず、再び膝をついて四つん這いで進んで行った。
「無視かよッ!」
結愛は無視することに決めた。知らない小学生の相手をするほど暇ではない。
男の子はずっと結愛の後をついて来た。『どうしたの?』とか聞いて欲しいのだろうか? 悪いがそんな優しさはもち合わせてはいない。結愛はそう思った。
「──おねえさん」
結局、小学生のほうが根負けした。「おねえさんは猫を虐めてるのか?」
「は!?」
ちょうどベンチの下に入れていた頭を思いっきりぶつけてしまった。ゴンッと鈍い音がした。
「いたたた」結愛は注意しながらゆっくりベンチの下から頭を出した。
「どういうこと?」
「ここんとこ、この公園に猫を虐めてるヤツがいるって聞いたから」
結愛は目を丸くした。それは大事件だ。
そして適当にベンチを手でササッと払った。
「座って。その話を詳しく聞かせて」
「な、なンだよ……」
「いいから。事件を解決するのも探偵の仕事だから」
「おねえさんは探偵なのか?」
「……探偵の、助手ってところ」
「それって探偵じゃないじゃん!」
結愛は「いいからいいから」と無理やり小学生をベンチに座らせた。そして背負っていた小さなリュックからメモ帳とペンを取り出した。
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