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お店の中では音符が魔法の様に跳ねながら飛び交っていて、壁にぶつかり行き場を失った音が私の体を震わせた。
暖色の照明に、天井で静かに回るシーリングファン。
レトロモダンなテーブルに椅子。
木目のカウンターの向こうには照明を受けて輝くグラスが並んでいて、リキュールの瓶や何かの調味料がカラフルに棚を飾っている。
カウンターの上には先ほどの黒猫が寝そべっていて、私と目が合うと興味が無さそうにあくびをして目を瞑った。
「すみません、もう閉店時間なんですが……」
急に音が止んだかと思うと、店の片隅に鎮座する、小さな店には似つかわしく無い立派なグランドピアノから声が聞こえた。
ガタン、と椅子を弾く音が聞こえたかと思うと、ピアノの陰から若い女の人が顔を出す。
「え?……あ!すみません!つい……」
閉店時間だと聞かされて、私は焦って踵を返す。
扉を開け外に出ようとした時、いきなり腕を掴まれたので振り返ると先ほどの女の人が微笑んでいた。
「……よかったら、少し休んでいかない?」
ハーフアップに纏めた長い黒髪が照明のせいで少し茶色く見える。
大きな瞳の端正な顔立ち。
美人さんだなと心の底で思っていると、あれよあれよと言う間にカウンターに座らされる。
ピアノの演奏が止み静寂に包まれた店内で私は気まずくて俯く。
気まずいが、不思議と居心地は悪くない。
先ほどの女の人はフロアにある棚から一枚のレコードを取り出して、ピアノとは反対側にあるレコードプレイヤーにセットした。
くるくる、くるくると静かにレコードが回り始める。
そして目を奪われる様な真剣な眼差しでその上に針を下ろすと、嫌味のない笑顔を浮かべた。
「ようこそペリカンスイングへ」
まるで物語の始まりの様な場面。
何かが変わり始めそうな夜。
朝顔の花の様に開いたレコードプレイヤーのスピーカーから、優しい音が流れ始めた。
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