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(まず状況を整理しよう。私はいつ頭を打った)
三色の茶色を使った縞模様が、裏地には藍色が染められている着物に袖を通しながら、アキレイは自分が置かれている状況を1から考え始めた。自宅の和室で祖母から送られてきたダンボールの荷解きを始めて、着物と食器以外のものは戻して、風呂敷から転がりでた風鈴を組み立てて鳴らした。数秒前にしたことはたったこれだけだ。それなのになぜ自分は草木生い茂る森の中にいるのだろう。それも生まれたままの姿で。
裸足のまま立ち上がってから臙脂色の帯をキッと結び、まず足元に転がる品々を確認し直した。幸いなことに、食器とそれらを包んでいた風呂敷、風鈴、巻物、そしていま身にまとっている藍色の着物は傍に残されている。
襟も裾もずれている少しだらしない格好で腕を組み、なにがどうなっているのかと考え込んだ。しかし答えが出てくる気配はなく、疑問ばかりが頭上に漂う。
カチ、チリ……。
少し湿った落ち葉の地面の上に転がっていた風鈴がそよ風に吹かれ、くぐもった自身の音を小さく鳴らす。ふと目を向けると、その風鈴の姿が変わっていることに気がついた。
風鈴の中にあった赤い花弁の1枚が炎をまとい、ガラスの中で静かに燃えている。
「……はぁ?」
その言葉は有り得ないことが続き過ぎて大混乱している証拠であった。
ガラスは熱によって形状が変化するため、このまま炎を放っておけば風鈴が壊れてしまう。なぜ着火したのかその原理はともかく、引火を阻止せんと風鈴から紐を引き抜こうとするもなぜだが抜けない。いっそ直接中の炎に息を吹きかけようとして、その時にようやく炎が熱をもっていないことに気づく。
(風鈴にプロジェクションマッピング……?)
最終手段として水をかけることも考えていたのだが、この炎がプロジェクションマッピングの技術によるものであれば中の機械が壊れてしまうかもしれない。
念のため火を着物の裾や草に近づけ引火しないことを確かめてからそれを食器と着物を詰め込んだ風呂敷の中にしまい込む。兎にも角にもここが何処なのか分からない限り家には帰れないため、ひとまず風呂敷を背負い裸足で泥を踏みしめた。
水の流れるようなせせらぎが聞こえたため10分ほどその音の方角に向かって歩いて行くと、丁度山がパックリと割れた谷道に湖があるのを発見する。どうやらため池ではなく、川が塞き止められて作られたものらしい。上流部に視線を移すと木々の上に山脈が見えるため、恐らくそこから流れてきたものなのだろう。下流部をせきとめる背の高い土山からはチョロチョロと水が滲み出しており、小さな小さな川が麓へ向かって流れている。
麓に行けば人がいるだろうか。それともあまり動かないほうがいいのだろうか。
シャリン。シャリシャリン。
このあとどうしようかとそのまま湖面とにらめっこしていると、どこかで聞いた事のある金属の高鳴りが耳を通過する。その刹那、振り向こうとすると足が滑り、重心が川の方へと傾いた。視界が途端に青から蒼くなる。
すると突然、着物の後ろ襟が引っ張られた。あまりにも強い力に再び重心が傾き、思わず地べたに尻もちをつく。人がいたのかと驚くより前に、アキレイは雷のような怒声に目を瞑った。
「オマエ、よくもこんなところでそんな死に方ができるな!?!?」
真っ白な装束に真っ白な頭巾。それとは対照的に真っ赤な顔。
「ご、ごめんなさい……?」
ただならぬ鬼の形相にアキレイはひとまず謝罪の言葉を述べた。だがそれでも腹の虫が収まらないようで、その白で統一した和装の少年は手に持っていた錫杖の先をアキレイにつきつけ、唾を飛ばしながら「家族か? 旦那の後追いか?」「沈んだお前を誰が埋めると思ってんだ?」「下流の村が今どんな状況なのか分かってんのか?」と矢継ぎ早に問いかける。頭が追いつかないアキレイはただ「すみません」と繰り返すことしかできなかった。
「ったく、オレもヤな時分に山に入っちまったもんだ。オマエ、もうそんな真似すんじゃねぇぞ! この山に安全なところなんてどこもねェ!! 帰るとこがあんならさっさと帰れッ!!」
