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鈴の音の主は黒い猫だった。
いつの間にか私の隣に座り込んで毛繕いをしている。
まるで私のことなんて気にならないのか、それはもうリラックスした顔つき。
ぺろぺろと大きなお腹を舐めては、時々ガジガジと噛んでいる。
猫にまで無視されるなんて私はそんなに存在感がないのかと落ち込んだ時、黄色いガラス玉の様な瞳と目が合った。
後ろ足を恥じらいもなくV字に広げたその姿は太々しいという言葉がぴったりで、キョトンとした愛くるしい瞳に私はつい笑ってしまった。
「ねぇ、名前は何て言うの?」
そっと右手で頭を撫でようとすると、その黒猫は華麗に私の手をよけ、スタスタと道の奥へと歩いていってしまった。
かなりショック。
涙目になりながらも、尻尾を降りながらお尻を振って歩くその姿を目で追っていたら、黒猫はブラックボードの立ち看板の前で立ち止まり私に振り返った。
まるで物語の始まりの様な場面。
何かが変わり始めそうな夜。
胸の高鳴りを感じながら涙を拭って、私は地面から立ち上がる。
幸いまだ根は張っていない様だった。
枯れた花に別れを告げ黒猫の方へ近づいていくごとに、ピアノの音が大きくなっていく。
立ち看板の前にたどり着くと、木製のアンティークな扉の向こうから優しいピアノの音がこぼれている。
それは目には見えないのに、何故だか誰の心にも寄り添ってくれる様な優しい星の光の様だった。
黒猫の隣の立ち看板。
色鮮やかなチョークで書かれたお店の名前。
「……ペリカンスイング?……変な名前」
訳のわからない店の名前と、描かれたへたかわな猫の絵に再び笑みがこぼれる。
黒猫が扉の横についた猫用のドアから中に入ると、一瞬、輝く様なピアノの音が街の片隅に溢れた。
普段なら絶対に知らないお店に入ることなんてないのに。
この時の私はきっと、花の香りに誘われたてんとう虫みたいに、自然とそのドアを開いていた。
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