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「それじゃあ、行ってきまーす」
その客は、明るい声で店先で見送る店員に声をかける。
「お気をつけて、良い旅を。どうかご安全に―」
店員も手を大きく振りながら、出発していったお客の後姿に向かって声を上げる。
カラン、カラン。
店の扉が開いて、また新しい客が入って来た。
「すみませーん。レンタルしたいんですけど、カッコ良くて足の速いのってありますか?」
「いらっしゃいませー。お客様、申し訳ありません。足の速いのは今は全部出払ってまして。足は速くないですけど、そこそこ燃費の良い、見た目カッコいいのならありますよ」
先ほど客を送り出した店員は、パソコン画面を見て店の在庫状況を確認しながら、たった今入って来た客に愛想笑いをしながら答えていた。
* * *
「あれ? 返却予定表に乗ってるスポーツタイプの、まだ戻って来てないじゃないか。既に半日は返却予定の時間を超過しているぞ。トラブルに巻き込まれて返却が遅れるとか、とか、お客様から何か連絡入ってるかい?」
店の奥でレンタル品の在庫確認をしていた店長は、隣で台帳整理をしていた店員にひょいと声をかけた。
「うーん。そういえば、何の連絡も来てませんね……。そーいえば、あのお客様って結構いいかげんな感じでしたから。もしかしたら、返却期限、忘れてるんじゃいないですか?」
「そうか、連絡が来てないのか……」
台帳整理していた店員の返答を聞いた店長は、腕を組んで、天井をじっと睨んだと思ったら、おもむろに自分のスマートホンを取り出しどこかに連絡をとりだした。
* * *
プルプル。
「はい、私です」
真っ暗な部屋の中で、じっとパソコン画面を見ていた黒ずくめの男は、突然かかって来た連絡に慌てることなく、会話を始めた。
「はい、はい、なるほど。返却期間を過ぎているのに一切連絡してこないヤツがいると。追跡情報を送るから、直ぐにレンタルの回収を行って欲しいと」
男は、スマホに送られて来た情報をじっと見ながら、必要な書類の入ったビジネス鞄を手に、その部屋を後にした。
* * *
ギャ、ギャ、ギャ!
ヘアピンカーブを限界を越えそうなスピードで曲がる車。車はカーブに差し掛かるたびに悲鳴を上げていた。夜の山道には他の車は一台も走っていない。その暗闇の中、一条のヘッドライトの光が踊るように右から左へと振られていた。
「ひゃっほー! 楽しいなー」
その車の運転席には、腕と首にチャラチャラした鎖を付けて髪の毛を真っ赤に染めた細面の男性が、スピードへの誘惑に勝てないかのように、アクセルを全開にしていた。
* * *
びゅー、びゅー。
「屋上の風って強いのね……」
高層ビルの屋上は、地上が無風でもかなり強い風を感じられた。
高層ビルの屋上を囲むように張り巡らされた飛び降り防止フェンスは、ちょっと頑張れば乗り越えることが出来るのだ。
乱れた髪の毛やスカートを直すこともせず、焦点の定まらない視線は、夜のビル街の灯りがほの暗く照らす地上のアスファルトを見るともなく追いかけていた。
彼女は、屋上のへりに赤いハイヒールを並べて置いてから、もう一度フェンス越しに屋上への出入口を見る。そして屋上に人がいないのを確かめる。
* * *
「お楽しみのところ申し訳ないが、そろそろ終わりにしないか?
「へ?! お前、どこから乗って来たんだ」
ちゃらい男が運転する車の助手席には、黒づくめの男が腕を組んで車のシートに沈み込むように座っていた。
ちゃら男はビックリしてブレーキを踏む。
ギヤー!
ドーン
急ブレーキを受けた車は細やかなバランスを失って山道を真っ逆さまに落ちて行った。谷底に落ちた車から、ちゃら男が這い出して来る。車から這い出した瀕死の男の横には、黒づくめの男がビジネス鞄から取り出した書類を手に立っていた。
「お、お前。いったい何者だ? 運転中に突然現れて、がけ下に落ちても怪我一つ無いなんて」
「お初にお目にかかります。わたし、死神と申します。本来の寿命より長生きしていた貴方からレンタル品を回収しにまいりました。レンタル契約書に返却のサインをお願いします」
男はそう言って、倒れているちゃら男の血だらけの親指を書類の押印欄に押し付ける。
「死神って、死んだ魂を集めるんじゃないのか?」
「いいえ、違います。魂は天国や地獄に戻るので、魂の回収は天使や地獄の鬼たちの仕事です。死神の仕事ではありません。死神の仕事は、魂が離れた肉体を回収して整備し、再び新しい肉体として魂に貸し出すことなのです」
「え、俺たちは生まれる時に、死神から肉体を借りてるのか!」
「はい、そうです。私達死神は肉体を魂に貸し出しているのです。ですから返却期間を過ぎても返さない魂がいると、このように督促を行って回収を行うのです」
黒ずくめの男は、倒れている男性から魂を切り離すと、残った肉体を持ち帰って行った。
* * *
「もしもし、お嬢さん。まだ貴方の肉体は返却時期ではありませんよ」
「……」
ビルの屋上のへりから飛びだした彼女に向かって、黒ずくめの男がゆっくりと話しかけて来る。彼女は自分が幻聴を聞けるほど壊れてしまったのだと思い、自嘲した。
黒ずくめの男は、落下途中の彼女を抱えると背中から黒い羽根を出して地上までゆっくりと降りる。それから、彼女の乱れたスカートと髪の毛をなおして、涙を優しく拭く。それから、彼女のくちびるに赤いリップを塗って耳元でそっとささやく。
「貴女は、ここでビルから飛び降りて一度死んだんです。ですから、ぜひもう一度死ぬ気になってやり直してごらんなさい。貴女には、(死)神の加護がありますからね」
黒ずくめの男は、彼女に神の祝福を与えて空に消えて行った。
(了)
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