「は、ハイ……どうもすみませんでした……」
アキレイがぺこりと頭を下げると、少年は鼻の穴を膨らませてフンと鳴らした。そして手に持った棒を杖代わりに使いながら木々生い茂る山のほうへと去っていく。再び少年の怒りを買いたくはないため、それまでアキレイは頭を上げるようなことはしなかった。
だが、ここで彼を逃せば次いつ人に会えるだろう。
アキレイは意を決して頭を上げ、白い背中に「あの!」と声をかけた。「なーに、礼はいらねぇよ」と少年はふり向かずに手を振る。礼など言う気はさらさら無かったため「そうじゃなくて!!」と叫ぶも、「いいっていいって」と高笑いしている。ひょっとしてこの少年、相当な自意識過剰なのではないか。そんな無粋な考えが過ぎりながらもアキレイは慌ててその後ろ姿を追いかけた。
「随分熱烈な女だな……。いいって言ってるだろ? まあ男前なオレが? 追いかけたくなるほど? 魅力的なのも分からなくはないがそうやって迫られちまうと困っちまって困っちまって」
「ああ、はいすみません。それでお尋ねしたいことがあるのですが……」
「お尋ねェ?? 弱ったな。止めてくれよ、いくら惚れたからって初対面相手に嫁の催促すんのは野暮ってもんだろ、まったく最近の女はどうしたもんか」
「ああ、はいごめんなさい。それで私……」
「待った待った、気が早ェよまったく。オレはまだオマエの名前も知らないんだぜ? ここはまずお互い名乗ってからってんのが世間の定石であって、そもそもオレは……」
( ……よーし、別の人探そ)
話が通じないと早々に察し、アキレイは「すいませんお時間おかけしました失礼します」と一礼して踵を返し、すぐさに少年から距離をとろうとした。
だが「まてまてまて」と肩を掴まれてしまい、立ち止まらざるおえなくなる。また自惚れを聞かされるのかと思うとなかなか顰めた眉が自分では戻せない。
「んな怒った顔すんなよ悲しくなんだろ」
「いえ怒ってないです」
「怒ってんだろ、目尻つり上がってんぞ」
「いえ平素よりこの顔です」
「え?………………あ」
(あじゃねぇよ。)
家で散々"犯罪者顔"だの"推定30代"だの"目尻の角度22度"だの言われているためこんなことで怒るアキレイではないが、この少年の無礼には呆れが隠せないでいた。しかし目付きが元祖より悪い自分がじっとりと睨んだところで必要以上に怖がられるのがオチであるため、鋭くなりそうな表情筋を精一杯緩める。結果プラマイ0、目付きの悪い普段となんら変わらぬ表情となった。
「それで……なんの御用ですか」
「なんの御用って、オマエがなにか言いかけてたんだろ? いったいなにを聞きに来たんだ?」
少年は首を傾げ、それからは口を閉ざした。
てっきり人の話を聞かない自意識過剰タイプだと思っていたのだが、常識的な一面もあるにはあるらしい。
「私、知らぬ間にここにいて……それで、ここがどこなのかお尋ねしたくて」
「知らぬ間にって、道に迷ってたのか? ここは立山。この川は新川で、向こうに見えんのが鍬崎山。東は山しかねぇからオマエん家は西だろうな」
立山。新川。鍬崎山。どちらも耳馴染みがなく、初めて聞く名前だった。
「あの、そもそもここって何県ですか?」
「ケン?」
「都道府県です」
「と豆腐……腹減ってんのか?」
この期に及んでまたおかしな事を言う気か。
そう怪訝に思うも、男にそんな素振りはない。どうやら本気で都道府県が分からないらしい。
洋服が消え着物が残ったこと、そして彼が白い和装をしていることから薄々思っていたことがあるのだが、そんなことは有り得るのだろうか。
「地名です。ここの、属している地域? と言いますか……」
「ああ、ここは越中だ」
「越中……? えと、他になにかこう……薩摩藩? とか、長州藩? みたいな感じの呼び方とかは……」
「薩摩……ハン?」
「えぇこれもダメ? あと、あとはー……あ! 城! 近くにあるお城の名前はなんですか?」
「城? ああ、前田家の居城、富山城のことか。つかオマエほんとに大丈夫か? まさか家まで忘れたって言うんじゃねェだろな」
県も藩も通じないとなると、ディレクターは時代考証に相当凝る質であるらしい。随分と手の込んだドッキリのタチの悪さに、アキレイは内心舌打ちを打った。
「……なるほど。よく分かりました」
「お、帰り道思い出したか? なら途中まで送ってやらんことも……イデデデデデデ!!! オイふざけんな狐目女!! なにいきなり人のほっぺ抓っ、痛てぇなこのッ、なあオレがオマエになにしたよ!?!? 理不尽に泣くぞオレ!?!?」
「私が騙される姿はさぞ滑稽でしたでしょう? さあ収録はもういいのでさっさと帰らせてください!!」
「だからなんの話してんだよ!! はやばや距離縮めたいからってちょっと強引過ぎんだろッ!! おい焦りすぎだ婚期は逃げねェよ安心しろ!!!!」
「こん……なんの話してんですかッ!!」
「こっちの台詞だわッッッ!!!!!!」
大掛かりなドッキリの収録か、または、あまり考えたくはないがセクシー系ビデオの陰湿な盗撮か。
自分が画面映えするとは夢にも思っていないためその可用性は著しく低いと考えるも、タイムスリップよりは有り得る可能性がある。アキレイは「さあ白状しろ!」と少年の頬を引っ張り、ディレクターやらカメラマンやらドッキリ大成功の看板を持ったスタッフやらが出てくるのを待った。しかし、どれだけ少年の頬を引っ張っても足音ひとつ聞こえてこない。
騒ぎ立てても騒ぎ立てても人っ子一人現れやせず、主催者の強情っぷりにある意味感服する。
アキレイはやむを得なく手を離し「ごめんなさい。勘違いしました」と1歩少年から距離をとった。彼が仕掛け人でないのなら他に誰かいるのかもしれないと警戒するが、やはりそういった気配はまるでない。いったいどれだけ徹底しているのだろう。
少年は突然の暴力に当然怒りなど抑えられるはずもなく、すべすべすべと両手で自身の頬を撫でながら「はぁ? 勘違い? オレが山賊にでも見えたのか? どう見ても修行帰りの修験者だろ!! んな不埒なことするか!!」と怒鳴った。修験者がなんなのかは分からないが、そういう設定なのだろう。拉致云々はひとまず落いておくとして、暴力に及んだことに関しては彼女に非があるため、アキレイは大人しく頭を下げた。
「本当にすみません……」
「ったく、誤解が晴れたんならいいけどよ……。そんで家は? 帰り道は思い出したのか?」
「いや、だって帰り道って……」
そもそも拉致したのはそっちだろう。帰り道など分かるわけないと言いたくもなるが、どうせこの少年がしらばっくれるのがオチである。どうにかしてネタばらしさせられないかと頭を回し、仕掛け人から相当数距離をとれば向こうも焦ってボロを出すのではないか? とひとつの打開策を思いつく。
いざ行かんと腕を90度に曲げたのもつかの間、頬をすべすべしていた少年が突然アキレイの肩を掴んだ。そしてあらん限りの握力でぎゅっと握られる。
「オマエまさか懲りてないのか……?」
「え、えと、なにが?」
「なにがって、どうせオレの見えないところまで逃げて死ぬ気だろ? せっかくの男前の嫁になれないとはいえオマエそれは早計が過ぎるというか……」
「いえ違いますけど!?!?」
この少年、ナルシストに加えて重度の妄想癖があるらしい。こんな危ない奴とはさっさとおさらばしなければ己の身が危ないと警告音が鳴り響く。
アキレイは「あ、そうだ思い出しました家はコッチです!」と東方を指さし笑顔を浮かべて、その場を立ち去ろうとした。万に一つにもこれが収録や拉致といったものとは無関係だった場合、衣食住から帰り方まで考えることは山積みになるがそれは追追考えればいい。
少年に背を向け二歩、三歩と歩き、湖に繋がった川の上流部に向かって歩を進める。わずかにモヤっと違和感がするが、勘違いだと完結して進み続けた。
「……なあ東は山しかねェって言ってんだろ。猿の群れに帰る気か?」
やっちまったと頭の中の自分が仏の顔をする。
「あ、そ、そうでしたッ!! ごめん私ん家、コッチ!!」
「誤魔化すの下手くそかッッッ!!!! 」
脳天をチョップされ、アキレイは白刃取りに失敗し小さく呻いた。
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